休みの概念について

フランス人の人は1-2ヶ月、ドイツ人も夏に1ヶ月に及ぶまとまった休みを取ることが多いらしく、育児休職などのため以外に、まとまった休みを取る社会的な雰囲気がない日本と比べると単純に良いなと思ったりします。

子供の頃の夏休み・冬休みでは学校で出された課題があったのですが、大人はそのような宿泊もなく、本当の休みの意味を考えてたりします。

大学は大人の夏休みだとか

日本の大学では単位さえ取れれば卒業でき、就職に困らないためこんな話を聞いたことがあります。社会人になって大学でもっとやっておけばよかったと思ったのは語学の勉強とお金の勉強です。何もなかった頃こそ、ゼロになっても大したダメージではない頃。時間という複利をもっと早く気付けば良かったです。一人旅とかは逆に大人になってから行って良かったと思うのは私だけなのでしょうかね。(学生の頃は大抵お金がないけど、世界を観たい。でも貧乏な旅行はいつだってできるんですからね。社会人になると行きたくなくなるだけ)

何もしないことをする休みとは

フランス人の取る月単位の長期休暇では、毎年家族で別荘や親戚の家に行き、仕事のことを考えないことをするらしいです。海辺で遊び、好きなことをして、仕事のあった時間と全く違う時間を長く過ごす。育った社会的な環境から常に何かをしないといけない、常に向上心を持って成長しなければ、とか考えている韓国人の自分は前まではこのような過ごし方がなんだか勿体無いとも思っていたのですが、最近は憧れるようになりました。家族で何処か景色のいい自然の中で、食料品をいっぱい持ち込んで、何もせずに疲れのない瞬間を楽しんでみたいです。

旅行をする休み

コロナの頃、何処にも動かなかった時期には無い物ねだりで、もっと旅行に出かければ良かったと思ったりしていました。名所に行って、写真を撮り、その土地の食べ物を食べて、知らない街を歩く。この前友達と行った淡路島は、玉ねぎが甘かったのが新しい体験でした。立て看板やオブジェの写真映えスポットを巡る旅ぽくなった気もして、現代の旅行って自分で写真を撮るために移動する行為なのか?Googleマップストリートビューで観れる場所を何故行きたくなるのか?犬のマーキングみたいに、思い出の場所を自分の中にマーキングする行為なのか?何故お金を大量に注ぎ込んで旅行しているだろう?
旅行中の移動時間は暇なせいで色々自分の中で小さな考えが浮かびますが、結論は「自分が行ってみたって言ってみたいから旅行に行く」でした。

家でゴロゴロする休み

自分は家の中に長時間居られないタイプの人間ですが、家でゴロゴロする瞬間が楽しい時は何かに没頭している時です。それはゲームやものづくりみたいな趣味で時間の感覚がなくなった時はまだ生産性の高い時間の過ごし方と感じますが、昔はウェブサーフィン、今はInstagramとかで誰が書いたくだらないポストや写真を見るみる時は生産性のない時間のよつに思えちゃいます。ゴロゴロしてるってなんだか罪悪感のある響ですが、罪悪感なしでゴロゴロできる考え方や過ごし方はあるのでしょうかね?

HP・MPの限界、身体や心が疲れての休み

自分は仕事で体力もメンタルも低くなった時にも身体に影響が出たことはまだなく、休みをとったことはないですが、誰しもこのような生産性の低い瞬間はあるはずだと思います。本当の休みの意味は、身体と心が健康な状態に戻ることの意味ではこの休みが物理的に一番必要な休みのタイプかと思います。

世界中の休みのトレンド

ドイツでは週4日勤務を目指す声が社会で出ていたり、法律で1日10時間までの勤務を上限にしていたりしていて、社会的な生産性が劣るのではないかと心配している人々がいます。それに比べると韓国、中国、日本の東北アジアの方ではかなり仕事をしてもアメリカなどの国の賃金に比べると桁の違う額の場合もあるかと思います。こう考えるとたまに、今の仕事をし続けることの、人生の得は他の国より少ないのか?と考えることもあります。

世界の人の休みも大分異なり、それが当たり前になっているのがちょっと苦い現実なことを受け入れるしかないか、それとも自分の環境を変えるしかないか。そんなことを考えたノートでした。


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