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よい消費者である、とは

田舎の子供であった私は、小さい頃は都会のおしゃれな生活が憧れだった。渋谷・代官山、おしゃれなショップ、カフェ、美容室。
主に雑誌を通して知る、そんな世界に自分も行きたいと思っていた。

18歳で大学進学とともに上京し、東京で就職。
それなりにお金も稼げるようになり、子供の頃の憧れは現実になった。
それはそれで、ある程度満足はしていた。

しかし、子供が生まれて「よりよい未来を子供たちに残したい」という思いがめばえてから、価値観は大きく変わった。
それまで目を背けてた問題に目を向けた方がいいなと思った。

"おしゃれなお店で働いている人たちの時給は?"
"安くてかわいい服はどうやって作られて、どうやって消費される?"

田舎の子供だった頃には考えもしなかったことだ。
でも、よりよい未来を残すためには考えなければいけないことだ。

たとえば、子供にかわいい服を作ってあげたいと考えて自分で作ってみると今世の中で売っている服の値段が異常であることにすぐ気がつく。
まず布だけで数千円、型紙1,000円くらい、制作時間5-6時間。。。
自分の時給を1,000円と見積もっても、子供のワンピース1枚作るのに1万円くらいかかってしまう。

もちろ企業側では大量生産で材料費を抑える工夫もしているし、縫製は機械で行ったり、海外で生産してコストを抑えているのもわかる。しかしそれにしても、子供のワンピースが数百円で利益が確保できるって、どういうことだろう。従業員に適正な賃金が払われているのか心配になる。
良いものが安く手に入ること自体は決して悪いことではないが、値段を下げることで生産者側、サービス提供側が不幸になっているとしたら、それは好ましいことではない。(もちろん生産者側も時代に即した努力は必要だが、一方的に買い叩かれるような事態は避けたい。)

また逆に、提供される価値以上の値段がついている商品も一方ではある。Tシャツ1枚が数万円で売られていることもある。そのブランドを維持するために企業側が努力をしていることは重々承知はしているものの、華々しい世界の裏側を知った今は、どんなブランドだったとしてもTシャツに数万円を出す気にはなれない。(ハイブランドの従業員の給料が、プチプライスの店の従業員の給料より何倍も高いということはない。ブランドはイメージに投資するのだ。)

よりよい未来を残すための手段の一つとして、よりよい消費者でありたい。
よりよい消費者とは、ただただ高い値段で物を買う人ということではなく、その商品がどのように作られていて、従業員も含む提供者側にどのくらいの賃金が払われているかを想像し、それに対して適正な価格を支払う消費者だと今は考えている。ブランドにお金を払うでもなく、ただ安いものに飛びつくでもなく。

もちろん、そのような消費だけをしていては時間も足りないし、お金も足りない。だから、今はできる範囲にはなるけれども、地に足のついた消費を心がけていきたい。

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