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「-ive aLIVE」はなぜ傑作なのかーー目的と手段のキアスム

ブルーアーカイブのゲーム内にて 4 月 24 日からイベント「-ive aLIVE」が開催されておりますが、みなさんストーリーは読みましたか?

ストーリー、めちゃくちゃよかったですよね。

三周年に開催された「陽ひらく彼女たちの小夜曲」のストーリーも、個人的には今回のストーリーと並ぶくらいとても好きでした。しかしこの二つのストーリーは、いずれが優れているということはなくとも、それぞれ別の方向に良さがあると思っています。

まず「陽ひらく彼女たちの小夜曲」は、ヒナを中心とする様々なエピソードを鑑賞する中で、物語が立体感をもって描かれていくという、いわば体験型のストーリーでした。ヒナをゲーム内で操作できるという点もそうした鑑賞体験を後押しするものだったと思います。言ってみれば、やや変化球的なしかたでストーリーの良さが味わえるというものでした。

他方で、今回の「-ive aLIVE」はそれとは対照的に、シナリオで殴りかかってくるような、ど真ん中ストレートのストーリーだったと思います。

今回のストーリーで個人的に面白いと思ったのは、物語において目的と手段とが不調和なしかたで入れ替わり、それによって物語の全体が進んでいくような構造ですが、しかも、その物語を押し進めていく力が、「目的と手段の交代」というメタ的な物語の構造に由来するものではなく、あくまでも放課後スイーツ部のメンバーそれぞれの性格や思考によるものでした。今回は、この「目的と手段の交代」という点から感想をすこしだけ語ろうと思います。

さて、今回のストーリーの登場人物は、大きく三つのグループに分けることができると思います。まず、ヒロイン・栗村アイリ、そしてヒロインとともに物語を押し進めていく、他の放課後スイーツ部のメンバー、最後にアイリの周囲でアイリを見守ったり助けたりする役割を持った椎名ツムギと私たち先生です。

しかしながら、物語の進行において大きな役割を果たすのはアイリと放課後スイーツ部のメンバーで、ツムギと先生は一歩引いた位置で、物語が進行していくことを見守る役になっていると言えるでしょう。例えば、やや物語を先取りしてしまいますが、アイリが失踪した後も、すべての事情を知っている先生はカズサから「先生、何か知ってるの?」と尋ねられますが、(何も話さないとアイリと約束しているということもあり)彼女達にはアイリから聞き知った事情を何も話さず、「アイリなら何も言わずに出ていくはずがない」とアイリの置き手紙を探し、アイリが彼女たちに語りかけることばでの解決を図っています。

そんな眼で見ないで……カズサ……。

話をストーリーに戻しましょう。今回のストーリーは「何でもない自分」ではない「何か」になりたい、という誰もが持っているであろう欲求を、アイリがバンドをすることによって実現しようとするところから始まります。

いいよ!!

しかし彼女たちは「放課後スイーツ部」でした。スイーツとバンドってなんの関係があるの、と至極まっとうなツッコミを受けてしまいますが、なんとトリニティ謝肉祭のオープニングライブの入賞者には伝説のスイーツである「フレデリカ・セムラ」が贈呈されるとのこと。これを聞いた放課後スイーツ部メンバーは本気でバンドを取り組むことに。

さて、ここで彼女たちの目的とそのための手段を確認しておきましょう。まずはアイリですが、彼女の目的は「「何でもない自分」から「何か」になること」で、彼女はそのための手段として「バンドをやる」ことにしました。またその際に、「セムラを獲得を目指すこと」という手段によって、「他のスイーツ部メンバーを勧誘する」という目的を達成しています。

しかし、アイリは「セムラを獲得すること」ということを手段としていたにもかかわらず、いつの間にかこれが彼女の中での目的と化してしまい、そのための手段として「みんなでバンドをやる」んだと考えるようになってしまいます。バンドの練習を実際に始めるまでに、すでに当初の目的は見失われてしまったのでした。そしてなお悲劇的なことに、アイリは、他のメンバーたちの目的も、「セムラを獲得すること」に違いないと考えるに至ってしまいます。

無地シャツバンドアイリはちょっとえっちじゃない?

他方で、鏡写しのように、スイーツ部の他のメンバーも徐々に当初の目的を忘れていきます。彼女たちの当初の目的は、アイリからの勧誘もあって「セムラを獲得すること」であり、そのための手段として「アイリとバンドをやること」でした。しかしながら、何度かバンドの練習を重ねた彼女たちは、すでにそうした目的を忘れてしまっています。アイリが「自分より上手い人を連れてこれば入賞に近づくだろう」と言っても、他のメンバーたちは心底理解のできないような反応をします。 

うっ……。

すでに彼女たちの目的は「アイリを含めたメンバーでバンドをやって楽しむこと」に置き換わっているのでした。

違うよね。

アイリと他のメンバーたちの目的が相互に一致しておらず、お互いについての理解が成り立たなくなってしまいます。そのため、他のメンバーたちばアイリがなぜ失踪してしまったか考えなければなりませんでした。そして、アイリがいつもと違う様子をしていたのは、「アイリがどうしてもセムラを食べたかったのだ」という(とんちんかんな)結論が出されます。

アホで可愛い。

こうなると「アイリといっしょにバンドをする」という目的を達成するのは簡単で、「セムラを(非合法的な手段で)獲得」しさえすればよくなります。当初の最終目的であり、本来は遠いものであるはずのセムラを、武力を行使することでむりやり手段へと転倒させてしまう、というのはブルーアーカイブの世界の治安の悪さ透き通った世界観を端的に表しているようでとても面白いと思います。

このように、アイリとスイーツ部の他のメンバーの間では、「セムラ」と「アイリ/スイーツ部の他のメンバーとバンドをやること」という項に、何度も目的と手段というラベルを貼ったり剥がしたり、また貼ったり、ということが繰り返されます。アイリはスイーツ部の他のメンバーの目的を(おそらく)誤解していましたし、またスイーツ部の他のメンバーもアイリの目的を誤解している、というとっ散らかり様です。物語の終結部を除いて、どの時点をとっても「アイリ自身の目的」、「アイリが理解する限りでのスイーツ部の他のメンバーの目的」、「スイーツ部の他のメンバー自身の目的」、「スイーツ部の他のメンバーが理解する限りでのアイリの目的」という四つの項はすべて食い違っています。こうした混乱の中にあって、アイリの眼には誤解はシリアスに、悲劇的に映ります。しかし、これが純粋な悲劇にならず、物語が苦しみ一色にならないのは、アイリとは強く対照的に、他のスイーツ部のメンバーの視点ではこの目的の食い違いがコミカルに、陽気に描かれるからでしょう。

では総括して、今回のストーリーを特に優れていたものにしていたものは何なのか。「何ものかになりたい」という私たちにもよく知られた欲求にアイリが向き合ってそれを受け入れるという、いわば悲劇的な筋だけではなく、そこに入り込んでくるスイーツ部の他のメンバーたちの間で生じる喜劇のような筋、そしてこうした二つの筋が鏡あわせのように、あるいはそれこそ結成したてのバンドのように、一方が他方に合わせようとすると、他方も同時に一方のほうへと合わせようとし、けっきょく噛み合わず、不協和音を奏でてしまう、という微妙で複雑なバランスを描いている、という点だと私は考えています。シェイクスピアか?

さて、物語全体を通して長く響いていた目的と手段のこうした不協和音は、スイーツ部のメンバーの間のコミュニケーションによってとうとう解決に向かいます。嬉しいですね。こうした解決は、アリストテレスの『詩学』やコード進行の理屈を持ち出すまでもなく嬉しいことです。

素直なヨシミ……好(ハオ)……。

ところで、最初にも少し述べたように、こうした不協和の解決において、先生やツムギの声は基本的には彼女たちに影響を与えていないでしょう。放課後スイーツ部が彼女たち自身の力で困難を乗り越えてゆくかたちになっているでしょう。特に先生は、困難の解決のために何か非常に重要な役割を持っているのではなく、ただ彼女たちを見守る役割であるということは、以前書いた Constant Moderato というタイトルから読み取れるブルーアーカイブの本質的なありかたに非常によく適っている思い、少しうれしい感じがしました。

僕等は優しく見守る。

今回は目的と手段ということにこだわって「-ive aLIVE」のストーリーの感想を書いてみました。が、これ以外にもたくさんの読みかたがあるでしょうし、また今回取り上げなかったシーンも素晴らしいものばかりです。この感想が、「-ive aLIVE」を楽しむうえでの一助となれば幸いです。

最後にもう一つ、このストーリーの良さを引き立てている重要な要素があります。

ウオ〜〜〜〜!! 可愛い!! 萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え!!!!

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