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必要なのは時短術ではなくて時間なのではないか

新型コロナウィルスが蔓延するまえ、私は忙しいワーキングマザーだった。
仕事、家事、育児をこなしながら慌ただしく毎日を過ごしており、日々時短の術を探していた。

食洗機、衣類乾燥機、ルンバという現代における三種の神器はもちろんフル活用していたし、それに追加してホットクックのような放置していても自動で料理ができるような家電、週末にまとめて食材を冷凍するような料理術にも頼り切っていた。更には週末は家事代行を依頼し家族の時間を捻出していた。

しかしコロナ禍でリモートワークが進み、今までのような時間を切り詰めるような生活は過去のものになった。

そして今になって思うのは、必要だったのは時短術ではなくて「時間」そのものだったのではないかということだ。さまざまなテクノロジーやサービスによって時短をし、時間を作ったような気にはなっていたが、それによって捻出された10分、20分という時間は日々の仕事に消えていた。そんなに短い時間でなにができるわけでもないのに、何かができたような気分になっていた。

世の中のワーキングマザーが数万円の時短家電を買って、毎日10分20分程度時間を捻出して仕事に回したところで、社会は大きく変わらない。本当に必要なのは、世の中に何が足りていないのか本質を見極めて、それを変えようとすることだ。

もっと便利な時短家電ではなく、それほどまでに時間が足りない状態になっている原因はなんなのか。そこに思いを巡らせ解決することの方がより良い未来に向けては重要になってくると思う。

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