(裏方)保育士徒然闘病日記 3話

診断書を提出して面談した時の事だった。

「発達障害なんて隠れ蓑なんでしょ?」

私の頭の線が焼き切れる感覚と同時に怒りが湧いてきた。

この際だからはっきり言える。
隠れ蓑なんかじゃない、3年前から診断が着いていたのに貴方は「他の生徒の方がその傾向がある。だからお前は発達障害じゃなんかじゃない」って

生きていてずっと苦しい理由なんだったんだろうと思った原因は結局は発達障害もとい「自閉症スペクトラムに伴う知的障害」と病院から診断書された公式の結果なのだから無理に認知しろとは言わない。仕事をサボりたい理由なんじゃないか?辞めたい理由なんじゃないかって邪推される方がはっきり言って苦しいし悲しかった、今になって思う。

「保育士になんてなるんじゃなかった。」

親には良い顔しておいて当の本人にはそんな事普通言うか?

昔っから思うのだ。

「子どもはみていないだろう」

「親が知らないから叩いたり殴ったりしてもいいや」

教師をしている人達に問う。

「子どもはぞんざいに扱っていいのかい?」

私の結論ははっきり出てきている。

「親の目の前でいい振りしていようが子ども達や生徒達の方が良く見ているんだよ。」

良いように扱おうなんて思わない方がいい、その内ボロが出るのは子ども達や生徒達、利用者達をぞんざいに扱ってきた人達なのだよ。

今でも思い出すと吐き気と怒りが湧いて出てくる、
自分の生きずらい結果をずっとなんだろうと考えていたら自分の場合は「発達障害」ってものだったからだよ。

その後、自分の親と前園長と面談をした。そのまま仕事に居ることになった。

この後もっと後悔することが出てくる。

その年の8月、自分は裏方で仕事することになった。

その園長の時はちゃんと理解もしてくれたこと今でも感謝してもし切れないし、なんならうだつが上がらないからだ。

その1年後、前園長は他の系列園へ移動する事となる。

しかし、自分が思っていた様に仕事が出来ていた時はとても良かった。

理解しているからこの人の方がいいだろうなんて言いながら知り合いの園長に託したのが問題だった。

なんでかって?

その園長が来た時に業務内容が全くと言っていいほど変わってしまった事と、どこまで自分の障害が知れているのかがはっきり分からないからだ。

それと、どうも裏でもっとヤバいこと言っているのを聞いてしまったからだ。

その人曰く、「表は保育士、裏では保育補助」これじゃ名前をどっから借りてきたのと一緒じゃないか、それを行政にそのように届出を出しているように話をしている時点でマズイと思ってしまった。

この話をしても誰からも信じては貰えない。
分かってる、真実なのに話しても「そんなの嘘だよね」って言われるのがオチ、それは自分でも知ってんだ。

その時期と同時に別の病魔が襲うのだった。

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