蟠り
こんにちは、こんばんは。
私は多分、常に文章を書いていないと死ぬタイプの人間なので本日は思ったことをたくさんつらつらと書いていこうかなと思っています。ちなみに久しぶりに前記事から書いてる推しくんのいる現場に行ったんだけどげっそりした顔で眺めてしまったよ。やっぱり顔も声も仕草も、そこにある彼の全てが好きだったなとまた悔しくなってその日は終わってしまったんだけど。
いったいどこからどこまでが幸せなんだろうか、私の人生において恋愛というのはもうあの時に全て終わってしまったのかもしれないんですけど恋愛だけが幸せじゃないよね。だとしたら、1人はほんとうに幸せなのだろうか。他者との共存あっての人間関係やいずれ離れていくかもしれない(結婚や出産などで会う機会が減ってしまう)友達との断ち切りは果たしてどのようになってしまうのだろうか。どうしてもわたしは哲学的だったり論理的思考になるので物事を解析してしまう癖があるんだけどこんなことを考えていたら朝になってしまったということはよくある。恋愛がしたいわけでも彼氏が欲しいわけでもない友達も十分だが上記のことを踏まえた上でただ拠り所がなくなるのは身体は生きていたとしても事実上の死であるのではないかと、そう思った。私もその内の1人に値するかもしれないが君たちはすぐ人を好きになる、恋愛に限った話ではないです。だから苦しむんですよね。だから人間関係を拗らせて、生きているのかも。
私にはいろんな名前があって、その名前でお付き合いしている方たちがそれぞれにいてSNSってわたしは自己表現に一番適していると思ってるんだけど気持ちとからだと名前が追いつかなくなっていったりなにをどう発言すれば相手が傷つかずにすむのか、考えて使わなくてはなりませんよね。心無い人が1人でも減るようにしたいんだけどわたしは個を表現しているのでそんな影響力も発言力もないからときどき、ずっと悲しいなと思うこともしばしばあります。つらいよね、よくがんばってるよ。みんなえらいね。ってほんとうはもっともっと思ってるのにな。
わたしは恋愛観を語る時にあまりすきとか言われたくないし外でべたべたもしたくないしってよくいうんだけどそれはそうで毎日好きと言われてたら好きの重さというか大切さとか何か失いそうで嫌なんですよね。これ、つたわる?べたべたしたくないも、別に周りにひけらかしたくないし、家でふたりでないしょ。が一番好きなんですが、たぶんこういう真髄を話すのが苦手でわたしはだいぶ誤解されているのだなと最近になっておもいました。これからはこうして自分の文章にまとめた言葉で話せるといいな。でも、私のこと好きにならない人が好きなのは本当なんだよ、両思いで喧嘩とかして相手の嫌なとこみたくないし、まだ。それを許容できるようになってからじゃないとしんどい。わたしは本当に恋愛をするに適した人間じゃないとおもいますが、ほんとうに究極片思いがいい。好きだった人に好きと言われるのはとても嬉しいことなんだけどむずかしいね、わたしにはまだ理解がおいつかないよ。私はきっと1人でいたいと言いながら実際はずっと呼ばれたままに一緒にいるタイプだし、好きと言われたくないと言いながら好きを求めています。両思いがいいのに片思いがいいと言える人間だからね。一生誰にも理解されないややこしく、難しい人間だし、多分この文章は支離滅裂。あっているのは真髄の部分だけです。みんなはどんな恋愛をしているんだろう。わたしはちなみに生まれてからこの年までずっと友達はほんとうに少数派の人間です。
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