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「天才たちの日課 女性編」エネルギー、エネルギー、エネルギー!

「天才たちの日課 女性編」(フィルムアート社)は、メイソン・カリーが、「天才たちの日課」を出版後、「収録されている天才たちの中で、女性たちが少なすぎる」ということに気づき、あらたに、「女性だけ」にしぼって書いたものである。

作家、詩人、画家、学者・・・さまざまなすぐれた女性の日課を知ることができるが、この本を読んでいて感じるのは、とにかく、彼女たちのエネルギーの量の多さだ。

たとえば、マレーネ・ディートリッヒについての、イーディス・ヘッドによる、こんな証言。

「彼女はものすごく自分に厳しくて、エネルギッシュだった。一日中、くたくたになるまで働いて、ほんのちょっと休憩したら、なにかを修正するためにまた一晩中働くことができた。一度、三十六時間ぶっとおしでいっしょに仕事をしたことがあるー月曜の早朝から火曜の夜遅くまで、水曜の夜の撮影で彼女が着る衣装を装を用意したの。〔・・・・・・〕あのスタミナと意志の強さには驚いた。」

そういえばディートリッヒが亡くなったとき、遺品の中からほかの女優の悪口を書いたものが見つかった、という記事を読んだことがある。
今、記事が手元にないので記憶を頼りに書くと、カトリーヌ・ドヌーヴの写真の、彼女の足の部分を矢印で示して、「なんて醜いの」と書き込んであったり、エリザベス・テイラーに対しては、「ダイヤモンドを口に含んで死ね」とかなんとか。
(悪口を言われたほうは、「ふーん、だから何?」というところかもしれないが)
とにかくディートリッヒは、仕事においても、何においても、尋常ではなかったのだな、と思う。

それから、スーザン・ソンタグ。

「ソンタグの成功は、無尽蔵とも思える彼女のエネルギーによるところが大きかった。ニューヨークに着いた瞬間からあらゆる本を読み、あらゆる映画をみて、あらゆるパーティーに顔を出し、あらゆる会話に加わろうとした。ある友人は冗談半分で『〔ソンタグは〕一週間に日本映画を二十本みて、フランスの長編小説を五冊読んだ』といっている。また、別の友人は『〔ソンタグにとって〕一日に一冊本を読むのは難しいことではなかった』といっている。」

そして、彼女自身が日記に書いた言葉。

「私がほしいもの。それはエネルギー、エネルギー、エネルギー。心の気高さや平穏や知恵なんてどうでもいいのよ、ばかたれ!」

その人が、「一日、もしくは一週間のうちに何をやったか」、そのリストを見せられるとこちらは、「はあ、すごい」と思うけれど、やっている本人は夢中であって、自分がどれだけのことをしているかいちいち把握していないし、そんな自分を「すごい」とも感じていないのではないか。
座って考え込んでいるあいだに、エネルギーは逃げていく。そんなことをしている暇があったら動く。動くことによって、さらにエネルギーが湧いてくるのだろう。

そして、ルイザ・メイ・オルコット。
「オルコットは大変な創作エネルギーにあふれ、なにかに憑かれたように、食事もせず、寝る間も惜しんで書きまくった。」として、「若草物語」のジョーが「全身全霊」で執筆する様子が引用されている。オルコットがどのように書いたかをもっとくわしく知りたければ、「若草物語」「続若草物語」を読んだほうがいいかもしれない。(もちろん、オルコットのほうはジョーと違って、センセーショナルな小説も書いていており、その創作活動に関しては相違点もあるわけだが)

ちなみに私は、ジリアン・アームストロング監督の「若草物語」で、ウィノナ・ライダー扮するジョーが、べスの死にめげず執筆に励むところが好きである。
ペンを持ち、原稿に文章を書いてゆく。カリカリと、ペンの音がする。何日も、何時間も書き続ける彼女。
女性の作家が(男性ではなく、女性限定)登場する映画などで、彼女が熱心に執筆するところ、そして完成し、「できたわ!」とつぶやくシーン、けっこう、あると思うのだが(メアリー・シェリーの人生を描いた映画、「メアリーの総て」にもあったと思う)、私は、なぜだろうか、いかにも、という感じでのこの、「できたわ!」のシーンが、けっこう、好きなのである。
やはり、創作に夢中になっている女性の存在そのものに、惹きつけられるからだろうか。











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