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vol.001 『ヌンちゃん』

プラウマンズランチベーカリーをオープンして間もない頃の話。

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店の隣にはとても物腰の柔らかい、初老のアメリカ人が住んでいた。奥さんは20代のタイ人で、しばらく「ご夫婦ですか?」と聞けなかったことを覚えている。

ある日、奥さんがフェンス越しに、「人手は足りているか?」と聞いてきた。

オープンして1ヶ月。お金は無く、寝る間も惜しんで働いていた時期だったので、手伝ってくれるなら是非! と思い話を聞くと、どうやら奥さんの姪っ子がタイから3ヶ月ほど遊びに来るから、うちの店で社会勉強できないかとのこと。

その姪っ子は、タイの大学で日本語を学ぶ予定の18歳の女の子で、学校が始まる前に叔母のいる沖縄で、日本語の勉強をできるところはないかと相談を受けたらしい。

それで、家の隣に開いたばかりのベーカリーカフェに白羽の矢が見事に立った。

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人生で最初の雇用がタイ人の娘。というパワーワードに惹かれて、僕は彼女をスタッフとして迎え入れることにした。稀有な事は基本、受け入れることにしている。人と違う選択をすると、苦労は絶えないが、思いもよらないおもしろい方向に物事が進むからだ。自分の想像を超える出来事ほど、人生に於いて魅力的なことはない。

数日後、やってきた記念すべき最初のスタッフがヌンちゃん18歳。タイの田舎の出身で、小さくて素朴な女の子。

国も世代も違う子と働くのは初めてで、こちらも緊張したけど、緊張する間も無く、言語の壁にぶつかる。当然と言えば当然だが、ヌンちゃんはタイ語しか喋れなかった。

そして僕は日本語しか喋れない。

片言の英語でコミュニケーション取れればいいかと考えていたが、甘かった。

次の日から、僕らは「指差し会話帳」と辞書、そして過大なボディランゲージを駆使して、オープンしたてのベーカリーカフェを回すこととなる。

お客さんとコミニュケーションを取ることが難しいと思い、最初は皿洗いやテーブルクリーニングなどお願いしていたが、気がつくと、お客さんに話しかけられて、お互い困ってる姿を目撃し、「すいません、この子、タイ人なんです」と毎回説明する日々。

ただでさえ、日本人とタイ人は容姿が似てるのに、沖縄が混ざると更に話はややこしい。

せっかく日本語を勉強しに来てるのだからと思い、お客さんの優しさを信じてオーダーを取りに行ってもらったりしたが、泣きそうな顔で引き返してきたあの顔が忘れられない。

そんなヌンちゃんも滞在中は最後までしっかりプラウマンズランチベーカリーの初代スタッフを勤め上げ、晴れてタイの大学に進学していった。

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あれから12年経った今、元気かなと思い、久しぶりにフェイスブックで彼女の近況を覗いてみた。

4年間、大学でみっちり日本語を勉強した彼女は、その後、日本語通訳の仕事に就いたようだ。しかし、いろいろ考えるところがあって今は、一時休止しているらしい。休止した理由として、このようなことが書いてあった。

「通訳者と通訳される側の感情はお互いに存在します。瞬時に会話の感情を受け入れ、中立性を維持することは、とても難しい。」

いろいろと葛藤があったようだ。

僕らが交わした、指差し会話には、深い話はなかったが、心は通っていた。言葉を覚えて、心を無にする無情さに直面したようだ。

いつか再会して、日本語で本当の意味での深い話ができる日を楽しみにしている。

ちなみに、今年の正月、僕はタイのチェンマイに旅行で2週間ほど滞在した。大好きなタイ料理を満喫して、大満足で帰国したが、未だに「サワディカ」と「コップンカ」の区別がつかない。

【今回のおすすめ】
ソムチャイ(沖縄市)
店内に立ち込めるナンプラーの香りを纏った煙を浴びながら食べるパッタイは、まさにタイの屋台の味。


【屋部龍馬 / ベーカリーカフェ・和菓子屋オーナー】
1979年東京生まれ。2001年にルーツである沖縄に移住。建築から飲食の道へ転向し、2009年沖縄にベーカリーカフェ「プラウマンズランチベーカリー」開業。2014年ベトナム・ホーチミンにカフェ 「ploughman’s GARDEN」開業(現在閉店)。2018年に沖縄に和菓子屋「羊羊」を友人と開業。自 ら厨房に立ち、何かしら作り続けて20年余り。 


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