今日のス スペシャルな厳かな行事 お水取り
6年前、東大寺、二月堂のお水取りに
参加しました。
松明を管理している講に
入れていただき
松明の火をつけて
お堂に上がっていく時の
厳かさに
しびれました。
3メートルぐらいの長さの
松明に火をつけて
お堂の下から
一気に階段を上がって行くのです。
テレビで流れる映像は
お堂の上から
火の粉を振る箇所ですが
実際は下から
階段を上がっていく時間の方が
長い道のりで
みていて
迫力がある場面です。
この階段を長い松明を持ってあがります。
リハーサルも
タイムスケジュールもない
あ、うんの呼吸で
脈々と続けられてきた
お水取りの行事
こんな凄い世界が
あったのだと
ひたすら
驚きました。
お堂の裏では
茶を点て
お菓子でもてなす組の方が
いらして
お茶を点ててくださり
どこからきたのかとか
どんな人かなど
そのような話をしなくとも
静かなまま
あ、うんで、やり取りするだけ
いただいたお菓子の
黒文字も
その為に
次の一年のために
庭の木をそだて
用意している人が
いるのです。
近くに
うどんをゆで
もてなす講も
あり
また来年も会いましょうとも
なんとも
約束の言葉も
交わさずに
一年後の同じ日に
お水とりに
必要な全部のことを
様々な人と人が
結びついて
すっとお水取り行事で
結集する
進行表無しとは驚き。。
忍びの世界か?!って
時代劇より
目の前の事実の方が
想像を超えていました。
お堂の中から
何日も
ほぼ行を行い
白い装束が黒くすすけて
お堂から
出てくるお坊さんを
警護して
松明を持ち
引導をする講の方々が
武士に
見えて
夢うつつ。
そのお坊さんたちが
階段を下り
井戸から水を汲みあげ
お堂に上げる行事が
お水取りなのですが
写真の階段を降りた場所に、井戸があり、そこから水をくみます。その時に講の方は、お坊さんを警護するための、伝統の松明、丸太ぐらいのものを持ち階段を降りて、上がってを繰り返していきます。
その時は
すでに
深夜2、3時で
雅な音楽と
松明の火の音
人の声すらしません。
翌朝は
鹿さんと目が合いながら
講の待機の家屋の外で
顔を洗い
「昨日みたのは
ゆめ?」と
思える
厳かで、美しい
お水取り行事体験でした。
戦争中も
小さな松明で
行われていたそうです。
東日本大震災の時も、粛々と行われたそうです。
今年こそ、また行きたかった。
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