舞台『ザンビ』TEAM"RED"/"BLUE"感想
2018年11月16~25日にTOKYO DOME CITY HALLにて上演された舞台「ザンビ」。例に漏れず今回も観てきたので、今回もここに感想なんかを記していきたいと思う。
Team"RED"、Team"BLUE"とセラミュの時と同様主要人物がWキャストで演じられ、2チームに分かれて公演された。当然、どっちも観てきました。BLUEに至っては、ライブビューイングも観に行ったので、都合2回。計3回である。
今回はまずストーリーに触れ、その後メインキャスト計6×2名にフォーカスを当てつつ、書きたいことを足したり引いたり書いてく所存である。
内容について
率直に言うと「ゾンビものの定石」という感じ。
既にザンビの侵食が進んで人間達は生活を奪われ、
軍の弾圧により民間人は自由を奪われて閉鎖空間に追いやられ、
その極限状態の中で人間同士の間で次第に軋轢が生まれ、
同時に平和と思われたその空間にもザンビの魔の手が……
というような、正直なところ全体的に目新しい設定や展開はあまり見られなかったところである。
ただ逆に言えばそれは「このジャンルにおけるベストな形」でもある。
そして「その世界観に放り込まれた6人がどうなるか」というポイントが見ものであるわけで、もっと言えば「アイドルが出演する」ということがどう効くかで、如何様にも転ぶというわけである。
その考え方でいくと、今回の舞台『ザンビ』は個人的にはすごく好きなパターンだった。
というのも、かなり守りに入ってしまうのではと、要は「あくまで死なない、殺さない(特にメンバー×メンバー)」なパターンだったらアレだなあと思っていた。
ゾンビものという生き死にがダイレクトに関わるジャンルな以上、都合良く生きてるし殺さないだと、全体がボヤけて半端になっちゃんうんじゃないかなあと、失礼ながら思っていたわけである。
しかしいざ蓋を開けてみると、結構ガッツリ死ぬわ殺すわ。それこそ、メンバーが(ザンビ化した)メンバーにトドメを刺す箇所もあり。守らず大胆にやってくれたのは非常に良かった、というわけである(死に殺し自体が良いっていうわけじゃないよ)。
その上で、シビアな状況に翻弄されるだけでなく、余裕を失くして壊れていく様、敵対する相手に立ち向かう様、そういった人間の根の部分を露わにするような姿を存分に見せてくれて満足した次第である。
ただ、全体的に性急な感じがしたのが少し気になったところ。
いくつかあったストーリー上の"謎"である箇所の解明が、唐突に思い付いてはセリフで進める感じだったので、少しずつ手がかりが集まって真相が見えてくる(観客と同じスピードで謎が解けていく)ような流れが自然だったかなと思う。
とはいえ、内容は定石に満ちてるやつだし、物語の部分はああしてサクサク進めるのも正解なのかなとも。
以上、先に書いたとおり、内容そのものよりあの世界観の中に放り込まれたメンバー達の様子(と演技)を楽しむ作品という認識なので、気にはなる点はあったものの全体的には充分好きな作品。という結論とさせていただく。
さて以下、観劇した順にTEAM"BLUE"から書き進めていく。
TEAM"BLUE"
TEAM"BLUE"を観劇したのは、公演初日と千秋楽ライブビューイング。
初日に見たことで基礎の実力が高いメンバーに当初から圧倒され、千秋楽では公演を重ねていくにつれより良くチューニングしていったことが感じられ、中々いい見方が出来たように思う。
久保史緒里/鳴沢摩耶について
彼女については、もう「さすが」の一言。演技も歌も、その実力は一人突出していたように感じた。
特に演技について上手いと感じさせたポイントとしては、演技やセリフへの感情の乗り方とそれによるメリハリにあったものと思う。
セリフ回しの中にも、感情が乗っていながら、ただ怒りをぶつけるのでなくふつふつと湧いているような感じだったり、優しく話しているけど"焦り"が滲んでいたりと、複雑な感情の機微が見えるような演技をこなしていた。
そういった言葉に乗せて細かな感情を表現する技術は、決して実力の低くない坂道メンバーの中でも頭一つ出ていたように思う。
もう一つは表情、というより目つき。セリフと同様ここに感情が乗っていて、席からの遠目でも引き込まれた。
また特筆すべき点として、彼女が演じた鳴沢摩耶が、かなり危ういパーソナリティの持ち主のように見えたことを書いておきたい。
根本的には、正義感が強くて勇敢な性格の摩耶。しかし久保ちゃんが演じたことで、その正義感がものすごく確固たるものとして本人の中にあるような見え方になった。
それ故、その人格が単に「間違っていることを見過ごせない」というだけでなく、「自分の信念とは外れているものは許すことが出来ない」くらいの、非情さをも持ち合わせているようなニュアンスに感じ取れた。
だからこそ、大人に対しても怯まずに物申せるし、杏奈に手を出すザンビには一切容赦はしない。久保ちゃんの摩耶は、それくらいの行動を迷えず取れる、非情に強い心の持ち主のようになった。そんな風に見えたのである。
そして、その久保摩耶の性質は、梅演じる杏奈との関わり方にも影響があった。
今回の物語以前に、ザンビ化した杏奈の姉(優奈)を自らの手で殺した摩耶。そのことが引け目となって、終始過剰なまでに杏奈に気を配り続けていた。
その姿が、単に「優しい」「気を遣っている」というだけには見えなかったのだ。
摩耶は、杏奈の姉に手をかけたことを重い罪として背負っており、「杏奈の大切な存在の命を奪った以上自分の残りの命は杏奈のために使う」それくらいに考えているような、かなり追い詰められている状態にあるように見えてしまった。
つまりは、摩耶自身のその正義感は、杏奈の姉に手をかけた自分のことさえも許すことが出来なかった。その罪を償うために、自分は杏奈のために行動することを選んでしまったのである。
だからこそ、より上に書いたような「杏奈に手を出すザンビには一切容赦はしない」という行動にも拍車がかかり、交流した相手であっても躊躇いなく一突きにするし、杏奈を救うために自分の命を賭けることは厭わない。
それくらいのピーキーな考えの持ち主に見えてしまったのである。
その極地とも言うべき箇所が、ラストシーン。
摩耶は黒幕を倒し、杏奈を先に逃がしながらも、一人爆撃のなか命を落とす。
その時、「海、行きたかったなあ…」と、杏奈との約束が果たせなかったことへの未練を最後に零す。
ここ!ここの描写が非常に印象的なのです。
最後のセリフを、彼女は自嘲するようにほんの僅かな笑みを浮かべながら言う。
ここの笑みが、彼女は自らが命を落とすこの顛末自体に悔いは無いと感じているように思わせるのである。そしてそれによって、「杏奈と海に行けなかったこと」が"唯一"の未練だと感じていることが浮かび上がる。
なぜ悔いが無いかと言うと、「杏奈を守ることが出来たから」。
もっと言うと、「自分という存在を最期まで杏奈のために使えたから」。
久保ちゃんの演技によって、摩耶というキャラクターがそんな風にさえ見えちゃったのだ。
実際のところは、摩耶を上に書いたような思考回路の持ち主とするには、劇中の行動とはいくらか矛盾が発生してしまう。
結局いち観客の考えすぎのようで、いやいや、ここまで考えさせるほどの「鳴沢摩耶」を久保ちゃんは演じたのである。
梅澤美波/一之瀬杏奈について
見始めた当初は、正直なところ梅のクールな見た目と杏奈の弱気なキャラクターがマッチしないのでは、と感じていた。
しかしながら、さすが各所で経験を積んでいる彼女、非常に見せ方が上手かった。
その外見と演じるキャラクターのギャップも上手く取り込み、「本来は明るい少女だが、色々起きた結果追い詰められて弱気になっている状態」というところまでキッチリ見える演技だった。
特に中盤の回想の場面。進学をやめて就職することを摩耶に話し、代わりに海に行くことを約束する、というシーン。これがとても良かった。
ここでは「本当は辛いけど、それを隠して明るく振舞う」という、言わば「演技する演技」という難しい部分ながらも、笑顔の中に辛い思いが滲んでいることが伝わる名演だった。
言葉にしないながらもそんな本音が隠れている、とわかるからこそ、なんだか泣きそうになってしまったほどである。
ここでの2人の約束が後々に響いてくる(これは久保ちゃんの項で書いたとおり)からこそ、この場面で2人がそれぞれ抱く感情は非常に重要なポイントであり、それをしっかり見せてくれた名シーンと言える。
加えて、このシーンで杏奈が感じている「摩耶と別れることの辛さ」を提示するからこそ、摩耶と杏奈の関係性が劇中で描かれている以上に固いものであることがわかる。
「一緒に進学できない」ということが本人にとって非常に重いこととして描かれるからこそ、それまでずっと一緒にいた関係であると理解できる。
その関係性がそれぞれキャラクターの行動原理にも繋がるために、それぞれのキャラクターの内面がいっそう深く汲み取れる、という構造となっていると言える。
こんな風に、あの場面は作品の主要人物である摩耶と杏奈の描写に関わる、非常に重要なシーンだったわけである。
そんな重要なシーンを、梅の演技によってはどうとでも左右されてしまうところ、切なさを盛り立てるように印象的に仕上げてきた、彼女の繊細な演技もまた大変重要な語るべくポイントというわけである。
梅は、今回のザンビでの一之瀬杏奈、セラミュでの木野まことと「明るく芯が強いようで、脆い一面がある」というキャラクターを立て続けに演じてきたわけだが、そんな二面を丁寧に見せることが出来る彼女の実力は非常に高いと言える。
菅井友香/桂雪穂について
漢字欅はどうしても乃木坂、ひらがなと比べて経験不足が出ていたという印象が正直なところ。
しかも今回自分が観たのはTEAM"BLUE"初演。まさしく「漢字欅の2人が初めて観客の目の前で演技を見せる瞬間」を目の当たりにしたわけである。
そう考えると、それはそれで非常に貴重なものを見ることができた気がする。なのでこれに関しては良し。
ただ実際、確かに他のメンバーとの実力の差自体は感じたものの、2人の演技が悪かったとか浮いていたとかそういうことでもなく、彼女らは拙いながらも雪穂・彩菜というキャラクターを実に魅力的に見せてくれた。
友香キャップの演じた雪穂は、変に小手先の演技でこなすような状態にない分、程よい力加減で演じていたように思う。
「桂雪穂」というキャラクターを演じる中で、「菅井友香」という演者本人の色も出ており、結果かなり"明るさ"が強調されていたように思う。
それによって桂雪穂という存在が、そこまで緊迫しすぎず、全体的に暗いムードの作品の中でも希望を捨てない前向きなキャラクターとして、いわゆる「清涼剤」的な存在としての働きを見せた。
また大人(特に看守長)に対して歯向かう行動を取りがちなために、より「子ども側の先頭に立つ存在」というキャラクターであった。
そこに先述のような明るさ・前向きさが絡むことで、よりストーリーを転がす存在として確立されていた印象だった。
「この人と手を取って進めば、良い結末を迎えることが出来るかも」と思わせてくれた、というわけである。
そんな未来を想像させるキャラだからこそ、より一層摩耶や杏奈の挙動が際立って見え、また悲しい結末へと向かっていくこの作品を盛り上げる存在だったと言える。
繰り返すようだが、友香キャップが演じたからこそ、雪穂がこのような明るい前向きなキャラに見えたのである。
物語を進めていく中で重要なポジションを担うにあたり発揮したその存在感は、確かに友香キャップ自身の人柄によるものだった。
こういった演じる本人の性質が現れ、見え方にガラリと影響していくような現象は、舞台ならではの面白さだと思う。
守屋茜/一色彩菜について
まずの印象は友香キャップと近いところ。やはり経験不足は感じつつ、さらに彼女のは演技がやや大振りだったかな、という感じである。
ただ良い点も同様で、本人の"らしさ"が出ていて、彼女の演じる一色彩菜というキャラクターも、とても魅力的に見えた。
パンフレットでも本人が「他の生徒と比べて唯一その場を明るく出来るキャラクター」と言っているが、友香キャップ演じる雪穂以上に明るい存在であり、作中でも希望に満ちた感覚を持つ人物で、「清涼剤」の一角を担う存在だった。
本人の元のキャラクターが快活で精力的なため(むしろ力強すぎて「軍曹」というアイドルらしからぬ異名を持つ)、その面が彩菜を演じる上でも全面に出ており、より前向きで元気で、仲間想いはキャラクターに見えた。
特に、閉じ込められた摩耶と杏奈を出してあげる時の「一緒に逃げるって約束したでしょ!」というセリフ。ここに彩菜らしさが詰まっていると言える。一度手を取った仲間のことは決して見捨てない。そんな人格が窺えるのだ。(ただ、ヘアピンで難なく鍵をこじ開けたのには笑った)
しかし、そんな快活なキャラクターは、こういうゾンビもののような世界観の作品においては、仲間に希望を与える存在であるが、同時に「死亡フラグ」を常に孕んでいるものとして機能してしまう。
そして案の定、終盤ザンビに襲われた雪穂を救いながら、自分は命を落とす。
彩菜のキャラを鑑みて「やっぱりそうなってしまったか…」と思いつつ、演じた守屋本人らしさが全面に出ているからこそ、本人も同じ状況なら同じように仲間を守るんだろうなあ、とか考えて結構グッときたりもした。
そんな定石があるからこそ、彩菜というキャラクターが輝いても見え、また悲しいムードを助長してしまうような、どっちの意味でも「いなくてはならない存在」と言えるだろう。
また久保摩耶との対比もよく利いている。
彩菜が上記のような明るいキャラクターだが、その反面「杏奈のために命を使う」覚悟をしている久保摩耶には、その彩菜の抱く希望は響かないのかもなあ、とか想ったり。
彩菜が明るく希望を捨てない存在であればあるほど、摩耶のスタンスとのギャップは生まれ、結果、物語をよりもの悲しくするのである。
どうしても物語や摩耶をはじめ主要人物を引き立てる存在になってしまうが、それは守屋彩菜が魅力的だからこそそう見えるという、ひとつのキーパーソンだった。
柿崎芽実/本宮佳蓮について
彼女もさすが上手い。
『マギアレコード』で主役を演じた経験あってか、舞台上でも非常に堂々としており、培った自信を思わせる演技が見れたように思う。
また『マギアレコード』はアニメ原作(であるアプリが原作)なためか、いくらかアクの強い作風だった分、今回は素の人間を演じたことによって、より自然な演技を見ることが出来、改めてその実力の高さを感じることが出来た。
そんな彼女、本宮佳蓮というキャラクターの劇中の立ち位置の都合、どうしても見せ場は少ないものの、その中でも決して埋もれないポジションを確立していた。
佳蓮とゆかりは中盤から摩耶はじめ主要人物たちと敵対する役割だが、彼女は特にキツく当たる。
ザンビの疑いがあがった摩耶達4人に対し、さっきまでは仲良くしていたのに、そんなことお構いなしと言うように。
そのキツく当たる様がとことん直情的で、いかにも状況に応じて手のひらを返す"嫌な奴"としてキッチリ活躍してくれていた。
4人が避難所から脱出する計画を立てていることを知ると、すぐに先生に報告。その流れの中でも、報告した目的が"4人を追い詰めるため"とでも言わんばかりに、彼女らにねちっこく絡む。
あの辺り、もし手を組む関係になっていたとしても、結局どこかで裏切ったり、自分だけ助かろうとしたりそうと思わせる強かさが感じられた。
普通に学園ものでも物語を転がしてくれそうな、"良い"姑息な女子になっていたと思う。
後述するが、TEAM"RED"齊藤京子の演じた佳蓮とは、このへんがかなり違い、芽実本人の解釈がよく出ていた本宮佳蓮と言える。
またそういうキャラはゾンビものでも定番。かつ、案の定いち早くザンビ化してしまう辺りも王道の流れである。芽実佳蓮、実にいい塩梅の役どころであった。
加藤史帆/飯野ゆかりについて
元が個性的な子である分(本人曰く「へにょへにょしている」)、演技によってキャラクターがガラッと変わるのが新鮮な感じがして面白かった。
それもちゃんと上手いからこそ。本人のアクの強さがそのまま出てそれが持ち味の役者さんもいるけど、あれだけしっかり役に入れるのはすごいことなんじゃないかと思う。
特に、飯野ゆかりは割と気が弱く人に頼りがち、ヒステリック気味で、不測の事態が起きるとすぐにパニックに陥る。
普段の本人の気質は顔を隠し、舞台上には気弱で不安定な性格の飯野ゆかりが確かに立っているように見えた。
加えて言うと、本編を繰り広げる舞台となる「聖フリージア学園」、学校の名前や十字架などのセットから、いわゆるミッション系の学校である。
思うに彼女は、今回登場しているキャラクター達、出てこない生徒達の中でも、比較的信仰心の強い方なんじゃないだろうか。
(例えば、進学のためにこの学校に通うことになったとかではなく、元々キリスト教を信仰している家庭に育ち、フリージア学園に入学したのもその影響、とか)
だからこそ、最期の場面で「神様…神様…」と祈るシーンがあり、そしてそんな想いを無残にも踏みにじるように、直後ザンビに襲われ自身も感染してしまう。
希望を持てばこそ救われない、という見せ方にまんまと利用されてしまったわけである。
これらの設定は深くは語られないが、こういった描写があることで、よりいっそうこの「ザンビの侵食」という惨い展開をより助長する。
そしてそんな状態は、自分自身の意志が弱い不安定気味な かとしゆかりだからこそ浮き彫りになる。
常に何かにすがっていたことの報い、とまでは言わないが、バッドエンドに向かっていくこのザンビという物語を描く1ピースとしての機能を持つキャラクターとったように思う。
TEAM"RED"
REDを観たのは22日。5公演目ともあってかなり脂の乗った公演になっていた印象である。
与田祐希/鳴沢摩耶について
まず自戒のために書きます。
すみませんでした。与田ちゃんのことを舐めていました。
具体的に書くと、(先に観た)久保ちゃんの摩耶があまりにも良かったために、「いくらなんでもこのレベルには及ばないんじゃないか?」と思ってしまったのである。
しかしいざ蓋を開けてみたら、与田摩耶も非常に良かった!
久保摩耶との対比も含め、観てから少しの間熱に浮かされたような気分になったくらいである。
以下、どのように、どれほどに良かったか書いていく。
そもそも、上に書いたような久保摩耶の切羽詰まった危うさは元々「鳴沢摩耶」というキャラクターがそうなんだとばかり思っていた。
と思ったら、"RED"の与田摩耶を観てみると、全然違ったのである。
与田摩耶は、かなり主人公らしいキャラクターとなっていた。
先の見えない極限状態でも、「いつか迎えられるはずの希望を信じている」というようなスタンダードな前向き感があった。
疲れは見えるものの笑顔を忘れない、全体を明るくする存在であるポジションを、主人公としてまっとうしていたように見えたわけである。
(特に、BLUEでは明るいキャラクターだった雪穂・彩菜が、REDでは割とクールだった分より与田摩耶が際立って見えた)
杏奈に対する態度も、「彼女に対して特別に優しくする」というより「極限状態の中、不安にさせないよう明るく振る舞う」という見え方で、一物抱えている久保摩耶の印象と違い、純粋に友達想いな優しさによっての振る舞いのようだった。
例えば先生や看守長に立ち向かうシーンも、(久保摩耶の時に「こうではない」と書いた)「正しくない行いはどうしても見過ごせない」という真っ直ぐな正義感からきた行動のように取れる。
杏奈の姉に手をかけた過去も、純粋に「友達を守るため」咄嗟に取った、というような印象。
そう考えると、与田摩耶は久保摩耶のように非情な決断は出来ておらず、トドメを刺したものの摩耶自身も悔やみ続けているような背景が想像できたりする。
例によってラストシーンについても語りたい。ここが特に久保摩耶と与田摩耶の明確な違いが出ていたポイントである。
最期、僅かな笑みを浮かべ満足気であった久保摩耶。
それに対し、与田摩耶は杏奈を逃がした後、一人堪えきれなかったかのように涙を流しながら「海、行きたかったなあ…」と呟く。
彼女は、このまま命を落とすことを悔やみながら爆撃を受けているのである。
つまり、与田摩耶にとっては「海に行く」ということに「生きて、」という条件が頭に付いている。
「行きたかった」は「生きたかった」という意味なのだ。
最期まで希望を捨てなかった彼女。きっとまた杏奈と笑い合える日々を迎えられると信じていた。だからこそ笑顔を忘れなかった。
しかし残念ながらその願いは叶うことなく、物語は終わりを迎えてしまう。
そのことで摩耶が抱いた悲しさ、悔しさの現れが、あの涙なのである。
絶望的なラストシーンながら本人はやれることをやり切ったような久保摩耶。こちらはいわゆるメリーエンド。
しかし与田摩耶は、杏奈を逃がしたとはいえ、悲しい結末であるバッドエンドを迎えたのだ。
そう思うと、なんともやり切れないものである。
(さらに、最後の歌唱シーンでの摩耶と杏奈の2人は幻影のような描写で、もしかしたら既に2人とも…と思わせる。それが正しいとなると、REDの結末はいっそう悲劇的である。)
山下美月/一之瀬杏奈について
セラミュで主演を務めただけあって、とても舞台で映える演技をする。
特に、美月演じる杏奈は精神的に追い詰められた状態で、落ち着きをなくして荒れるシーンも多いので、それをある種見せ場として使いこなし、悲惨な世界観を伝える役割として非情に活躍していた。
美月は一言でシリアスな空気を展開することが出来る印象で、瞬間でグッと引きつけてくる。やはり存在感はピカイチである。
また美月は明るく元気なキャラクターを演じるのが向いているのかも。というか、普段が独特な性格でありつつ割と落ち着いているタイプなので、ガラッと切り替える演技の方が得意としているのかもしれない。
それがあってか、美月杏奈は、梅杏奈よりも、快活で明るい性格の持ち主だったように感じさせた。
件の回想シーンで違いを如実に感じられ、摩耶と別れる辛さのような表現はあまり強くなく、明るい振る舞いに徹しているようだった。
梅杏奈よりも心の強さを感じるキャラクターという見せ方で、摩耶との関係も違って見えた。例えば、それまでは杏奈が摩耶を引っ張っていく関係性だったのかもとか考えられたりする。
そんな印象だったために、「あんなに明るかった子がこうなってしまった」という大きな落差を生み、それが現状の辛さを盛り立て、かつ状況のシビアさを物語るわけである。
それがまた、これによって与田摩耶の真っ直ぐな人格がさらに引き立つ。
「これまでは杏奈に頼ってきたけど今は私が支える」「杏奈がああいう状態だからこそ、ここで私が折れるわけにはいかない」と奮起して、後の勇敢な行動に繋がっている、とも読み取れたりするわけである。
そう思うと、与田摩耶の健気さも見えてきたりして、よりキャラクターが魅力的に映る。
美月杏奈が、過去と今の二面を上手く見せてくれたからこそ、あのギリギリの状況の中でのキャラクター同士が手を取り助け合う姿がより印象的になったと言える。
土生瑞穂/桂雪穂について
土生雪穂は、冷静な大人っぽいキャラクターという印象。
菅井雪穂が男勝りな解釈で演じられていた中、こちらは男勝りというよりは凜々しい女子。女子高でモテる女子とでも言おうか、その上で大人に対していち早く何か言う行動力があるタイプという感じだった。
元からの声質がかなり可愛らしい彼女、上記のようなキャラクターを演じるに当たって果たしてどうかと思っていたが、実際見てみるとその点で強いギャップを感じることはなく。
言葉の発し方が上手かったか、トゲのあるニュアンスを含むセリフが多い中で、違和感なく強気さを持ったキャラクター性を発揮していた。
そんな冷静で芯の強い土生雪穂、小林彩菜と共に、終始摩耶・杏奈の心強い味方として活躍する。
こういう頼りになる感じのキャラクターが仲間にいると、問題があっても解決しながら進んでいけそうな、主要人物を中心としたストーリー全体が前向きな雰囲気("明るい"ともまた違う)になる。
後に悲しい結末を迎えるわけだが、そこを「どうなるかわからなくさせる」という、ある意味でいう"フック"としてのポジションでもあったりするのだ。
それは頼もしさを持っているほど際立つわけで、土生雪穂の落ちついた佇まいは、それをより印象強く見せてくれた。
そしてその頼もしさは、彼女がザンビとなった時に反転し、摩耶や杏奈、観ているこちらを絶望に突き落としにかかるわけである。
また土生ちゃんは170cmを超えるスーパースタイルの持ち主。舞台上での存在感といい、見栄えといい、トップクラスである。
ビッと立っているだけで画になるのはそれだけでも貴重な能力とも言える。
その類のない出で立ちで行う「立つ演技」。片足に体重をかけて、気を張って警戒しているように立つその姿は、雪穂という人物をよく表現していた。
小林由依/一色彩菜について
守屋彩菜同様、演じたメンバーの"らしさ"が出ていて、小林彩菜はかなりクールでシニカルなキャラクター。
全体に明るさをもたらす存在というよりも、摩耶・杏奈の数少ない味方としてのポジションで、冷静に支えてくれている印象だった。
普段がクールな分、雪穂を助ける最期のシーンでは「あまり表には出さないけど、仲間想いで熱さを秘めている」という深読みもできたりして、守屋彩菜とはまた違った魅力を感じることが出来るキャラクターである。
それでいて逆にこうも冷静でいると、全体のピリピリした空気によく馴染んで、暗い雰囲気をいっそう引き立てていたように思う。
それが悪いということではなく、守屋彩菜が空気を割ってくれるような明るいキャラだった分、同じキャラクターながら全く別の働きで、真反対の雰囲気を作っていたように見られた。こういうところがまたWキャストの面白さを感じた点である。
守屋彩菜との違いで言うと、ヘアピンで倉庫の鍵を開けてしまったのも「出来てもおかしくはないかも」となんか納得してしまう。
キャラクター性の部分ばかり書いてしまったが、単純に彼女は演技が上手かった。経験値は他の漢字メンバーと同様のはずだが、その4人の中でも上位の上手さであったと思う。
上記のように落ち着いたキャラクターで大きく見せるような動きは少ないため、舞台上で演じるのは難しそうなイメージだったが、そんな勝手な心配は杞憂でしかなかった。
低めの声は良く通リ、大人に対する反抗も声を荒げることなく、あくまで落ち着いた物言いで敵意をぶつける。
そこの意志の強さ、上に書いた表現を引用するなら「内に秘めた熱い想い」、そういったものを感じさせるような芝居だったように思う。
齊藤京子/本宮佳蓮について
彼女もとても演技が上手かった。かつBLUE漢字欅組と同様、本人の気質がキャラクターにも現れていた。
本人の落ち着いた凜々しい人柄と、声質のおかげか舞台上での妙なほどの存在感も相まって、かなり独自のキャラクター付けがされていたように思う。
というか、やっぱり声質の影響力はすごく、かつ演技力も申し分ないために自然に受け入れられ、結果「活発な少年キャラ」のようなイメージさえ持ってしまった。(もちろん実際は違う)
彼女が最初に登場するシーンなんかは、「頼もしい味方が現れた!」と謎の安心感を覚えたほどである。
そんな先行したイメージからか、中盤から主要メンバー達と敵対する流れは当然同じながら、そこに至る彼女の感情は芽実佳蓮とは大分違ったものである印象を受けた。
芽実佳蓮は敵と見なした者に対して悪い顔を向けるようなキャラクター(これもすごい言いよう)だったが、京子佳蓮は元来正義感が強い、芯のある子といった印象である。
そのため、先輩達に喰ってかかったのも、猜疑心が募ってしまい感情的に…というより、自分の正義に従った結果というか、受け入れるわけにはいかない存在に立ち向かった、という行動に思えたわけである。
そんなキャラクターだから、あの展開だったために敵対してしまったが、もし最後まで味方だったら心強い存在になったような気がして、だからこそあの状況に陥ったことが悲しくてならない。
そんなストーリーの残酷さを実感させるポジションを担っていたと言える。
あと細かいところだが上手いなと思ったのが、ザンビになる瞬間。
「ゆかり、私、なんか、変だ」と呟きながら正気を失っていくところの、感情がスッと消えたような言葉の出し方が"いかにも"といったテイストを醸していて、ザンビ化の恐ろしさを感じさせられた名シーンである。
小坂奈緒/飯野ゆかりについて
小坂の演じたゆかりは、いかにも後輩キャラらしい「大人しい女の子」という印象。
かとしゆかりのような不安定さを持っているというより、幼い故の気弱さを感じるキャラクターだった。
頼もしい佳蓮に頼りがちだったりする面が強く、しっかりした京子佳蓮の印象もあって、ゆかりの上記のような印象もまたクッキリする。
だからこそ、あのピリピリした状況で気を確かに保ち続けられるほどの心の強さはなく、一番どうしようもなくなっちゃうんだろうなあ、なんて腑に落ちたりするわけである。
そんな子はここぞという時に勇気を出して行動したりするわけだが、残念ながらその勇気は先輩達を糾弾する時に発揮されてしまった。
決して、そもそも悪い子なわけではないのだが、誰より状況に翻弄されてしまった(頼りにしていた先生や佳蓮も摩耶達と敵対した)その結果、間違った行動に繋がってしまった。
そう考えると、REDの佳蓮もゆかりも、あと少し違う形で動いていれば摩耶達と手を取り合って良い結末を迎えることが出来たかも、と思わせる。
大人しいけど、いざという時に勇気を出せる、まだ成長できる、という余地が垣間見える小坂ゆかりは、結果的にああした顛末を迎えたことまで含め、「ザンビという現象そのもの」以上に、物語の展開自体の残酷さを知らしめる役割を持っていたように思う。
まとめ
以上、すごい文量になってしまったところで書き終えせていただく。
ここまでになってしまった一つの理由として、まず単純に語りたい気持ちがあったのはもちろんのこと。
加えて、今回アフターライブという魅力的な催しがあったために、舞台本編に対する評価が適正になされていないのでは、と思うところがあった。
確かに、ライブはライブでとても良かった。(芽実としの「ハウス!」、土生ぽんの「孤独兄弟」なんかは、それが見られただけでも、という表現では収まらないくらい良かった!)
だからといって、相対的に本編が良くないと判断するのはちょっと違う。
全体のストーリーは定石なものだったとはいえ、良いところはキチンと良いところだと言いたい。
そう思って今回長々書いた次第である。
明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。