「強いね。」その言葉がなによりも嬉しかった
中学2年生の、ある日を思い出してた。
当時の私は吹奏楽部に入ってて、その時期は確か、夏のコンクールのソロパートを決めるオーディションを控えていた頃だ。
朝の個人練は、前日までに顧問に申し出て予約をしなければならない。
その日の朝練は、自分ひとりだと知っていた。
いつも通りの朝練の時間に登校して、いつも通り音楽室の鍵を取りに職員室へ。
職員室の入り口から声をかける私を、少し驚いたような、でも安心したような顔で見た顧問が、優しい声で言った。
「今日は来ないかと思ったよ」
その一言で、あ、知ってるんだな、と悟った。
ーーー
前日の夜。
私は、人生初めての家出をした。
詳しい理由はあんまり覚えていない。
でも家を飛び出すくらいだから、相当な何かがあったのだと思う。
母は、過干渉で、平気で暴力を振るう人だった。
思い通りにならないと理不尽な理屈で罵り貶し、私の動向は全て把握しておかないと気が済まない、きっと私をただの所有物としてしか見ていない、そうとしか思えなかった。
私は普段から意思がしっかりある方で、「それは違う」と思ったら言わないと気が済まない。
でも、母には何を言っても意味がないことはもうわかっていた。
母は私の話になんて聞く耳を持たないから。
そうして、私はいつしか『我慢』を覚えていた。
でもそのときの私は、まだ心のどこかで、「しっかり伝えれば変わるんじゃないか」って思ってたんだと思う。
だから、きっとその日は
理不尽な母の言葉に、全力で言い返した日だった。
思わず携帯(その頃はガラケー)だけ持って家を飛び出した理由は、やっぱりダメだ、って、なにを言っても響かない、って気づいたから。
あと、母がよく言ってた「お前なんかいなければ良いのに」って言葉通りに、じゃあいなくなってやるよって思いも込めて。
勢いで飛び出したものの、行く当てなんかもちろんない。お金もない。
住んでた広いマンション街の端の方、建物の裏の、滅多に人なんか来ない、死角になってる場所に丸まって、朝まで身を潜めてた。
ショックと絶望でなにも考えたくなかった。
鳴り止まない電話と、立て続けに送られてくるメール。心配ではなく、言いなりにならない私への怒りなのは確かだった。
母は、自分ではどうにもならないと、あたかも「子供が手が掛かって大変なんだ」とでも言うように、被害者ヅラして周りを巻き込む。
当時の担任にも連絡を入れていた。
そしてその時点できっと、その当時、担任と付き合ってると噂されていた我が部活の顧問にも、情報が入っていたのだ。
ーーー
「今日は来ないかと思ったよ」
その一言で、あ、知ってるんだな、と悟った。
普段から、家でいくら嫌なことがあっても学校では普通にしていた。それが当たり前だった。
学校は毎日がすごく楽しかった。
友達にも先生にも恵まれ、むしろ学校にいる間くらい、家のことなんて考えたくなかった。知られたくもなかった。
その日も、朝方こっそり家に戻って、制服に着替え、荷物だけ持って学校に向かったのだ。
朝練を休んで、何かあったと思われたくなかった。
「何かあったの?
お母さん、心配してたよ。」
あんなの心配じゃないです、なんて言えず、
曖昧な苦笑いをして
ただ黙って、フルートを組み立てる。
親のことを話すなんて、できない。
正直、誰かに聞いてほしいと何度も思った。
でもいつも笑って誤魔化してしまうんだ。
思いっ切り辛い顔して、不幸自慢みたいな話をするのはすごく苦手だった。
誰かに話しても、現状は変わらない。
そんなことはとっくに、子供ながらに気付いていた。
その後も言葉をかけてくる顧問に、普通の顔で笑って返し続けた。
コンクールの話とかして、話を逸らしたりもした。
そして顧問がふと、すごく優しい顔で
「強いね。」と言った。
いま思い返しても思う。
あの頃の私は、色んなたくさんの感情や考えを内に秘めて、全てを自分でなんとかしようともがいてた。
しょうがないと割り切って、我慢して、何でもないフリをする能力が高すぎた。
14歳とは思えないほど、大人で、強かった。
その日私は、初めて人前で泣いた。
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