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アラサー、時間とFIREと所有についての考察

皆さんの所有した「時間」は何処に消費していますか?

質問:皆さんの時間の使い方

最近電車でみたこの本「時を稼ぐ男」の広告。
タイトルだけ見て時間管理術の凄い戦略が書かれているかと期待して本の要約をみたところ、騙されてしまったというか(笑)そんな話は割となかった、青汁王子という方のビジネス書でした。

在宅勤務が可能になった企業が増えていて通勤時間が浮いた分、その時間を有効活用したいと思う人も増えましたよね。例えば、ホームトレ・筋トレなどの運動をしたり、読書をしたり、もっと長く寝たり。在宅勤務が普及する前、引っ越しで自宅の場所を決めていた際、このような記事と話があって気にしていたことを覚えています。
・満員電車が会社員を不幸にする第1原因
・仕事とプライベートのスイッチのオンオフのためにも距離は少しあった方が良い
・会社と自宅が近いほど年収が上がる

内定式などで頂いた当時の先輩社員のアドバイスで、自宅の最寄り駅から会社までは30分ほどの所に決めたのですが、会社に行くことが特に苦痛という訳ではなく、むしろ週3~4で出社する程会社に行くのが好きな方です。

出勤前、化粧と朝シャン派で髪を乾かすのは面倒臭いですが、
好きなだけコーヒーやお茶が飲めて、人体工学的に設計されたオフィスツールを利用でき、オフィスにいる人と話せて、低額で会社の食堂で栄養バランスの取れた食事ができ、仕事に必要な機材が揃っていて、行き来の移動時間にはドイツ語の単語をアプリで覚えたり(わざと習慣にしたというよりかは、アプリ通知が来るので習慣化されました)、意識しなくとも駅までの徒歩移動が運動になり、帰宅のついでに買い物ができるので個人的には会社に来るのが好きな方です。もちろん、残業を遅くまでやった次の日などは体が重かったりするので、そのような日は在宅勤務で体力を蓄えたりもします。

在宅勤務で移動以外に使える時間は増えたものの、「移動」で消費される時間よりも満足度や効果が低いか高いかは各々の感じ方次第ですよね。
皆さんはどのようなことに「移動時間ボーナス」を使われていますか?

FIREは「虚しい」くない?

2021年の12月、大学の同期とオンラインで忘年会をしながら、
「年末ジャンボが当たったらどうしたい?」と聞いてみました。

会社を辞めて旅行、自宅購入、投資、などなど 
夢の広がる?楽しい会話ができましたね。

最近、Youtube、Note、書籍などあっちこっちFIRE(Financially Independent Retire Early)というワードが出ていましたよね。最初FIREと聞いて、お金があるからなんでもできる、まるで宝くじに当たったようなイメージかと思ったのですが、FIREにたどり着くまでは「お金を節約」する程良い!ということでした。確かに、経済的に自由であるのは嬉しいことですが、ふと思い出したのは、会社員として重役で働いていたおじさんほど引退後すぐに元気がなくなるという話でした。

何となく自分がFIREをしたと仮定しても想像力が豊ではないせいか
「FIREしたとしても、暇すぎて困りそう!」と思えてきました。

みんな口を揃えて宝くじに当たったら行きたいという旅行なんて、今までもしてきたし、コロナさえ終わればいつだってできるし、お出かけしたとしても帰所本能で家に帰りたくなるし。

高いブランドバッグを買ったって、頭の片隅に「大事に使わないと」というところに考えが行ってしまってぎこちないはずだよ」

と言った、私が尊敬するSenior GMの話にはその通りだと共感。自分の身の回りの投資すべきものは毎日使う、ハイスペックのパソコンで何不自由なく満足度も高く、十分でした。

「過程を楽しむ」というのが人生なら、それが仕事にできているのならFIREしたって楽しいのには違いない。
とてもラッキーなことに、会社はお金を頂ける働く場所でも、自己実現の場所でもあって、今の仕事は楽しく、成し遂げられる課題が沢山見えます。

さて、本当にやむ終えず仕事を引退したらどうしようかな?
その未来には私がどんなことができるかしら?
とか20年後はこの会社にいるとしたらどのような人間になっているか、もし他の会社にいるとしたら、もし自分で仕事を立ち上げることをするくらいになるのなら、などなど、人生100年生きるとしたら既にアラフィフくらいにあと残りのあと50年何して毎日を過ごすか、懐かしく今のことを思っているはずの自分が見えてきました。

NFTと限定と所有について考える

近年のバズワードとして芋づり式に出てきた「ブロックチェーン」、「仮装貨幣・コイン」、「メタバース」、「NFT」の共通点は技術的なコピペの制限がなかったオンライン上に、リミットが掛かった有限な状態を望んでいる形であること。

アメリカ、その次には韓国にもメタバースブームがきたのは去年の秋頃で、丁度「facebook」社が「meta」と名前を変えた時期でもありました。

2月25日、本日の夕方から楽天NFTという新規NFTプラットフォームをロンチングする記事があり、日本でもNFTの供給・需要が期待できる環境が広がっているという状況と実感することできました。

無限にコピペができないデジタルコンテンツ、というのは今までのほとんどのデジタルコンテンツとは反対の概念で、色んな問いかけが自然に浮かんできます。例えば、
・人々がデジタルコンテンツを「所有」することとは?
・そもそも「所有」することとは?
・「価値」を決めるのは誰だ?客観性は必要?

現実の世界では車も空間も共有して必要な時だけレンタルして使うという「Shared Business」が広がっているのに、オンライン上では「限定狙い」のビジネスが流行っているのは「所有欲は人間の本性だ」がベースの前提になっているのかも知れません。この両方が共存している今は矛盾すぎて、「何て人間らしんだろう」と感激しました。

OpenseaというNFTアート作品の交換プラットフォームからは様々な作品がイーサリウムで購買されています。アートを論じれる程の目があるという訳ではないですが、限定だし高いのは分かったけど現代アートと言え感銘を美術技術の高い絵はないし、正直この作品を買ってどうする?という疑問が湧くのが正直なところでした。きっと、ビットコインと同様、この作品が好き!というアートコレクターよりも投資目的で買っている人が多いんだろうなと想像しているだけですが・・

「客観的な価値」というのは多くの人が同意している時に起こるものというのであれば、このNFT作品に共感する人が多い時にやっと価値ができるものでしょうね。唯一無二というのは、NFTだけではない、全ての人間、誰もがそうですもの。

人々が集まるところに価値あり

今までは多くの人々を集めれば利益が生まれるという公式が通用する世界でした。例えば、
 多くの人が行き交う駅周辺が栄えたり、
 多くの人が利用するSNSが流行ったり、
 多くの人が利用する検索エンジンが大きな会社になったり。

情報・サービスを無料で提供するという「所有させない」行為で、人々を集めたり、人々の移動を生めば、広告という収入が生まれていたのですが、誰もが作家になれるNFTアートは訪問者数0のブログと変わらないかも知れないとふと思いました。限られてどうしようもないものを限定することにはあんまり意味がないと感じたので、今後のNFTはどうなるのか少し気になります。

本当に限られているのは私たちの人生の「時間」。
これはデジタルツインで2倍にして貰えるのでしょうかね?

人々の人生を2倍・3倍にしてくれるものがあれば、
それほど決定的で価値があるものはないかも知れません。
あぁ、だからバフェットさんは本を読むのが好きだったのか。

そこでもう一度お聞きしたいです。

皆さんの所有した「時間」は何処に消費していますか?


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