ひめいち 【Vol.9 秋麗号】
直訳すると、"最上のものは、なお後に来たる" でしょうか。
今はしんどくても、辛くても、続けていれば後になるほど良いことがある・・・という意味かなと思ってます。
またまた教養をひけらかしてしまいました。
いやいや、なんのことはないTVドラマ(確か朝ドラ?)で聴いて、えらく感動した言葉です。
「待てば海路の日和あり」とは少し違う、アクティブさを感じさせます。
案内人の今の座右の銘でもあります。
◇こんなところに教材が
早々に受験申込も済ませ(10月末までですよ)、今頃はラストスパートに入られているところかとは思いますが、ひめいちがひと筋縄ではいかないのはご存知の通り。あらゆる角度からの学びが必要です。
そこで、今号はいつもの勉強に加えていただこうと、こんなところにも教材がありますよ、を紹介します。
案内人の引き出しには役に立つ、立たないにかかわらずたくさんの資料が詰まっているのですが、受験2ヶ月前の大切な時期です。混乱を避けるためにもとっておきの教材からさらに厳選しました。
■webからのご紹介
おすすめするのは姫路市のサイトです。
信頼性はもちろんですが、個人のブログのような宣伝広告もなく、素直に教材としておすすめできるのです。何より、基本リンクフリーでいちいち許可とかも不要なのは案内人のような貼付け魔?にとっては都合がよい。
なお、姫路・播磨が大好きなみなさんにおかれましては、ハマってしまうおそれもないとはいえませんので慎重にお取り扱いください。
1.知るほどはまる 姫路城トリビアン
雑学・姫路城 | 姫路城公式サイト (himeji.lg.jp)
われらがアイドルしろまる姫が、姫路城にまつわるトレビアンなトリビアをたくさん紹介してくれています。
雰囲気的には「姫路城ビギナーさん向けの記事やんか」と思いがちですが、思った以上にハイレベル、
・輝政姫路城の築城にかかった伝説の延べ人数、2400万人の算出根拠
・姫路城の石垣はどこから来たのか
・国元の殿さまの日常
などなど、興味深いトリビアをぎょうさん教えてくれます。
2.姫路城アーカイブ
姫路城アーカイブ:トップページ (himeji.lg.jp)
姫路市立城郭研究室のサイトですが、圧巻は復元図・CGのページです。
例えば、上にリンクされている "アーカイブ:トップページ" から、
"復元図・CG" と進み→"向屋敷庭園復元"→
添付ファイルの"向屋敷庭園復元PDF" を開くと、城内絵図にカメラのマークがいくつも貼られています。これをクリック(タップ)すると・・・、何ということでしょう!。
現在は動物園と化している空間に往事の大名庭園がよみがえるのです。
茶人大名として名高い酒井宗雅(忠以)が小舟で客を招いた池が、伝説の茶室が再現されているのです。
これは、興奮せざるを得ません。受験勉強そっちのけで夢中になってしまいます。(それはあかんやろ)
同じように御居城(三の丸御本城)の内部や城内内曲輪の様子も手に取るように判ります。
で、まだ終わりませんよ、極めつけは城下町にタイムスリップして、迷い込んだような感覚になってしまう”姫路城 城下町(城門・武家屋敷・町家街区) (PDF形式、476.25KB)です。[360°]パノラマを観てください。
こ、これは、二百年前の姫路城下ストリートビューやないか!!。
少々興奮してしまいました。
気を取り直して、アーカイブに戻ります。
アーカイブトップページのグロナビ(目次ボタン)には、メニュー表示がいろいろありますが、特におすすめは ”公式ガイド” です。
(よく分かっていないのですが、実際のガイドブックをPDF化したものでしょうか)
ひめいち学習としては、先ほどの復元図CGより、(冷静に見られる)こちらかなとも思います。
極上のガイドブックを1冊手にしたような、お得感。このひめいちと共に "姫路検定に無料で役立つ最高峰 " ではないでしょうか。ん!?
なお、このアーカイブ、現在進行形なのかまだまだ未完成な部分が残されているようです。上記二つのコンテンツは別にして、今後の充実に期待しましょう。
他にも姫路市ホームページには、参考になる資料がたくさん詰め込まれているのですが、いかんせん迷路のようにリンクを進んで行かなければたどり着けません。
そこで、いたれりつくせりがモットーのひめいちとしては、参考になりそうな資料を下記に直接リンクしました。存分にご活用ください。
3.姫路の歴史について | 姫路市 (himeji.lg.jp)
紀元前から現在までの概要が年表として載せられており、姫路の歴史を学ぶ上でのスタートとするにはもってこいです。
4.播磨古道_表1 (himeji.lg.jp)
播磨が交通の要衝であることを十二分に納得させられます。街道問題も過去に出題されていますしね。
5.市指定文化財の一覧 | 姫路市 (himeji.lg.jp)
説明不要です。市の文化財事典と言ってもよい。
6.文化財見学シリーズのご案内 | 姫路市 (himeji.lg.jp)
"地元の文化財を訪ねて" シリーズです。こんなところにこんなものが、を教えてくれる、地元再発見のお散歩ガイドとしてもGood!。
他にもまだまだあるのですが、6.だけでも、ちゃんと見ようとすると1週間以上かかりますのでこのくらいにしておきます。
見られなかった記事はまた、シーズン1など余裕がある時期にゆっくりと愉しまれればいかがでしょう。
なお、上記の中のほんの一部ですが、ほんとに史実かなと疑問な記事もあります。これに気づくのも学びのうち、他のサイトや書籍などで裏付けを取ることもまた学びなのです。
■MYひめいち物語【その九 最終ではない最終回 の巻】
やっとひめいちに合格したんだからまた別のステージへ。
とか、思われる方は多いかも知れません。
資格検定だけではなく、料理とか、楽器とか 三十一文字 とか手芸とか(まじめに書いてます)。
資格では世界遺産検定、日本城郭検定をかじったのですが、どうも身が入らない。世界遺産の方は2級は合格したのですが、その上を目指そうという気にはならなかったのです。
どちらも、ネット上の親切なコーチ?の方々はたくさん居て、問題集も、YouTubeには受験対策講座まであるのですが、どうも、合格のための学習という気がしたのです。
「えっ、それの何があかんの?便利やん」と言われそうですが、ひめいちに5年間浸かっていた身としては、違うのです。
気づいたのです。
ひめいちはそれ自体が人生の帯同者のひとつであることに。
ひめいちは自身で、学び方を教材を知識を、考え、見つけ、つくり、得ていかなければならない。
準備万端整った場所へ入っていくのとは違う。
創刊号で語った言葉を繰り返します。
これほどやりがいのある資格検定はない。
そんなことで、何かもの足らない時間を過ごすうちに、2021年前半が過ぎていました。
で、なんと、いつの間にかこの年も続けて姫路検定試験1級にトライしようと決めていたのです。
1級を続けて受ければ受験料半額、という魅力もありましたしね。
一度合格したからという油断や、勉強のマンネリ化からのモチベーション低下や何より勉強時間不足が心配ではありましたが、今回は今まで以上にひめいちを楽しもうというスタンスで臨むことにしたのです。
試験前日に「こんなことでええのかな」と思いながら、オペラ千姫を鑑賞したりして余裕をこいていたのですが、それもこれも関係なかったと思わせるほど難問鬼問続出の第18回(2021年)ひめいちでした。
【2、の答】
①播磨最大は、神戸市垂水区の五色塚古墳、197m(主催者側模範解答より) ※194mと記載の掲示物、資料あり
②市内最大の前方後円墳である壇場山古墳が、140m(同様に143mと記されている掲示物、資料あり)
規模順位は県下3位(実は2位という説もあるとか)
市の2番目が瓢塚古墳101mで7位
※墳丘長は諸説有?、どこからどこまでが墳丘かということもありますしね。
③ー(イ)宮山古墳には、装飾品の他に須恵器、武具、武器、馬具、農耕具などが出土している
(ロ)楕円形の輪(鐶)を交互に通してつないだもの
(ハ)兵具(兵庫)鎖
2、の回答の数は14。正解できたのは7~8くらいでしょうか。試験の序盤で-7ポイント は痛い。(合格は80点以上)
五色山古墳や瓢塚古墳の全長、県下ランク、それに耳飾りの編み方、その特別な呼び方などは、相当詳しくないと答えられない。
「播磨の古墳検定」の問題に相当する難問でした。(そんな検定ありません)
※③ロ、ハの解など宮山古墳のパンフレットにも記されていない。
明治9年8月の17日から26日までの飾磨県から兵庫県に統合されるまでの出来事を、"日付明記の上"、"考えられないような経緯"を書きなさい。
書けません。これは。
4~5年くらい前までは、もどかしい問題が多かったとVol.4あたりで書きました。解りそうで解らない、もう少しで答えられるのにという問いです。今回はだめ。まったく脳内のどこを探しても存在しない。
【10、の答】
①17日~19日:県民の新庁舎見学
②20日~21日:旧庁舎からの移転作業完了
③21日:明治政府が飾磨県を旧兵庫県に併合を決める
④22日:飾磨県が新庁舎で業務開始
⑤26日:旧兵庫県への併合を決めた「通達」が飾磨県へ届く。同日、飾磨県廃止
ここでの答は、主催者側提供の”模範解答”ではなく、できるだけ書籍やサイトで(学びのためでもあり、裏付けを取るためでもあり)探すようにしているのですが、これだけは判りませんでした。
ヒントは問題文の中にあるのですが、ギャンブル的に日付に当てはめていくしかなく、これでは正答はおぼつかない。
23冊ある姫路市史のどこかに記されていたのでしょう。たぶんですが。
最後の問題は、小論文の問題
【17、の答】
①「酒井の刃傷」
この短編の初めての掲載は1980年の短編集、「五十四万石の嘘」の全八編の中の最後とのこと。
(②、③の答は省略します)
松本清張の推理小説は結構好きでよく読んでいたつもりでしたが、この川合勘解由左衛門(定恒)が主人公の短編は不案内でした。
思えば読んでいたのは現代推理ものばかり。
私は、何を思ったかまず①を「寛延の大一揆」としてしまったため、自動的に②以下は全滅。
後から思えばですが、試験終盤を空しく四苦八苦していたのでした。あ~ぁ
他の問題としては
【9】③赤穂義士吉田忠左衛門の子息が島流しになった島の名【伊豆大島】
④忠左衛門が住んでいたのは【亀山朱印地】 ⑤忠左衛門の娘婿、【伊藤十郎太夫(治興)】を答えとする問い
【12】国土交通省が大手前道路(姫路)、【御堂筋(大阪)、中央通り(三宮)】に指定した【ほこみち】に関する問い
12、もなぜか【MICE】国際観光都市に関する制度と勘違いしてしまい、答はあらぬ方向へ。
こう、あ~ぁを連発してしまっては80点など及びもつかず、6年目にして、過去最低点(自己採点で)となりました。
これもすべてオペラ千姫のたたりなのか!・・・(違うやろ)
この回の合格者はやはり、ゼロ。
一年間、懸命にひめいちに取り組んだ方々、特に1~2回目の挑戦者にとっては厳しかったのではないでしょうか。でもどうか暗くならないでください、6回も受けてこんな輩もいるのですから。
それに、ひめいちの結果は合格したか、勉強になったかのどっちかですからね。
ただ、(私には)過去最高難度の試験を終えてなぜかすっきりしたのも事実です。
これがひめいち。
ひめいちにはこんな回もあるのです。
かくして、少々不甲斐ない終り方でしたが、長々と続いた私のひめいち挑戦は終了。この”ひめいち物語”も最終回とさせていただくことになりました。
(今年は諸事情により、受験は断念)
でも、何らかの形で(このサイトもそのひとつ?)ひめいちに関わっていきたいと思っています。最終回は最終ではないのです。
” The best is yet to be "
ご愛読、ありがとうございました。
■演習問題 [江戸時代の殿さまたち]
多彩だった姫路城の殿さまたち、残されたエピソードも豊富にあります。
・天守の鳩を鉄砲で撃った家士に切腹を命じた本多忠政
・都合七度の転封(引っ越し)を繰り返した松平直矩
・赤穂事件の義士たちに同情的でその子息の援助も行った本多忠国
その他、榊原政岑の放蕩ぶりが、酒井忠以のマルチな才能が、酒井忠績の頑固さなどが長い時を超え今に伝わっています。
【演習問題の答】
1.①良正院(督姫):池田輝政
②妙高院(熊姫):本多忠政
③晴光院(喜代姫):酒井忠学
④妙寿院(喜曾姫):酒井忠宝
2.幻の藩主 ①榊原政純 ②酒井忠敬(ただゆき)
明治維新時の藩主が酒井忠績の弟(忠惇)ではなく、この忠敬だったら・・・、その後の姫路も少しは変わっていたかも、ですね。
3.①池田恒興 ②本多忠勝 ③酒井忠仰(ただもち・初代忠恭の嫡男)
忠仰が若くして没したため、忠恭の孫にあたる忠以が家督を継いだ。
この忠仰もまぼろしの藩主!?
4.①夢前川の書写山麓に横関(堤防)を築き今宿から英賀への流路を青山方面へ変えた。(下流の水害を防いだ)
②加古川升田堤を築き、川の西側を耕作可能とした
③加古川下流、印南野の農地開拓
5.豊後日田(大分)~出羽山形
PCのルート検索で調べるとこの距離は、約1400km!
東海道の3倍近い距離です。老若男女、荷物もかなりあったはず。
昔の人はエラかった~!。
6.忠国の母方の曾祖父が本多忠政。
また、父の松平頼元は徳川光圀の弟。水戸黄門は忠国の伯父にあたります。つまり徳川家康も忠国の曾祖父!。
7.①上越市:榊原政岑(政永)が不行跡により姫路から越後高田(現上越市)に移封された。その後明治維新まで榊原家が治めた地となった
②豊田市:豊田(三河国上野郷)は徳川四天王の一人、榊原康政生誕の地
③館林市:徳川家康の関東移封時、榊原康政は上野国館林を拝領した
8.本多家
山崎本多家の初代藩主、本多忠英は姫路藩主もつとめた本多政勝の3男
9.(本多家に領主が代わったとき、多くの藩に分割されたのは)
播磨は多くの産物が生産されるなど経済的に恵まれており、一藩で領有させるとなると、後々力を持ちすぎるのではとの幕府の思惑があった。
また、この時点では豊臣家も滅びており、前の池田家のような強大な勢力も必要性が薄れていた。
※基本中の基本のような問いですが、頭の中で解っていてもいざ書くとなると(字数のこともあり)スラスラと書いていくのは難しい。
記述問題対策は、解っていても書いてみる、です。
10.①酒井正親 ②左衛門尉系
※左衛門尉(さえもんのじょう)は、元々律令制下の官職のひとつでしたが戦国時代以降、非公式な官職名(受領名)として使われていたようです。
(左衛門尉は赤松貞範も拝受している)
□次回予告
・ひめいちの極意
・[演習問題]は、試験本番直前100Word 特集
・過去問の紹介 第10~12回(2013~15年)より
11月中旬発行(を目指しています)
なお、次回でしばらく休刊とさせていただきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?