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誘惑者ナタリー・バーネイの華麗な人生

ナタリー・バーネイは1876年、アメリカに生まれた。父親は、鉄道会社の社長であった。
彼女は作家であると同時に、文学サロンの中心人物でもあり、ヨーロッパを中心に大勢の女性たちをとの恋愛を楽しんだ誘惑者でもあった。

「レスボスの女王 誘惑者ナタリー・バーネイの肖像」(国書刊行会)には、彼女の長い生涯が記されている。「この誘惑者の人生は、常に多くの天からの賜物に彩られていた。それはあたかも天が、1世紀に3、4回、この世に送った人間の1人に、あらゆる望みを特別に叶えてやろうとしたかのようであった」と、著者は書いている。

ナタリーは子供時代、田舎の美しい家でのびのびと過ごし、フランス人の家庭教師にフランス語を学んだ。彼女にとって、「フランス語を話すことは遊びと同じ」だった。
彼女は十二歳の頃から、自分が女性を愛していることを知っていた。

「そしてかたく決心したのです。自分の好みを曲げられはしないって」

ナタリーは、1892年、家族とともにホワイトハウスに招待され、その席で美しい大統領夫人に、「ああ、奥様、大統領は代わっても、ホワイトハウスの女主人はいつまでもあなただったらよろしいのに!」と言い、相手と、そして家族を戸惑わせる。

自分自身を知っている、ということは、「自分がどうしたいか」、また、「自身の個性と魅力」、そしてその「使い方」を熟知している、ということである。
そのことは、自分の中に磁石を持っているようなものであり、この磁石を持っている人間にとっては、好きなものを引き寄せ、外側に自分の世界を創造してしまうことなど、簡単なのである。

クルチザンヌのリアーヌ・ド・プージィ、詩人のルネ・ヴィヴィアン、画家のロメーン・ブルックスなど、ナタリーの磁力に惹きつけられた女性は大勢いるが、ナタリーが魅了したのは、女性だけでない。
1910年、レミ・ド・グールモンはナタリーに出会い、彼女に夢中になる。彼は彼女に、「私があなたを崇拝するのは、お気に召さないでしょうか?」と聞く。

「もちろんナタリーは、崇拝されるのが好きである。(略)だが、そのために絶えざる狩猟が邪魔されてはならない」

ナタリーは、崇拝されるのは好きだが征服されることはないのだ。その後、レミは病に倒れ亡くなるが、ナタリーは葬儀に出ず、レミの弟に、自分がレミに送ったランプを返してくれと頼むのであった。

ナタリーにとっては、恋愛をするのに年齢はまったく関係ない。彼女は82歳の頃にジゼルという女性と出会い、恋に落ちる。ジゼルはこのとき、58歳、そして、結婚しており夫がいた。
夫は、しばらく2人の仲を疑うことがなかったが、やがて、真実を知ることになる。「どうか私の妻に構わないでいただきたい」と頼む彼にナタリーは、言う。

「それはわたしくしの台詞です。あなたこそ奥様に構わないでいただきたいのです。それにわたくしに、決してそんな話し方をなさってはいけません。お忘れのようですが、わたくしはアマゾンの女、勝利はわたくしのものなのです」

この3か月後、ジゼルの夫は死に、そしてナタリーとジゼルは一緒に暮らし始めるのである。

1970年、ロメーン・ブルックスが亡くなったという知らせを受けて、ナタリーは「目立って衰える」と書かれている。しかし、私はこのとおりに受け止めることがどうしてもできなかった。この2年後、彼女が96歳で亡くなることを考えると、むしろ、かつての恋人のことを忘れず想い続けているそのエネルギーのほうに目がいってしまう。少しも、衰えていないではないか?

先に、ナタリーの人生は天から特別にあらゆる望みを特別に叶えてやろうとしたかのようである、という文を引用したが、彼女に言わせれば、そうではないかもしれない。
「こういった人生を歩むことを許可したのは天ではなくわたくし自身です、そしてわたくしが自分の人生のすべての創造主です」、と、言うのではないだろうか。


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