ないものねだり、あいぞうねたみ
絵が上手く描ければいいのに。
文章が上手く書ければいいのに。
筆が速くなればいいのに。大作を生み出せるようになればいいのに。数生み出せるようになればいいのに。多くの人の目に留まればいいのに。高く評価されればいいのに。
ないものばかり強請って、ワガママね。
足が速くなればいいは、小学生の時に望まなくなった。
足が速ければ運動会で注目を浴びることができて、鬼ごっこでいつも勝つことができて、テストでひどい点数を取っていても人気者になれた。
でも、自分には運動が向いていないと気がついたから、昼休みに無理してみんなと鬼ごっこするのをやめて、自由帳にお絵描きをした。
頭が良くなればいいは、中学生の時に望まなくなった。
頭が良ければ期末考査の学年順位で注目を浴びることができて、突然先生に指名されてもさらりと答えを返すことができて、体育が苦手でもテスト前は皆に頼られる存在になれた。
でも、自分には学校の勉強が向いていないと気がついたから、無理に早朝からひとりで勉強するのをやめて、大学ノートに小説を書いた。
顔が良くなればいいは、高校生の時に望まなくなった。
顔が良ければ同じ制服を着ていても注目を浴びることができて、人に頼み事をしてもすんなり引き受けてもらうことができて、書類審査結果があまり良くなくても面接での印象で勝ち組になれた。
でも、自分には外見磨きが向いていないと気がついたから、無理にメイクやファッションを学ぶのをやめて、ルーズリーフに創作の設定資料を書いた。
違うんだよ。
ないものを強請っているんじゃないんだ。選んだものなのに足りないんだよ。
みんなが昼休みに外で遊んでいた分、放課後に塾で勉強していた分、休日にアパレルショップで買い物していた分、ずっと白紙に向かってありもしないものを考えてきた。時には馬鹿にされたし汚されたけど、ずっとずっと続けてきた。
創作が好きだから。
それが唯一、ワタシに向いていることだったから。
だから。
なのに。
それなら、もっと絵が上手くないとおかしいんじゃないか。もっと文章が上手くないと割に合わないんじゃないか。
ワタシは今まで、何をしていたんだ。
線画すら上手く描けない。短編すら掲載できない。
いいねが10を超えたら小躍りするなんてちっぽけだ。知り合いにわざわざアピールするなんて貪欲だ。そのくせお題や締切のあるものには応えられないなんて、無能でしかない。
今日もTLに素敵なイラストが流れてきて、でもそれを描いている神絵師は、自分より年下だと判明した。
何千何万のブックマークがついた小説を見つけて、さぞ人気の作家さんなんだと思えば、それが初投稿だった。
なんだよ。
結局才能ってやつですか。それとも売り込み方ですか。たくさんいいねもコメントももらって、次回作も期待されているんですか。承認されて幸せですか。望まれて生きるの楽しいですか。最近始めたただの趣味で掴んだ成功はどうですか。
愛しいはずの作品たちが、どんどん憎くなる。憧れて眺めていた相手に、次々妬みを持つ。
ワタシが自ら作り出した泥沼のコミュニティに囲まれている間も、あの時注目されていたあの人は、平凡ながらも幸せそうに生きている。
昼休みに「いーれーて」って言えばよかったの? 放課後に「ちょっと教えて」って言えばよかったの? 休日に「ワタシも行きたい」って言えばよかったの?
そんなこと、今だって微塵も望んでないくせに。
こんな風になりたくて選んだんじゃない。こんなことのために続けてきたんじゃない。
どうして描いた世界のように幸せになれないの。
あぁ、きっと上手く書けないからだ。
上手くなりたい。
認められて生きていたい。好きなことで望まれたい。ワタシがワタシであることの意味をください。
ないものねだり
あいぞうねたみ
さいせいねがい
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