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雑記:豊かさって何だろう

「豊かさって何だろう」と投稿募集があったので、自分の「豊かさ」って考えてみました。

私にとっての豊かさは、家族が家族として苦楽を共にして一緒に暮らしていけることだと思っています。

今は、家族がばらばらになり「豊かって何だろうか?」日々自問自答しています。コロナ禍の影響もあり、「豊かさ」の定義ももっと自然に寄り添ったものになるのかもしれません。

今は一人でいることにも慣れ、「孤独」を少し孤独を楽しめるようになってきました。「孤独」を楽しめる生き方が今の私にとっての「豊かさ」かもしれません。

結局、「家族」としてまとまっていた時は、朝ごはんを準備し、いってらっしゃい、お帰りといい、健康で、イベントあって、がやがや、一日を振り返る、そして明日を迎えることができるということが、当たり前で、それが私にとっての豊かさだって思っていました。

その中で、子供が不登校になり、不登校になったことをひたすら隠され、結局、最後は裁判沙汰になって、物別れに終わるという経過をたどる中で、自分の人生や自分にとっての豊かさって何さってひっくりかえってしまったんですよね。

いい親でありたいとは思いましたけれども、こういう形で家族に裏切られ、慰謝料まで請求されるのは、はなはだ納得はいきませんけれども、もう「相方」が「お前が悪い」スタンスを崩さない以上は、物別れになるのも致し方のないことかもしれません。

だから、また新しい価値観の「豊かさ」を求めていかないと、人生を切り開いていけないのかもしれません。

幸い、両親は生きていますし、私を必要としている友人、親戚、会社などはあります。だから、悲観しないで、新たな生き方、新たな「豊かさ」を求めていけばいいのかと思います。

人生は過酷なことが多いですけれども、過酷なことの先に「喜び」はあるはずですし、くたばったときに、「お前はよくやった」と言って亡くなった祖父母に言ってもらえれば、それはそれで、「豊かな人生」って言えると思うのですよ。

だから、感謝して生きる、今日も生きてくれてありがとうと思いながら、生きていける、というのが私の「豊かさ」だと思います。まずは、生かされていることに感謝し、命をつないでくれた先祖に感謝し、一生懸命生きることに頑張ろうって思えるのが、私にとっての「豊かさ」なのかもしれません。

それでは、また。




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