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【早】言えなかった過去。伝えられる自分になる!

こんにちは!SQ-SALON1期生(そして最年長の。笑)村本早希です。

SQ-SALONに入って半年がたちました。

いろいろ学んだことはあるけど、その中でアウトプットすることの大切さを体感したわたし。

わたしも記事が書きたい!と意気揚々と手を挙げて機会をいただいたのに、なぜかパソコンに向かうと掃除がしたくなる現象(試験前に勉強しようとするとおきるあれね)に悩まされながら、今回の記事を書かせていただきました!

わたし、村本早希といえば?

わたしのイメージとしてあるのは

① 3児ママで子育て真っ最中
② 小児はりの人
③ 元シンクロナイズドスイミング日本代表

このあたりなのかな?と思っています。

①と②は、よく自分のブログで書いたりして発信しているので、今回は「シンクロをやってたわたし」について書こうと思います。

シンクロにこうやって出会いました

シンクロナイズドスイミングは現在名称が変わって、アーティスティックスイミング(AS)になったんですが、まだまだなじみのある呼び方「シンクロ」のほうを使ってお話していきたいと思います。

「シンクロって、なにがきっかけで始めたん?」

この質問が、「シンクロってめっちゃごはんいっぱい食べるんやんな?」と同じくらい多い質問なので、少し書いていきますね。

わたしが水泳をはじめたのは意外と遅くて小学1年生から。
しかも夏だけの短期教室みたいなのに行ってました。

小学3年の夏、そこにシンクロコースがあることを知ったわたし。

スワンの涙というドラマ(知ってる?知ってる人は同世代だね!笑)を見ていたこともあって、おもしろそう!と体験会に参加しました。

その体験会がとっても楽しくて、その秋から通うことになりました。

が!!!

その楽しい練習は体験会用だったんですね。

毎日息止めの練習があったり、水深5メートルのプールに立ち泳ぎもできないのに入ったり。深いプールが怖くて目をつぶって泳いでは怒られていました。

毎日の厳しい練習に「思ってたんと違う」と入部してすぐに感じたことは、今でも鮮明に覚えています。

日本代表に選ばれたい!

中学生になって、チームだけではなく個人でも成績が出せるようになったわたしが次に持った目標は

ナショナルチームに入りたい

でした。

この目標を持ったころから

「目標を設定して、それを達成するためにはどうすればいいのか?」

そう考えて取り組みはじめるようになりました。

その結果、高校2年のときにジュニアナショナルチームに選ばれ、それから7年間、ケガに悩まされた1年を除き日本代表にいました。

このケガの経験が鍼灸師になるきっかけになったんだけど、その話はまたの機会に。

下の写真はジュニア世界選手権に出たときのもの。やっぱりちょっと恥ずかしい(笑)

日本代表選手だって言えなかった

ここまで書いてきたわたしのシンクロストーリーですが、実は最近まで人に話すことができなかったんです。

だから初公開!!

なんでそんなに言えなかったんだろう?と分析してみると、3つのことが出てきました。

①オリンピックに出場できなかった

私の中で、日本代表に入るということは、あくまでもオリンピックという目標を達成するためのプロセスでした。

なので、日本代表でしたって言うこと=わたしはその後は結果出せなくてオリンピックに出れなかったんだよねってなっちゃうんです。

北京オリンピックに出場したメンバーはみんな一緒に泳いでいた子たち。

わたしはみんなと一緒にオリンピックの  舞台に立つことができなかった。

この結果にコンプレックスをもっていました。

②周囲の目が気になった

だんだんと年齢が上がるにつれて、合宿や遠征で学校に通える日が少なくなりました。

試合の関係で、毎年4月はだいたい学校にいないので「あの子学校辞めたんちゃう……」というウワサも流れていたそう(笑)

そんな中でも「学校を卒業しなければならない」というミッションがあるので、別に課題を出してもらって合宿中にレポートを書いていたり、いろいろ工夫しながら学生生活を送っていました。

あんまり学校に来てないのに単位取ってるし、あの子特別扱いされてるんちゃう?みたいな批判的な声が耳に入ったりするようになって、当時まだ純粋な少女だったわたしは、すっかり傷ついてしまいました。(む……昔はね)

まぁ運動も勉強もできて、性格もよくてダイナマイトボディまで持ち合わせていたら仕方ないんやけどね!(全然違うやろ。もはや別の人やろ。)

とにかく生きづらかった!なので、自然と言わなくなっていきました。

③シンクロの成績は過去のことで今とは関係ない!

今は鍼灸師として次のステージで頑張っていこうと思っているんだから、もう過去のことは関係ないと思っていました。

でもこうして記事を書いていると、シンクロをやっているときと同じスタンスで鍼灸をしようとしてるんだなーと気づきました。

こんなネガティブな感じで話せなかったわたしでした。

シンクロの日本代表だったことを隠すのはやめよう!

去年の11月くらいかな。うちの臨床部屋の親方でもある横山先生にはじめて会ったときのこと。

急に、ほんまに突然に、現役時代の戦歴など聞かれたことがありました。

そのとき、ちゃんと答えることができずに「モゴモゴ、モゴモゴ。」って言いながらごまかすわたし。

ちゃんと伝えることができませんでした。

なんで話せないの?
これは改善していかなあかんよな。

と、はじめてこの問題に向き合ったわたしは、この"モゴモゴ"な状態を改善するべく、リハビリを始めました。

・なんで人に話したくないと思っているのか
・ 事実としてありのままに認識する  
・もう人に話しちゃう


これをやった結果、今では改善され、なんで前はあんなに怖がっていたんだろう?と思えるまでになりました。

なんならもうふっきれて、北京オリンピックの水着まできちゃうよ!

わたしが10年以上抱えていた問題を克服できるようになったことは、SQ-SALONでの取り組みが活かされています。

なりたい自分に対して、問題をあらい出し、なにをすればどうなるのか。

根性だして頑張っていけば達成される!という「超体育会系思考」だったわたしですが(笑)ロジカルに物事を考えられるようになってきました。

自分でもこの変化が嬉しいです。目をそむけていた自分を認めることができるようになって、こんな自分をもっと好きになることができました。

SQ-SALONに入って

年齢制限にひっかかってるんじゃ……と、ちまたでささやかれていたわたしですが(12月募集だったから1月生まれのわたしはギリギリセーフだよ!笑)、この場にいることができてよかったなと感じています。

家事、育児、仕事にあっぷあっぷしたときもあったけど、そんな中でもできるんだよってママ鍼灸師さんたちにも伝えたい。

たくさんのことが学べたのはもちろん、シンクロしてたときみたいに、一緒に頑張っていこう!って仲間ができたこともよかったな。

お母さんだけど、子どもみたいにわくわく挑戦しながら生きていきたいと思います。

あ、せっかくシンクロやってたことを公開したからね。

鍼灸師ウォーターボーイズもやってみたい!(笑)

<書いたひと>
村本 早希(むらもと さき)

奈良県で鍼灸院を運営。
シンクロの現役時代、ケガに悩んだ経験から鍼灸師になる。娘の重度アトピーやぜんそくで子育て悩み、小児はりに出会う。普及にも力を入れて活動中。

さきレディース鍼灸院 院長
奈良佐保短期大学 非常勤講師

Instagram
https://www.instagram.com/muramoto.saki/


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