見出し画像

汚部屋脱出の理想と現実

汚部屋を脱出して早1年が過ぎた。部屋は決してオシャレでもなく、収納を全く使いこなせてもいないが、そこそこ綺麗さを保てている。果たして、汚部屋を脱出する前後で、生活は変わったか。

汚部屋脱出前の理想

いつの日にか汚部屋を脱出できたら
・綺麗な机の上で外国語でも勉強しようか
・PCも新調して、Pythonや機械学習の勉強したいな
・久しぶりの友達とオンライン飲み会なんかやりたい
・テレワークもバリバリできるな
なんてことを考えていた。

汚部屋脱出後の現実

さて、汚部屋を脱出して理想の生活は送れているのか、というと、これが悲しいことに全く送れていない。強いて言えば、PCを新調したくらいか。ついでにデュアルモニター環境なんかも整えたので、テレワーク環境はそれなりに充実しているが、それだけである。
「部屋を何とかしなくちゃ」「部屋を掃除しなければ」と感じながらも全く手を付けられずに自己嫌悪に陥る、という負の連鎖を断ち切れたのは精神衛生上極めて良かったが、実際の生活そのものはあまり変わらなかった。

若さは正義

その原因が何かを考えてみると、大きなものは年齢の問題かもしれない。ここ数年、新しいことに取り組む意欲が全く湧いてこないのだ。「何かを始めるのに遅すぎるなんてことはない」というどこかで読んだ名言で心を奮い立たせても、頭と体がついてこない。結果、Pythonや外国語の本などの積ん読状態が継続されたままである。(Kindleで本を買うようにしたため、物理的に本が積みあがっていないことはまだマシだとは思うが。)
あと数年前、例えば5年前に汚部屋を脱出していれば、そこまで頭も錆び付いておらず、やる気も低下していなかっただろうから、もう少し勉強や新しいことに取り組めただろう。やはり「時間をお金で買う」というのが正解だった。いま汚部屋に悩んでいる人は、さっさと業者を使って汚部屋を脱出することをおすすめしたい。

家族との関係性の変化

汚部屋だったころは、特に用事が無い限り、埃だらけの自分の部屋にいることが少なかったため、リビングルームでナンプレをやったりテレビを見たりとダラダラしていた。結果、たいして話すことはなくとも妻や子供と同じ時間を過ごし、同じ空気を吸っていた。

しかし、汚部屋を脱出してからは、自分の部屋でそれなりに快適な時間が過ごせるようになったため、リビングで家族と過ごす時間が格段に減った。それと合わせて子供の受験や反抗期もやってきたため、リビングで用事が無い限り自分の部屋にこもるようになった。結果、家族との関係が極めて希薄となっている。とはいえ自分自身も中学以降は父親との距離感がイマイチ掴めず、その頃から父親のアルコール摂取量が増えたこともあり、父親とはほとんど話すこともなくなった。ちょうどそんな時期、ということなのかもしれない。

妻の病気

さらに間の悪いことに、妻に病気が見つかった。子供が中学に入り、やっと少し生活が落ち着くと思った矢先だった。
妻と一緒にいたいのだが、妻は私といるとストレスを感じているようにも見える。そして、病気のことを調べれば調べるほど、未来について悲観的になり、何か新しいことに取り組もう、という気持ちも萎えてしまうのだ。

妻に限らず、会社の同僚や取引先の知りあい、学生時代の友人などでも病気や訃報を耳にすることが増えてきた。そのたびに、大なり小なりショックを受け、明るい未来をただただ信じられる年でもなくなってしまった、ということを実感する。

まとめ。やはり若さは正義

いつもの通りダラダラ書いてみたが、汚部屋脱出があと数年早かったら、と思わずにはいられない。しかし、今更後悔してもどうなるものでもない。有名なサミュエル・ウルマンの名言を思い出して、顔を上げてみようと思う。

「青春とは、真の青春とは、若き肉体のなかにあるのではなく、若き精神のなかにこそある」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?