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何度でも読み返したい、そして、ドラマのほうも何度も見たい、アガサ・クリスティーの「動く指」

傷痍軍人のジェリー・バートンは、静養のため、妹のジョアナとともに、小さな田舎町にやってくる。彼らはある邸宅を借りて新生活に入り、隣人たちとの交流もはじまる。
しかし、そんな矢先、町の住人達に誹謗中傷が書かれた手紙が送られるようになる。
そしてその後、弁護士の妻が自殺しているのが発見される。どうやら、手紙を受け取ったことが原因らしい。手紙の主は、いったい、誰なのか?そして、この事件の真相は?

「動く指」には、真犯人が意外な人物だとか、ミス・マープルが大活躍をするとか、大胆なトリックだとか、そういうものは、はっきり言って、ない。

しかし、それでも十分おもしろいし、個人的には、クリスティーの作品ベスト3に入るくらいなのである。

何が魅力なのか、といったら、まず、登場人物が個性的であること。そして、彼らのセリフが生き生きとしていて、私ははじめて読んだとき、いちいち、鉛筆で印をつけずにはいられなかったほどだった。

まず、物語の語り手であるジェリー・バートンの妹、ジョアナ。
ジョアナは兄のジェリーから、もうちょっと目立たないようにしたほうがいい、と言われるくらいに派手でおしゃれで、田舎町の人たちから好奇の目で見られることを楽しんでいるようなところがある。私が見たマクイーワン版のドラマでは、エミリア・フォックスという女優がジョアナを演じていた。真っ赤なボブヘアが、印象的だった。

彼女は、誹謗中傷の手紙が自分たちのところに届いても怖がりもしない。それどころか、「神経の太い彼女は驚くどころか、すっかり喜んでしま」うのである。

嫌なことがあった日など、ジョアナは、「今日はついてないわ」とふくれ、「庭へ出て、虫でも食うことにしようかな」などとつぶやく。
ハヤカワ文庫のアガサ・クリスティー百科事典を見てみたら、ジョアナは、ジェリー・バートンの項の中に、「彼の妹」として組み込まれてしまっている。最後の最後まで、きつい冗談をかまし続けるこの素敵な女性のために、多めにページをさいてもいいくらいなのに。

そして、ミーガン・ハンター。
彼女の両親は離婚しており、母は弁護士と結婚するが、自分はその継父に疎まれている、と感じており、家族の中で孤立している。学校は卒業したが、何もしていない。ぼさぼさ頭でだらしのない恰好をし、二十歳なのに、十代のように見える。

彼女はジェリーの足元に、「自転車から転げ落ちるように停ま」る、というお笑い芸人のような登場の仕方をする。
以下は、そのときの、ジェリーのミーガン評である。

「今朝彼女をつくづく見直した感じでは、彼女は人間よりもむしろ馬に近かった。じっさい彼女が馬なら、ちょっと手入れをすればすばらしい馬になれただろう」

彼の思ったとおり、この娘は、最後に「すばらしい馬」に変身を遂げる。「動く指」は、そういう意味では、「少女マンガ」なのだ。

一方で、魅力的、とは言えないけれどアクの強いキャラクターもぞろぞろ登場する。
ぶらぶらしているミーガンに何か仕事をさせようと、彼女を見かけるたびに説教をしたがる、エメ・グリフィス。その弟で、ジョアナと会うとなぜか道の片側によける、医師のオーエン・グリフィス。牧師の妻で、「歩くというよりも襲いかかってくるような感じ」で、近寄ってきて大きな声でしゃべるデイン・カルスロップ夫人、などなど。
アガサ・クリスティーは、こういった、「近所のちょっと嫌な感じの人、変な人」を書くのが、本当に、うまい。

さて、では、ミス・マープルは、というと、彼女はかなり後半にならないと出てこない。
しかし、さすがにドラマのほうでは、序盤から登場する。隣近所の人たちのお茶会に出席して、くつろいで、楽しそうにおしゃべりしているのだ。まあ、当然だろう。

「動く指」にかぎって言うと、もう、誰が殺されたとか、誰が犯人だとか、どうでもいい、と私は思っている。
私は、登場人物たちの交わす会話を楽しむために、そして、彼らの住んでいる小さな田舎町の雰囲気を味わうため、これから何度も、この小説を読み返すことになるだろう。
私にとって、この作品の舞台リムストックは、どうやらある種の理想郷として、心の中に刻まれてしまっているようだ。








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