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編集部が語る!「おいハンサム!!」と映画「怪物」とアンコンシャスバイアスと

突然だが、自分が正しいと思っていた先入観や価値観が何かのきっかけで崩れ、驚いたり、路頭に迷ったような経験はあるだろうか。

「正義や平和や幸せに至る正しい道を選択するのも、とても難しい。その最も大きな障壁になるのが、先入観と思い込みだ」

シーズン2が先日最終回を迎えたドラマ「おいハンサム!!」。
個人的にはシーズン1の第6話が好きなのだが、その中で吉田鋼太郎さん演じる伊藤源太郎もそう言っていた。ハンサム顔で。

「おいハンサム!!」では、そんなふうに「思い込みに気をつけろ」という教訓になるようなエピソードが度々出てくるので、その度にハッとさせられる。


※以降、「おいハンサム!!」のストーリーに少し言及します。これから視聴予定の方はお気をつけください。


「おいハンサム!!」における、先入観・価値観の「ぐらつき」


たとえばシーズン2の第4話でも、源太郎の会社と取引先とのミーティングで源太郎の部下たちが、先方のうち最も”若い女性”のことを当たり前に一番の新人だと思い込んでしまうのだが、その女性は実際は一番上の役職の社員だった、という一幕があった。

「女性だから、あるいは若いから下の位である」
部下たちが、意識的にそう蔑んでいた訳では無いだろう。
無意識下の偏見ーーいわゆるアンコンシャスバイアスなのだろうか。思い込みは良くないと思いつつ、自分に置き換えても勘違いしないとは言い切れない。


シーズン1でも時に登場人物達のそうした思い込みと決めつけによる摩擦が、コミカルに、それでいてリアルに描かれている。


父・源太郎と母・千鶴(MEGUMI)の三人娘、由香(木南晴夏)、里香(佐久間由衣)、美香(武田玲奈)。
そのうちの次女の里香は大輔(桐山漣)と結婚生活を送っていたが、その大輔、家事はしないわ文句を言うわ、更には不倫をしているという始末。

その結婚生活の一幕で、「タンメンが食べたい」と大輔が言うので里香が作ってあげるものの、「これはタンメンじゃない」と駄々をこねて機嫌を損ね、食べないで寝るというシーンがあった(ひどすぎる(泣))。

6話ではそんな大輔がラーメン屋でもタンメンを頼むが、出てきた料理に対して家と同じように「これはタンメンじゃない!」と駄々をこねてしまう……というのもどうやら大輔、「タンメン=ワンタン麺」だと思い込んでいたようなのだ。そして偶然居合わせた、源太郎の会社の得意先の社員にそのことを指摘されハッとする大輔。

「俺のタンメンはタンメンではなかった。他にたくさんのタンメンがあったのかもしれない」

「他にあったたくさんのタンメン」ーーつまり、自分の思い込みによっておきた里香との摩擦のことだろうか。そう内省するも時すでに遅く、結局里香と大輔は別れる結末となってしまう。
タンメンについては先入観というより勘違いに近いかもしれないが、その他の場合においても、「自分が正しい」というスタンスで常に里香と向き合い続けた結果である。

あるいは、路上ライブをしていたシンガーソングライターに惹かれ(?)恋人となる長女の由香。

はじめは ” 夢を持ってる人が好きって思ってた。学歴や職業にこだわらない人がいいって思ってた ” 由香だったが、
いざそんな“ 夢追い人 ”である人と付き合うと、たまには服を新調することを提案しても「俺は洋服にこだわらない人間だから」と突っぱねられ、「こだわらないということは、『こだわらない、というこだわり』が強すぎる人なのだ」ということに気づいてしまう。

先程までとの思い込みとは少し系統は変わるが、「こういう人が好き」と思っていた価値観がぐらつく瞬間であり、そんな時、その先何を基準に自分の「好き」があるのか考え直すきっかけになるだろう。



そしてそんな、「先入観や価値観のぐらつき」をドラマの登場人物の体験としてでなく、自分事として体感することになったのが、映画「怪物」だった。

「先入観の崩壊」を味わう新しい映画体験


大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、
そして無邪気な子供たち。
それは、
よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は
次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、
子供たちは忽然と姿を消した―。

(「怪物」STORYより)

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した本作。

脚本を手がけた坂元裕二さんのファンとしては公開後速攻で見に行った映画だったが、見終わったあとの率直な感想を語弊を恐れずに表現するのであれば、「体験型アトラクション」みたいな映画だったな、と。

詳細な言及は避けるが、映画を通して私たちは第三者の立場で登場人物の言動を断片的に見ることになる。その「誰かのある側面」を少し見ただけで、勝手にその人がどんな人なのかを、脳内で整合性が取れるように決めつけてしまうのだ。
いかに普段、それが無意識に行われているかを身をもって気付かされるという、今まで味わったことのない映画体験だった。
(見終わったあと、「え、やばいね……」と語彙を失ったし、見た人を見つけては「いや〜〜何から話す?」となっていた記憶(笑))

でもそれはおそらく制作側の意図通りであり、最初から事細かに設定が明かされずに先入観の崩壊を繰り返すからこそ、よりストーリーの深みに実体験として気づくことが出来た。

「おいハンサム!!」においても、源太郎の部下といい、大輔といい、由香といい、自分が正しいと思っていた先入観や価値観が崩れる体験が結果的にはマイナスには働いていない。
思い込みを思い込みだと気づく時、自分のことや相手のことを捉える解像度が上がってーー時にそれは過去の自分の過ちとも向き合うことになるかもしれないがーー結果的にそれぞれの成長だったり、より良い選択肢を選ぶ過程に、きっと繋がっているのだ。

私には現在推しているアイドルグループがいるのだが(唐突)、推す前までは「アイドルなんてキラキラして悩み知らず」と、深く知ろうとしないで勝手に当時のパブリックイメージからそんな偏見を持っていた。
ドキュメンタリー番組をきっかけにその偏見は崩れ、好感を持った瞬間に「なぜ今までちゃんと知ろうとしなかったのか」「過去の音楽番組でなぜ出演部分はカットしてしまったのか」とかなり頭を抱えたが、後悔先に立たず。私の過去は変わらないし、そのアイドルがそれまでの私を変えたということもない。
けれど、それ以降の生きがいにはなったので、あの時思い込みを捨てて魅力に気づけて良かったと思うことにしている。


「思い込みというのは恐ろしいぞ。娘たちを心配するあまり、娘たちの恋愛や結婚にまあ自分勝手に判断して色々口を出してきたが、もしかしたら大きな間違いを犯していたのかもしれないな。(中略)だから自省も込めてお前たちに先に謝っておく」

源太郎が、6話の最後で娘たちにそう伝える。
思い込みをしたり、偏見を持ったりすることは、したくてしているわけではない。人間誰しも自分の過去の経験則に基づいて、頭の中の整合性をとるために思い込むことがあるのは当たり前だ。

だから、きっとこれからも経験するだろう、そういう思い込みをすることも、それが思い込みだったことに気づく経験も。


それがどうか「新しい推しに出逢えた」みたいなハッピーな気づきであることを願いつつ、取り敢えずは映画「怪物」でその感覚を楽しもうと思う。
(文 タンタン)


▼「おいハンサム!!」シーズン1も2もお楽しみいただけます!


▼「怪物」の放送日時はこちら。ネタバレ回避で多くは語れませんでしたので、ぜひ…!

▼「おいハンサム!!」映画は6月21日公開!