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自己肯定とVtuber

※Vtuberに対してメタな発言や、ルッキズム的な話なっているかもしれないので、苦手な方はご注意ください。

自分のことを可愛い、あるいはカッコイイと思った事があるだろうか。
常時思う人こそ少数だろうが、例えば新しく買った服を着た時や、美容院で髪を切った直後、あるいは風呂上がり鏡に映った自分を見た瞬間。
世界一・宇宙一とは思わないでも、「イケてるんじゃね?」のような瞬間は多かれ少なかれ誰しもあると思う。
ただ、多くの人にとって、それを言葉にしたり表現することはタブーとされている。それは、「お前如きが何を言っているんだ」という相手の反応が怖い、恥ずかしいというところに起因していると思うが、私は自己を肯定することの眩しさ、美しさが好きなので本当のところを言えばもっとそう思っている・言っている人を見たい、というのが本音であったりする。
 そして、自分のことを可愛い・カッコイイと肯定するハードルを下げてくれる存在として、「Vtuber」というアイドルが生まれたと思っている。


アイドルについて、私は正直門外漢なので強いことは言えないのだけれど、「私可愛いでしょ」と口に出すアイドルは少数派に思える。もちろん、根底の部分に「私は可愛い」という思いがあるのは前提として、パフォーマンスで可愛さを表現する人はたくさんいるだろうが、それを言葉にしてはっきりと宣言する日本のアイドルはやはり少ないように感じる。それは、アイドルのように可愛い存在であっても、やはり上記のように他者との比較から「ハッキリとそれを口にする」という事のリスクと、精神面での羞恥が混在した結果だと思う。そして、「自分を可愛いとハッキリ言えるか」が一つアイドルになることへのハードルとなっているのも事実だろう。「アイドルになりたい」という思いは、まさに「お前如きが何を言っているんだ」の恐怖の頂点にあるようなものだからだ。
その点で、アイドルVTuberは己のことを「可愛い」と言う割合が高いように思う。これは、彼女達が強靭なメンタルを持っている訳ではなく、身も蓋もないことを言えば彼女達の見た目は「自分であって自分でない」からだろう。何だったら、彼女達の見た目というのは己の理想の姿であることもあるだろうし、既に用意されていた見た目であるならば、プロのイラストレーターやモデラーが作ってくれたある種「可愛さの極北」である。それを、むしろ「可愛くない」と言う事の方が失礼であり、何だったら、肯定することが普通な世界なのだ。
私はこの事実が多くのVtuberを生み出していると思っているし、Vtuberという文化の最も素敵で夢のある部分だとさえ、思っている。
アイドルになりたい女の子がいて、自分の「可愛い」を表現したいと思っていても、周りの目や比較のようなハードルが立ちはだかり、「アイドルになる」という選択肢を実際には取りにくい状況は多いと思う。しかし、Vtuberであれば、そのハードルは格段に低くなるだろう。個人であれば、自分の見た目をカスタマイズして、自身の「可愛い」を自由に表現できるし、同時に自分自身を肯定して活動を続ける事ができる。
今まで見た目に対するハードルによって、生まれなかったアイドルが新たに誕生し、自分を肯定しながらキラキラする人が増えていく事は私にとっての希望だ。多くの人がこれからも、自分の思いを自由に表現できる世界であって欲しいと願うばかり。

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