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【手記】貴族世界に生かされた僕

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父親から両親の事は「お父様」「お母様」兄弟にすら敬語や丁寧語で話す事を強いられた。それなりに裕福な家庭であった。 車係、料理人、庭師、世話係、教育係など住み込みで多くの「他人」… もっと読む
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天使の罪 -小児性愛者とアリス-(閲覧注意)

 ※この記事では、小児性愛者の被害者である僕の体験談を掲載しております。苦手な方は閲覧をお控えください。 はじめましての方には自己紹介を…。 ​ 若き紳士  恐らくもう時効であろう事を書き遺そうと思う。  御父様主催のパーティの時、実家に客を迎えての会食に、よく招かれる客の中に御父様にとって一番有益な人物が居た。若くして成功した実業家だ。  御父様より若く細身のスーツを纏った上品な風貌。チェスをすれば巧く負けてくれる優しい男だ。御父様は「一番失

美しい晩餐会と不要な手術

これは去年、腹腔鏡手術を受けた前夜のお話。 2020年5月10日  友人オーナーのレストランへ手術前の"最後の晩餐"をいただきに来た。予約で埋まるような店にとって貴重な休日、そのディナータイムに店を貸し切りで普段と違う店内の装飾、レイアウトで迎えてくれた。  ドラマ「ハンニバル」のような美しい花や果実、燭台などがピンクとブラックの布を張った長いテーブルに飾られていた。広いフロアの中央、長テーブルの両端に対面するように2席、友人と自分の2人きりの奇妙な晩餐会となった。

憧れは遠すぎた(醜形恐怖とダイエット)

 人は何か憧れるもの、それに近付こうと努力することで、自分がより素敵に見えるだろうと信じている。  僕だって、そうだ。  馬鹿馬鹿しいと嘲笑われる事は慣れているが、僕は球体関節人形に憧れている。なれるものなら成りたいと思っている。  無駄のない細身で繊細な身体、透けるような白肌、澄んだガラスと魅力的な虹彩を持つグラスアイ、涼やかで儚げな歪まない表情。それらを美しいと思い、自分に欲しいと思ってしまった。  そんな風になった経緯を話そうと思う。  元々僕は小食で標準よ

自己紹介

 はじめまして。四条 Q.A 雅月(マサキ)と言います。職業は何でも無く、刺激を求めて何でもやる人。退屈な本名。…どうぞ、もう名前は忘れてください。  僕と家族   ミドルネームがありますが、たまたま産まれてしまったので英国生まれの日本人です。三兄弟の長男です。  何やら歴史のある旧くマナーや生活の全てに厳しい家の、期待の長男でした。お父様は、お母様に家事一切をしないように家事係に任せていました。親の"アクセサリー"として相応しい、常に美しく上品に生きる事を子供達は強い

お父様に支配された、僕の狭い世界

 お父様からの助言(躾)は絶対的に正しい、それが世間の常識で、誰もが同じように家庭で学ぶべき事である。…それが精神的虐待なのかは今でも疑問だ。兄弟達は皆「お父様」「お母様」と呼ぶ、家族の誰に対しても丁寧語、敬語で話す。 幼少期の世界  僕には特別に秀でた才能がなかった。興味の全く向かない習い事をたくさんやらされた。スケジュールの殆どはレッスンや宿題で埋まっていた。  興味をもった事、初めて「楽しそう」と思えた事は乗馬だった。馬に乗って高い位置から初めて"お父様"の頭頂部を

働かず高卒で8億作るのに他人の話は不要

 noteが無い時代。「真実かは不明だが、有益かもしれない物」という意味で、怪しげな情報商材が当時のYahoo!オークションをはじめ、メールマガジン、他にも様々な形で売られ飛び交っていた。  「馬鹿馬鹿しい」と思いながらも、巧みなセールスの言葉、綺麗に"造られた"金持ちの画像、きっと騙されて買う人も100人に1人くらい居るのかもしれない、と様々な商材のレターを眺めて周り感心していた。今なら僕も似たようなものが作れるのかもしれない。  "パンフレットの悪魔"とでも云えば良い

「ママ」と呼ばれたかった「お母様」

 僕は、幼少期から成人した今でもずっと両親を「お父様」「お母様」と呼ぶように、そして必ず敬語で話すように教育された。  マナーは全て雇われた教育係に習った。周りが流行りのヒーローやヒロインアニメを観る中、習い事の詰め込みで、そんな自由もなかった。当然、幼稚園や小学校ではクラスメイトと流行りの話題には馴染めず浮いていた。  両性具有でありながら、家柄の為に僕は「長男」となった。幼い頃に性別を合わせる手術だけは、お母様が必死にお父様を説得し止めさせたのだと大人になってから聞い

縁側の香り、桜色のテディベア

 春になると思い出す事がある。曾おばあ様の葬送、僕がとても幼い頃の話だ。  葬列で柩を抱えた人達の後ろについて幼い僕は早足で歩いてゆく。「あの箱の中で曾おばあ様が寝ている」それしか分からなかった。  周りの人達の多くは外国人で、彼らの会話も葬式も当時の自分にはさっぱり分からなかった。きらきらとしたステンドグラスを眺めていた。  敬虔なカトリック教徒であった彼女は、故郷英国で永い静寂を望んだ。緑が特別に美しい4月だった。確か墓地の近くの桜も咲いていた。僕は兵隊を初めて見た

「好奇心」という病と嘘、札束心中

 バンドをやっている。昔はギターボーカルだったが、今はボーカルになった。結成時から今まで、ずっと休む期間なく続けてきた。  何枚もアルバムを出し、MVを出し、TVやインターネットTVにも出させていただいた。若手の頃はライブハウスで手売りしたり、メンバーと一緒に撮影できる権利を売ったりした。  ワンマンで1000席以上、2階以上のホールでライブが行える迄になったのは比較的早かった、丁度そんな時代だったのだ。所謂、黄金時代、黄金世代。更に大きく有名なホールや海外でもライブが出

死に遂げた部屋(事故物件)

※事故物件・死に関する実話です(写真はイメージです)  あまりに自分の話ばかり書くのも退屈なので、僕の不動産投資の仲間との少し最近の、そして一番他人の話を書き留める。詳しい日や場所は書かないでおこう、事故物件(自殺)の話だ。  友人が持っているアパートの一室で、故人は見事に死にきった。誰にも見つからず、自然に還ろうとするまで、この悲劇は沈黙を貫いた。  近くには独特な匂いの発生する施設があった。特別悪臭でもなかったのだが、一軒家は殆どなく土地も安く、お陰で市営アパートや