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手紙 〜私が推しに送ったファンレターの記録〜

「想いを伝えることができなければ、想っていないのと一緒」という言葉を誰かが言っていたような気がする。この定義が間違いでないならば、思いを言葉にして相手に届けることができなければ、想い続けることには意味がないということになってしまう。果たしてそうだろうか。
 世界の形は変わり続けている。しかし、世界の形が変わり続けても、形が変わり続ける箱の中に、あふれんばかりに存在している大切なものは決して変わることは無いと信じたい。
言葉ではいいあらわすことができない、簡単に言葉にしてはいけないような気持ちさえする、なにか。触れることはできなくても、人間が大切に、時を超えて運び続けてきたもの。
私には推しがいる。私の推しは男性アイドル。私の趣味はそんな推しの彼を推すことである。それ以外の趣味は特にない。というか人生の推し活以外の行動は正直どうでもいいし、推しの為だったらなんでもすると決めているので、特に楽しみなどもない。友達も推し活を一緒にする友達以外はほとんどいない。もちろん恋人もいない。恋人がいたこともあったが、デートと推し活と比べたときに、デートのどこが楽しいんだろうと思ってしまい、心から相手を好きになれないまま別れた。推しに会うことだけが私の生きがいであり、推しに逢えないなら仕事をする意味がないし、生きている意味もよくわからなくなってくる。推しをお持ちの方なら共感してくださると思う。
 しかし、推しがいない人によく「推しを推して何の意味があるの?」と質問されることがある。推しというものは正確に言うと永遠ではない。ただ、永遠を夢見させてくれる存在だとは思う。だから私は、推しを推した先に何かがあるのではなく、今推しを推すという行動のそれ自体に意味があるんだと思いたい。推しがいる人の心の中に存在している推しは、ありのままの推し本人の姿ではないことが多い気がする。自分が思い描いている最大級に輝いている推しの姿がそこにはある。欠点なんて何一つない。仮に欠点があったとしても、それも愛しいものとして変換される。ある意味自分の理想像を自分の心の中で作り出し、それを推しというスクリーンに投影しているとでも言おうか。見えるものがすべてとは限らないが、見えぬものが必要とは限らない。
 つまり私が毎月推しに手紙を欠かさず送り続けているのは、単なる自己満足にすぎないのである。そんなことは初めから理解している。基本的に世の中の推しという存在の多くは、日々多忙を極めている。だから読んでくれているかどうかも、そもそもちゃんと届いているかもわからない。手紙を送り続けた先にはきっと、何があるというわけでもない。それでも推すこと自体に意味があるということを信じて、手紙を書き続けることに意味があると言い聞かせる。だから私は、今月も封筒と便箋と切手を用意する。
 限りある人生を送った先には必ず終わりが待っているらしい。長ければ楽しいわけでもないし、太ければ正しいというわけでもない。そんな正解のない人生の中で、私は推しに手紙を書くことをある種の習慣とすれば、人生を今よりもほんの少しだけ明るく、意味のあるものにできるのではないかと思った。何千分の一の平凡なファンレターに過ぎなくたって構わない。私の推しはそんなひどいことするような人ではないが、仮に全く読まずに捨てられていても構わないと思った。手紙を書いている間は唯一、どこで何しているのかもわからない推しとつながりを感じることができるように思えた。だから私は、完全なる自己満足で推しへのファンレターに全力を注いでいる。数ある推し活の中で、推しに逢う当日のメイクの次に力を入れている。本当に。
私の推しは、この人ならついていったら楽しそうだなと思える人だった。完ぺきではないし、何かが一番というわけでもないと思う。でも、正しくなくても、正しいと思える心を持っていると思った。自分の笑顔を誰よりも引き出してくれて、純粋でまっすぐで子供みたいに向上心を忘れずにい続けている人だなと思った。暗いトンネルをさまよい続けているような私の人生にずっと寄り添ってくれるような存在だと思った。ふとした時に会いたくてたまらなくなる存在だった。そんなことがアイドルにとってどれだけ大切なことか、教えてくれたような気がした。
だから私は今日もペンを握る。ごく普通のファンレターを書く。想いが伝わっている確証を得るのがどんなに難しいとしても、伝わる想いというのは少なくともまだこの世界に存在しているのではないだろうか。今も形の変わり続けるこの世界に。

私の推しを彼への配慮の念を込めてこの記録の中ではt君と呼ぶことにする。













一番最初の手紙

〇月21日 t君へ

t君のファンになってから初めてお手紙を書きます。先週の舞台を初めて見に行ってとても感動しました。初めてt君を好きになってから会うことができてとても嬉しかったし、実際に見たほうが圧倒的にかっこよかったです!t君は歌とダンスも素晴らしいですが、とにかく演技がすごくて、一つ一つのセリフを大切にしているんだなあと思いました。でもアドリブ的なところでは全力で笑わせてくれて、とても面白かったです。普段は静かなt君が舞台の上だとすごく生き生きしていて輝いて見えて、こっちも嬉しくなりました。
あと、カーテンコールでの話や笑っているところを見て、周りの役者さんからも愛されているんだなあということがしみじみと伝わってきました。こんなにお芝居がすごくて、誰からも愛されているt君のファンになれたことがとても嬉しいし、誇らしく思います。まだまだ舞台は続いていて、これから地方公演もあってどんどん忙しくなるかと思いますが、体調に気を付けてください。千秋楽まで無事走り切れるように祈っています!がんばってください!
すごく個人的なことですが、どうしても伝えたいので話させてください。私がt君を好きになったきっかけは過去にテレビ出演した時の、ダンスしている姿を見たことです。もちろんグループのみんなダンスが上手で、パフォーマンス自体が一つのエンターテインメントとして見ていてとても楽しいし、歌もうまいし、笑顔が素敵で、みんなかっこよくて全員のことが本当に大好きになりました。そんな中で、気づいたら私はt君のことが大好きで推しになっていました。t君はどの歌番組の映像を見返しても、気づいたらついつい目が行ってしまう存在です。特にパフォーマンスが突出して優れているとかそういうわけではないのですが(とっても上手だけど!みんなうまいという意味で!)ソロのフリーパートなどの独特なポーズや、一瞬抜かれたときに、私に微笑んでくれているんじゃないかと思ってしまうような自然で柔らかい微笑み方が大好きでつい見返してしまいます。たまに急に抜かれて照れているような顔もたまらなく大好きです。きっといつでもファンのことを想いながらパフォーマンスしているんだろうなあと思って見ています。
ブログにもいつもファンへの感謝の言葉があふれていて素敵だなと思いました。そんなファンへの愛があふれているt君の言葉にみんなはとっても喜んでるし、どんどん好きになっていると思います。もちろん私もその一人です!普通だったら言いにくいようなことや、感謝の気持ちを定期的に伝えてくれるのは、すごく信頼できるし尊敬できます。t君は私にとって大好きな人だけど、自分の目標というか、憧れの存在でもあります。t君みたいに素直に気持ちを伝えることができて、優しくて暖かい人に私もなりたいなあって思います。だから、t君はきっとファン以外の周りの仲間や先輩、後輩からも愛されているんだろうなあと思います。友達が少ない私にとってはそんな部分も含めて憧れの存在です。本当にt君のファンになれてよかったと思っています。

最後にどうしても書きたいことがあります。先週の舞台前、私は会場の周りをひとりで散歩していました。そしたら、きっとt君は覚えていないと思うけど、私はt君とすれ違いました。t君がブログに挙げているいつも通りの私服を着ていたのですぐに気づきました。私は平然を装うためにまっすぐ歩いていましたが内心混乱してて、どうしてもt君から目が離せなくなりました。そしたら間違いなく隣で一緒に歩いている人と会話しているt君の声が聞こえて、私がt君を見ていたから目が合って、何が何だかよくわからなかったです。そのあとの記憶はほぼないけど、目が合った瞬間のt君の顔は何とか覚えています。私にとって初めてt君と会ったのがこの場面で、推しとこんな出会い方ってある?と思い驚きすぎています。多分私にとってこれが、人生で最も幸せな瞬間の始まりだと思います。だから、私はこの幸せだった瞬間を心にとどめておこうと思います。すごくすごく幸せでした。こんなことを言うのは早すぎるかもしれないけど本当に、生きててくれてありがとうございます。これからも応援し続けるので、無理せず頑張ってください。大好きです。

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