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#158 Stadion Maksimir

2011年3月19日、Dinamo Zagreb vs Hajduk Split

通算158回目のサッカー観戦。けれど海外はこれが初めて。

当時の私は19歳。幼いころから名古屋グランパスファンだったことで、ドラガン・ストイコヴィッチのキャリアに興味を持ち、旧ユーゴスラヴィアの歴史とセルビア・クロアチア語のほんの少しだけの知識を持って訪れた、旧ユーゴ諸国1か月のひとり旅。
これが初めての海外旅行。深夜、雪が降るベオグラードに到着し、あっさりと白タクにぼったくられたのが2月24日。ホテルでパスポートを預かられたことだけでも、ちゃんと手元に返ってくるのか不安で不安で仕方がなかった。

その日から約3週間、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロヴェニア、コソヴォを巡った。
サラエヴォ行きの列車で出会った内戦時の元兵士、内戦の痕が生々しいモスタルやヴコヴァル、まだ日本人もあまりいなかったドゥブロヴニク、震えるほど美しい冬のブレッド湖、一触即発のコソヴスカ・ミトロヴィッツァ、コソヴォではスロヴェニア兵に銃を向けられたこともあった。そして内陸セルビアやボスニアでは肉料理を、アドリア海沿いのクロアチアでは魚料理を思う存分食べた。レストランに入るだけでも毎回勇気を振り絞っていたのだけれど。
すべてが新鮮な経験で、もう2度とあの気持ちを味わうことはないのかもしれないなと思うと、寂しくもなる。そして、これを書くだけであのアドリア海が恋しくなる。
と、この思い出深い旅についてはまたどこかでゆっくり振り返りたい。

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さて、ここからが本題。
この試合は、コアなサッカー好きならご存知だろう、クロアチアダービーと呼ばれる、クロアチアで最も盛り上がる試合である。
幸運にも、当時通っていた大学に留学していたクロアチア人の友人が、この旅の数か月前に帰国しており、チケットの手配を頼むことが出来た。

席は、メインスタンドど真ん中。彼は、友人の伝手でタダで入手したと言ったが、あれは嘘だったと思う。ホスピタリティに溢れる彼らは、私を大歓迎してくれた。前日は朝4時までクラブで手厚いおもてなし(?)をしてくれたし、当日もいろんな友人を呼びに呼んでくれたものだから、外の露店でエドゥアルド・ダ・シルヴァのユニフォームを買って(もちろんパチもん)のスタジアムに到着したころにはすでに前半15分を過ぎていた。

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BBBのいないスタジアム

しかし、そこには想像していなかった光景が待ち受けていた。かの有名なDinamo Zagrebのサポーター集団(フーリガンと呼んだほうが良いかもしれない)、Bad Blue Boys、通称BBBの姿がない。本来であれば、裸になって騒ぎ、暴言を吐き、発煙等を焚いてピッチに投げ入れているであろう彼らの姿がない。
旧ユーゴのサッカークラブと言えば、クロアチアのDinamo Zagreb、セルビアのCrvena Zvezda (Red Star Belgrade)を思い浮かべる人が多いだろう。そして同時に、これらのクラブには、1990年の暴動を筆頭に、今日でも様々なトラブルを起こす、激しいサポーター集団がいることを思い出すはずだ。
※1990年の暴動の概要は下記リンク参照。なお、個人的にはこの事件を卒論のテーマとしたので、別途いつか記事を書いてみたい。

事前に本や友人から情報を仕入れ、スタジアムでBBBが見れることを楽しみにしていた私にとって、BBBがいないことはものすごくショックだった。対戦相手Hajduk Splitのサポーター、TORCIDA(こちらもこちらで度々問題を起こしている)は大挙して駆けつけていたものの、やはりBBBがいないのでは盛り上がりに欠ける。

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Dinamoが得点するたびにメインスタンドのファンもTORCIDAを煽り、Hajdukの選手が退場すれば「ツィガニ!ツィガニ!(ジプシーの意)」と叫び、試合も2-0でDinamoが勝利したが、やはり私の心の中のもやもやは晴れなかった。

「その日」にしか体験できないこと

友人によると、その日スタジアムにBBBがいなかったのは、クラブを私物化しようとする会長への抗議を示すボイコットのためだったようだ。
「彼らは気まぐれだから、次の試合はスタジアムにいるかもしれないし、いないかもしれない。正直分からない」と、友人は言う。

その時、サッカーには、2つの「その日」にしか体験できないことがあると気が付いた。

1つは、当然ながら試合そのもの。それまでも、Jリーグをゴール裏で観続け、試合展開に対して激しい喜怒哀楽を表現してきた。

もう1つが、"その日スタジアムを取り巻く雰囲気・緊張感・熱気"である。
私自身が、日本人として日本で生まれ育ったことももちろん影響しているだろうが、Jリーグの試合は、だいたい想像していた通りの雰囲気の中、毎試合開催される。一切映像を見ていない試合だって、おおよその観客動員数を当てられる自信もある。

だが、クロアチアは違った。その日のことは、その日になってみないと何も分からないし、そこで何が起きるか誰も想像がつかない。
そしてそれはクロアチアだけではなく、きっとヨーロッパの、日本では知られていないような辺境のリーグでも同じだと、なぜかそんな確信を持った。
心の中のもやもやは、なんだか得体の知れない、もしかするととてつもなく面白いものなんじゃないかと思い始めた。

当時の私は、サッカーの試合内容そのものが、サッカー観戦の楽しみの大部分を占めていた。だがこの経験を機に、もっと刹那的で、映像にもなかなか残らないような、そして言葉で言い表すのも時には難しい、スタジアムを取り巻くあの雰囲気を味わうために、旅に出るようになった。

選手のレベルもあまり高くなく、よく知らないチーム同士の対戦ゆえに、試合内容なんてこれっぽっちも覚えていないことばかり。それでも、どうしようもなく楽しい。気づいたら、もう虜になっていた。
デイゲームでは周りの観客に好奇の目で見られ、ナイトゲームでは、試合後に無事に宿にたどり着けるかどうか毎回心配になるけれど、それでも、2度とないあの雰囲気を味わうために、スタジアムへと足を運び続けた。

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BBBなきStadion Maksimirで感じたもやもやは、サッカー観戦の楽しみを何倍にも膨らませてくれた。そして今では、その国や地域の国民性(民族性)、文化、歴史を知りたければ、スタジアムに行けばいいと本気で思うような人間になってしまった。

…というわけで、これからはそんな私がこの後に観戦した、印象的な試合を振り返っていこうと思います。絶賛、昔の旅日記を掘り返しております。

最後に1つ豆知識。これを恒例にしたいと思います。
私がこの試合を観戦した2010-11シーズンは、1992年のクロアチア国内リーグ発足以来、平均観客動員数が最小の1,911人でした。一方、2010年のJ1は18,428人。実に10倍近い差!それなのに、というよりも、だからこそ?サッカー観戦の新たな魅力に気づくことが出来たのかもしれません。

Dinamo je plavi! Dinamo je plavi!! Šampion!!
(今でもたまに脳内再生される、Dinamo Zagreb勝利後に流れる思い出のチャント。その後も何回か聞くことになる)


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