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『ごめんねFingers crossed』/乃木坂46の歌詞について考える

27thシングル『ごめんねFingers crossed』の歌詞について考える、まず冒頭文のつもりで(遠藤さくらちゃんの)パフォーマンスについて書いた。

ら、長くなったので一旦公開、その後続けて書き進めてみたらやっぱり長くなったので、結局タイトルを変更しつつページを分けることにした。

期せずして違うシリーズが出来たのはさて置き、これ↑でざっくり挙げた『ごめんねFingers crossed』の歌詞のポイントは以下の3点である。

●『ごめんねFingers crossed』は「卒業ソング」

● 他の収録曲と合わせるとより"本心"がわかる

● 上の世代と下の世代を繋ぐ〈光〉三部作?

これらを基に見出しにし、それぞれ以下から書いていく。

※ 一つ目、「卒業ソング」というより「卒業シングル」とした方が言いたい事に合っているので早速変えます。

『ごめんねFingers crossed』は「卒業シングル」

まずもって、『ごめんねFingers crossed』は所謂「卒業シングル」である。この曲には去る者に対する見送る(残される)側の視点が描かれている。

言葉にできないこの気持ちをそっと
さよなら
君の幸せをずっと祈ってるよ
ごめんねFingers crossed

「卒業シングル」であるとはつまり、『ハルジオンが咲く頃』『サヨナラの意味』『帰り道は遠回りしたくなる』『しあわせの保護色』などに連なる楽曲、ということだ。

これらの曲は、卒業する当事者(=センター)の名を挙げて「●●の卒業シングル」と言われることがある。むしろ、その曲・シングルがそもそも「卒業シングル」であるかないか、卒業を発表していたメンバーがセンターに選ばれることでそう認識されるようにも思う。

その考え方に準じれば、『ごめんねFingers crossed』は4期生・遠藤さくらちゃんがセンターを務めており、定義には合わなそうである。

だがそうじゃない。センターが誰であるかではなく、その時期のグループがどうあったのか、というところがキモである。

以前書いたnote(をまとめたマガジン)。特にコイツを読む必要はないんだけども、その中で書いた「乃木坂46のシングル曲は、リリース時のグループの現状を反映して描かれている」という考え方をここでも用いたい。

例えば、デビューしたてで乃木坂46というグループ・メンバーの素性が世間に伝わっていない頃、そんな未知さを「男子の知らない神秘的な女子の世界」として切り取った『ぐるぐるカーテン』

グループが確立してきた頃のメンバー増員に際し、新メンバーに向けられた懐疑的な視線や決めつけ、不穏な雰囲気を、恣意的にマイナー調へと落とし込んだ『バレッタ』

1stから五作続けてセンターを務めた生駒里奈。グループ兼任なども経て大きく変化した彼女自身の姿を何よりの根拠に「前に進むこと」「変わること」の素晴らしさを謳い、同じくある誰かの背中を押した『太陽ノック』

3期生が加入してから1年以上が過ぎ、1期生、2期生のメンバー達もそれぞれの道を選ぶようになった頃、彼女達が新しい挑戦に向かう/向かいたい気持ちを全力で肯定した『ジコチューで行こう!』

グループ結成からつつましやかに発信してきた"愛"が遂に頂点に達した『Sing Out!』、それを1から培ってきたメンバー達の成熟を祝う『しあわせの保護色』、一旦大団円を迎え、その次の新たな物語がはじまったことを示す『僕は僕を好きになる』

ってな感じで、各シングル曲には、それぞれのリリース時期における「乃木坂46は今どういうグループか」「乃木坂46に今何が起きているのか」「乃木坂46が今何を伝えるのか」といったことが逐一落とし込まれている。

今回挙げなかったものも含め、それぞれの楽曲で「乃木坂46の"今"」を切り取っている。

で。

「卒業シングル」もまたそうであるのだ。それらの曲では、上で書いた「乃木坂46に今何が起きているのか」としての、その時々のメンバーの卒業を描いている。

『ハルジオンが咲く頃』で言うならば、あの曲に描かれているのは「乃木坂46から卒業する深川麻衣(自身)」というより「深川麻衣が卒業する乃木坂46」「乃木坂46における深川麻衣の卒業」である。

ハルジオンが道に咲いたら
君のことを僕らは思い出すだろう

花の名前なんてそんなに知らないよ
だけど君のことはずっと覚えてる

同じように、「乃木坂46におけるメンバーの(橋本奈々未の、西野七瀬の、白石麻衣の)卒業」という事実そのもの、メンバーの卒業というグループに起きた「変化」自体が、それぞれの楽曲に落とし込まれている。

もう一度君を抱き締めて
本当の気持ち問いかけた
失いたくない

新しい世界へ
今行きたい 行きたい 行きたい 行きたい
強くなりたい

僕にできることは君にヒントを出すこと

卒業メンバー個人ではなくグループそのものを「卒業の当事者」として取り上げた上で、"乃木坂46に起きた出来事"としてのメンバーの卒業が楽曲に現れている。

『帰り道は遠回りしたくなる』は〈僕〉が旅立つ側の視点になっていたりするが、1期生中心時代からの移り変わりの過渡期であったこと、当事者が一人の"主人公"であった西野七瀬ちゃんだったことなどが、そうした部分に現われたと言える。

ってな考え方を踏まえつつ。

乃木坂46は『僕は僕を好きになる』以降新たな章に突入している。各曲のセンターを3期生、4期生が務めていることにも現れているように、"主人公"を担う世代が移り変わっている。

それこそ『帰り道は遠回りしたくなる』などを見ると、かつて〈僕〉であった人達は既に旅立ち、新たな〈僕〉へとそれが受け渡されている。

故に遠藤さくらちゃんなのだ。新たな世代として中心を担い、上の世代の卒業を見送る側の視点を請け負っているのが(今回においては)彼女である。

『ごめんねFingers crossed』発売を控えた時期には、既に松村沙友理ちゃん、伊藤純奈ちゃん、渡辺みり愛ちゃんが卒業を発表していた。

この時「乃木坂46に今何が起きているのか」として挙がるトピックは、まさしく彼女達の卒業である。そんなメンバー達の卒業は、現在の乃木坂46において、遠藤さくらちゃんをはじめとした新世代側から先輩メンバーの旅立ちを眺めた様子が描かれる。

卒業メンバーに軸を置いた「乃木坂46から卒業します」ではなく、見送るメンバー軸の「あの人が乃木坂46から卒業していく、」なのだ。

若い世代が先頭に立つようになった2021年の乃木坂46が「メンバーの卒業」を楽曲に落とし込んだ時、その「卒業シングル」が『ごめんねFingers crossed』のような形になるのは必然と言える。

他の収録曲と合わせるとより"本心"がわかる

そんな風にして作られた『ごめんねFingers crossed』。歌詞をいざ見てみると、以下のような箇所が目に付く。

会えない時間が寂しくなくなって
気付けば心は離れてた
やり直そうと言われたら
僕はどうした

冷静じゃないから恋ができるんだ
客観的って自分らしくない

別れを惜しんだり感情が高ぶっているというより、その存在にすがらないクールな態度が現れているように見える。「卒業シングル」として見ると、それこそ〈失いたくない〉のようなエモーショナルなラインとは温度差がある。

いつの間に壊れていたのかな?
無我夢中追い掛けるその欲望
考えるより先に行動してた
慣れてしまうとドキドキしないね

極端に言えば「何も感じていない」「心が動いていない」ようにさえ思えるフレーズが並ぶ。それは大人っぽい曲調やパフォーマンスにおける表現とも重なるが、全体的な印象はやはりクールである。

しかし他の部分を見てみると、そうではないことがわかる。先に挙げた〈いつの間に壊れていたのかな?〉の箇所も、その片鱗である。

手を伸ばせばいつだって君がそこにいる
当たり前になってしまったその存在に
甘えて油断してたタイミング

最終電車で見送るステーション
僕だけどうやって帰ればいい?
動き出した窓ガラス
指をクロスして

それは「心が動いていない」というより、取り残されてしまったような、別れに対する呆然とした様子である。突然の出来事にハッとしながらも何も出来ない、何も出来ないままその時を迎えてしまった……といった空虚さがある。

あるいは、思いの丈をありのまま伝えようにも、躊躇してしまう理由があるのかもしれない(それは例えば、先輩と後輩という立場の違いだったり)。

クールな様子も、自分自身がどう思っているのわからない、自分の気持ちをうまく言葉に出来ない、という状態なのだろう。

だから、自分が唯一出来るせめてものアクションとして、そっとサインを送るのだ。

言葉にできないこの気持ちをそっと
さよならFingers crossed

ってな具合のことが『ごめんねFingers crossed』の歌詞で描かれていた。

〈僕〉は結局、そっと〈Fingers crossed〉するばかりで、直接想いを伝えたり感情を露わにすることはなかった。

それが決して本心でなさそうだ、とは上に書いた通りだが、では〈僕〉が本当はどう思っているか、どうしたいか、は書かれていない。『ごめんねFingers crossed』には。

時に乃木坂46は、一つのテーマや世界観を複数の楽曲に分けてしまうことがある。それは、同じテーマを違うストーリーで描いてみたり、表と裏の両側面から見たり、ということだ。

特にシングル表題曲とアンダー曲の関係はその傾向が色濃く、今回もまた同様であると言いたい。

〈Fingers crossed〉は相手の幸運や成功を祈る際に使用されるフレーズ・ジェスチャーであるが、〈Break a leg〉もまた、相手の成功を祈り応援する時に用いられるフレーズである。

つまり今回のアンダー曲『錆びたコンパス』も、去るものを見送る歌であるのだ。

行き倒れたってそれで本望だ
立ち止まるより前へ進め

Wow Wow Wow
Break a leg

上に書いたように、この時期、松村沙友理ちゃん、伊藤純奈ちゃん、渡辺みり愛ちゃんがグループからの卒業を発表しており、『ごめんねFingers crossed』では彼女達との「別れ」が切り取られていた。

そのこともまた『錆びたコンパス』は同様であるように思う。これは、表題曲では松村沙友理ちゃんとの、アンダー曲では伊藤純奈ちゃん、渡辺みり愛ちゃんとの、ということではなく。

『錆びたコンパス』も、此度の「グループに訪れた別れ」に期して産み出された楽曲である。今回のシングルでまばらに楽曲がある中で、それぞれに「違う側面」というような別れに対しての様々な想いが散りばめられている。

それは、応援したい気持ち、引き止めたい気持ち、戸惑いそのもの、変化すること自体への期待、そういった色々なことだ。

上に書いた通り『ごめんねFingers crossed』には、惜しむ間もなく訪れてしまった別れに対する、受け止めきれず呆然とした様、言いたいことを押し殺してひっそりと幸せを祈る姿が描かれた。

メモリー壊れていたのかな
本能の一部が復元しない

何故
人間の感情は身勝手なものだろう
愛がなくなったら生きていけない
誰も皆思い込んでるのに
大丈夫

『錆びたコンパス』は旅立つ仲間のことを心から応援した、力強く背中を押すためのエールだ。とりわけ、同じ〈僕〉として共に歌う采配からは、彼女達が互いに肩を抱いて言葉を交わし合うようなイメージが浮かぶ。

誰もが行くなと言うけど
人生に怯えていても何も始まらない

ただ僕の可能性とルーツ探してる

そんな中で、『全部夢のまま』も想いが散りばめられた一曲だ。

そこには抑え込んだ本音、『ごめんねFingers crossed』でいうところの〈言葉にできないこの気持ち〉が垣間見える。

引き止められなかったこと、別れなんてへっちゃらさとうそぶいたこと、もしかしたら未来が変わっていたかもしれないあの日の選択。それらを後悔する想いだ。

全部夢だった
ハッと目が覚めるように別れてたら
100万回後悔なんてしなかった

ちゃんと忘れられたら
君と普通になれる
元の2人のように友達として
初めから

それと同時に示されているのは、前に進むため、後悔そのものを振り払おうとする姿である。

全部夢だったなんて
ズルい結末じゃなく

そして去る側の想いは『さ~ゆ~Ready?』に託されている。

松村沙友理ちゃんのソロ曲でこそあるが、彼女個人のことだけではなく、この時期における乃木坂46から旅立つメンバーのスタンスが示されており、それを表現する役割を彼女は担っている。

そこには、明るくてエネルギッシュで、やり残したことはないと、清々しいほどの前向きな言葉が並ぶ。それはまるで、こちらを勇気づけようとしているようにも思えてしまう。

今まで経験してきたサヨナラって
何かちょっと暗すぎるよね?
二度と会えない永遠の別れじゃないし
メソメソしないで明るく行こう

笑顔が一番私らしいかな
その代わりずっと手を振って

しかしよく見れば、自分が決めたことだから、と胸に隠した想いもそこにある。それはおそらく、『ごめんねFingers crossed』で〈僕〉が噛み殺した言葉と同じものだ。

泣きそうになるけど涙は見せない
笑顔でバイバイ
ずっと楽しかった

 上の世代と下の世代を繋ぐ〈光〉三部作?

つー感じで、『ごめんねFingers crossed』単体だけでではなく他の楽曲も補助線にしてみると、より一層色んなものが見えてくる。

しかしながらこの曲には、振付の中で遠藤さくらちゃんと松村沙友理ちゃんの姿が度々重ねられることに現われているように、やはりある程度1期生(先輩メンバー)⇔4期生の構図が組み込まれている。

(『錆びたコンパス』は一緒に肩を並べて歩んできた同期である2期生同士で交わされる熱さ、という切り口である)

その考え方を踏まえて、『ごめんねFingers crossed』において特に鍵となるフレーズは以下だ。

明日ももちろん好きだけど
近付かない遠いのままで

ここにこそ、〈僕〉が〈君〉を引き止められなかった理由が潜んでいる。

4期生にとって、1期生をはじめとした乃木坂46の先輩たちは常に〈光〉であった。

4番目の光を探しに行こう
どこかにきっとあるだろう

光はどこにある?
僕を照らしてくれよ

この場合の〈光〉とは、憧れの存在を指す形容詞であると素直に受け取っていい。4期生メンバーの多くは元から乃木坂46のファンであった。それぞれが、そこから放たれた〈光〉に魅了され、同じ道を行くことを決断させられたのだ。

故に『4番目の光』にあるように、憧れの〈清楚で凛々しい先輩〉が持つのと同じ〈光〉を自分自身も放てるようにと邁進していた。

4番目の光になれますように
まっすぐ道を進むだけ

無垢に歩み始めたその道は存外険しく、『夜明けまで強がらなくていい』にあるような、(文字通り)暗中模索するような葛藤にも苛まれた。

光はどこにある?
僕を導いてくれ

乃木坂46における〈光〉というワードは、例えば『僕だけの光』などに用いられることがあったが、それらはあくまでその楽曲固有の意味を持っていた。

しかし『4番目の光』『夜明けまで強がらなくていい』『ごめんねFingers crossed』における〈光〉はいずれも、乃木坂46そのものや、1期生をはじめとした乃木坂46メンバーのことであるのだ。

〈光〉というワードに同じ意味を持たされた3曲。そこには新世代である4期生からの、結成から現在までグループを牽引してきた1期生をはじめとした先輩メンバー達へ向けた、憧憬の念が込められていた。

このことを以て、これらの3曲を「〈光〉三部作」と言ってしまいたい。

いや、別にそう呼ぶ必要は無いんだけれども、ともかく一つの"くくり"を見出だすことが可能という事だ。

『4番目の光』『夜明けまで強がらなくていい』『ごめんねFingers crossed』の3曲をひとくくりに出来る根拠はもう一つある。

言わずもがな、センターが遠藤さくらちゃんであることだ。

いずれもセンターを彼女が務めている。「4期生から見た先輩への目線」を切り取った3曲のセンター(その当事者)を同じ遠藤さくらちゃんが担うことは、明らかに意図されてのものだ。

当然実情は知る由もないが、しかし敢えて想像するならば、「受け継ぐ」ことを(表現の一つとして)彼女に託されているのかもしれない。4期生の役割の一つであるそれを担う筆頭、アイコン役を任されたのがおそらく遠藤さくらちゃんなのだ。

4期生センターで言うと、最新シングル『君に叱られた』では賀喜遥香ちゃんがそのポジションを務めている。この楽曲は『君の名は希望』から続く乃木坂46的メッセージのひとつであるが、賀喜遥香ちゃんの場合、そういったメッセージの発信役を担っているのかもしれない。

ともかく言いたいことは、『ごめんねFingers crossed』は、『4番目の光』『夜明けまで強がらなくていい』と地続きの楽曲であるということだ。

いずれも遠藤さくらちゃんがセンターなので、なんかわかんないけど繋がってんじゃないかな、と思った次第である。

逆にそのことを踏まえると、『ごめんねFingers crossed』をもって(ストーリー上は)1期生から手が離れたことになるので、これ以降遠藤さくらちゃんがセンターを務める場合、今までとはまた違う形になっていくのでは、なんて思ったりもする。

何はともあれ、彼女達はきっと素敵な〈光〉を見せてくれることだろう。

なぜそう言えるか。〈Everybody is a star〉だからだ。

まとめ

『Everybody is a star』はSly & The Family Stoneの曲です。

以上。





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