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ひめいち 【Vol.8 曼珠沙華号】

【問題】生田神社、王子動物園、須磨離宮公園、須磨寺、高砂神社、鶴林寺、播磨国総社、書写山圓教寺、姫路市立野里小学校。これらすべてに句碑が建つ姫路出身の俳人といえば誰でしょう。また、それらの中から刻まれた句を一つ書いてください。

【答】
  曼珠沙華幼き記憶みな持てり              五十嵐播水
(句碑は書写山ロープウェー山上駅付近)

こんな問題が出ればいいなと思っても、出題される確率は0.1%以下?
でも、好きだから憶えられるんですよね。
ひめいち(姫路検定試験1級)を学んでいるから、こんな俳人を知ることができるし、名句にも出会うことができる。
そんなひとつひとつの(楽しみの)積み重ねです。ひめいちは。

ちなみに、野里小学校の句碑は
            貫きし一すぢの道若葉萌ゆ

top画像は千姫の小径(お堀ばた)で出会った曼珠沙華です
西播磨の一部地域ではこの花を”しぶら” と呼ぶそうです


成功があがりでもなければ 失敗が終わりでもない
      肝心なのは 続ける勇気である

Winston Leonard Spencer Churchill


◇ラスト三ヶ月をどう過ごす

試験本番まで三ヶ月を切ってしまいましたが、準備の程はいかがでしょうか。
今号は、MYひめいち物語から始まります。
ラストスパート勉強法の提案は、その後で。

■MYひめいち物語 【その八 もしかして の巻】

2021年1月のある日。

その電話を切ったときは、何か現実的ではないようなふわっとした不思議な感覚にとらわれていました。
前年12月に実施した姫路検定試験1級合格発表の数日前だったと思います。
電話は、姫路商工会議所のOさんからでした。

「もし、1級に合格していたら、授与式に出席する意志はあるか」また、「ふるさと大使に就任の気持ちはあるか」といったことのよう・・・だったように思います。はっきりとは覚えていないのです。

感慨は、電話をおいた後、ゆっくりと静かにおし寄せてきました。
「やったぜ!」ではなくて、「もしかして、やったかもしれない」。

第17回姫路検定1級試験はコロナ元年?でした。受験勉強は比較的順調でしたが、何が心配といって、試験が延期や中止にならないでくれ!。

おかげさまで、2020年12月6日10時20分。試験は無事開始され、いたって静かな(表現を変えればノーマルな、もちょっと変えればわりと易しい)問題から始まりました。
(過去問は許可を得て掲載しています)
【問題】
1,姫路城の姿を6期に分け、①それぞれの築城者を挙げる。
 ②4~6期の姿を簡単に説明。
2,姫路城主3傑、(a)黒田官兵衛、(b)羽柴秀吉、(c)池田輝政 について
①その3人の前任、後任の城主は誰か。
②3人が城主を務めている時代、姫路以外の地での彼らの足跡をそれぞれ。
③この3人以外の城主で、あなたが思う名君、④迷(不行跡)君は誰か。またその理由を簡単に。
3,天守の建築技法、「望楼型」「層塔型」の説明とその城郭例を1つずつ
(問題文は略しています)

といった問題で、2の②以外は、2級レベルというか、(前年とはうってかわって)基本問題が続きます。
こんなはずではない、どこかできっと超難問が待ち構えている。はずだ。

(1,の答)①-1 赤松円心 -2 赤松貞範 -3 黒田重隆 -4 羽柴秀吉
 -5 池田輝政 -6 本多忠政
 ②-4期 望楼式三層天守を持つ野面積み石垣の城
  -5期 大天守は五層で3つの小天守を持つ連立式
  -6期 鷺山に西の丸(化粧櫓など)を造営
(2,の答)
① 黒田職隆-(官兵衛)ー羽柴秀吉
     黒田官兵衛ー(秀吉)ー羽柴秀長
  木下家定ー(輝政)ー池田利隆
 ②・岐阜城にて信長に謁見 伊丹有岡城に幽閉される
  ・備中高松城攻め~中国大返し 賤ヶ岳の合戦
  ・江戸城、名古屋城、篠山城などで築城に協力
  高砂での城、町づくり
 ③名君:榊原忠次(河川改修、農地開拓などの事業を行い、民から「万年様」と呼ばれ親しまれた)
他 榊原政邦、酒井忠以 など
④不行状城主:榊原政岑(高尾太夫を身請けするなどの放蕩)
他 松平明矩、酒井忠績 など
3.望楼型:入母屋造りの建物の上に望楼を乗せる様式
  現存天守では、彦根城など
  層塔型:1階から最上階(望楼部)まで一体型の建物
  現存天守では、宇和島城など

  ※・1,の城の外観を20文字程度で説明というのは、少々つらい。
  総構え城郭とか、白漆喰総塗籠造、左渦郭(らせん状)式の堀など
  姫路城の特徴を山ほど知る受験者にとっては、もっと書きたかった。
  ・池田輝政が築いた高砂城(址)は、現在の高砂神社に残ります。
  元和の一国一城令で廃城になったので僅かな期間だったのですが、
  これ案外知らない人、多いかもですね。

高砂神社本殿です

で、やはり来ました。
【問題】9,明治の廃藩置県の後、飾磨県の新庁舎は、城下の薬師山に建設されることになりました。その間、地元あるいは中央政府から建設候補地として、2か所の町名が取り沙汰されました。
①候補地名と、②候補としてあがった理由を2か所それぞれ答えてください。

(9,の答)
・飾磨津:交通の利便性(銀の馬車道も開通)
・高砂十輪寺周辺:寺を仮庁舎に、周りの空き家を官員宿舎に使える

 ※これは鬼問!。ネットや一般書籍でいくら調べても出てこない。
 姫路市史の第五巻(上)の片隅にひっそりと記されていたのを(しかも偶然)見つけたのは、試験後かなり経ってからでした。

そこからは、将来の姫路市人口の増減予測(変化の大きい校区を挙げる)や播磨圏域の経済面での特徴、内外の姉妹都市や姉妹提携の城などの問いが続きます。
いずれも、”数字で見る姫路経済” (毎年商工会議所にて発行)に記載されてはいますが、かなり細かいところまで問われています。
この辺り、ひめいちに真面目に取り組んできた受験者たちが点を拾っていけるところです。
事前講習も問題集もないひめいち。「試験には、ここから出ますよ~」と教えてくれることはないのです。ひめいちセンサーを駆使し、参考資料や書籍から、これと思えばひたすらチェックするしかない。

この回の時事的問題は、この年に始めて発行された "御城印" と、次年度にオープン予定の "アクリエひめじ" 関連問題。
小論文は前号で紹介した、"ふたつの御坊" でした。

この回の姫路検定1級試験、前年のようなアクの強い問題は少なかったように思います、真っ向勝負の直球問題が多かった。
(手応えがあった分、そう感じたのかも知れません)

姫路城 初代御城印(酒井宗雅バージョン)
授かっておくものですね

なかなか頼りない合格の感慨でしたが、やはり正式な合格発表までは安心できません。なにしろ相手は合格率 2.7%のひめいちなのですから。
(実は、ここまでは家人にも友人にも「もしかして、やったかもしれない」は伝えていませんでした。四度あることは五度あると、だれしも思いますもんね・・・)

この回の合格者はふたり。複数合格者はなんと10年ぶり、
令和最初の合格者でした。あっぱれ~!。


ぇっ!?、感激があまり伝わってこない?、「五回も挑戦しとったら、もちょっとなんかあるやろ」て、ですか。
ほ、ほな、合格の正式発表で自分の受験番号を(半信半疑で)見つけたときの気持ちを書いておきます。



「 すごいな、 おれ 」


ひめいち合格トロフィー
シラサギの翼を模している・・・と私には思えました

(次号に続くのです)


■ラストスパート勉強法

(1)2級過去問を解け
もう9月もなかば、試験本番(12月11日)まで3ヶ月を切りました。
受験スケジュール(Vol.3で提案)ではシーズン2から3への移行時期となっています。
10月以降となるシーズン3では、この夏までにつくってきたオリジナル問題をひたすら解いて頭に入れるのですが、その前の移行時期では、まず過去問を解かれることをお勧めします。
公式問題集も模擬試験もない、ひめいち。
具体的な手応えは、過去問でしか確かめられません。

1級過去問はおさらいという形で取り組むことと思いますが、ひめいちでは特に2級過去問で自分の基礎知識を確かめることをお勧めします。
さすがは18回を誇る姫路検定の2級試験、過去問もよく練られていて、優れた問いがたくさんあります。(商工会議所で過去5年分を入手可能)

2級は選択式回答ですが、選択肢を見ずにできるだけ記述で書いていきます。
これで、安定して90点以上が取れておれば、ひめいち挑戦の資格はあると思ってください。基礎はほぼ出来ている。
ひめいち本番で70点を取れる見込みは十分にあるのです。

あとはプラス10点を積み上げる勉強になります。
(ひめいち合格は80点以上)

(2)オリジナル問題
今号の冒頭、五十嵐播水の問いは、オリジナル問題の例です。
出題確率は0.1%以下と書きましたが、逆に10,000問くらいあのレベルの問いを解ければ+10点となり、(1)の基礎70点と合せて合格に届く見込みがあるということになります。なるはず、なのです。

1万問で10点!?。「なんぼなんでも、そらちょっと大げさやろ」ではなくて、そう思ってください。ひめいち城のプラス10点は難攻不落、おそろしく手強いと思ってください。

ひめいちVol.4記事のオリジナル問題画像の下に、「マイPC内にはオリジナル問題が5ケタくらいはあると思います。たぶんですが」と書いていたのはマジなのです。5年間で積み重ねてきた問題たちなのです。

※シーズン2の7~9月で、1日あたり22問つくっていけば、5年で1万問になります。(1万/(90日×5年)=22.2)

もちろん、1万問でなければダメという話ではなくて、5年という歳月は凄いということ、継続は力ということが言いたいのです。

前号で紹介した名言、”量が質を生む" は、真実です。
受験アドバイザーで精神科医、ベストセラーを嵐のように出しまくっている和田秀樹氏も、『時間ではなく量で目標をたてなさい』と言っています。

ただ、量は多ければ多いほどいい、などと勘違いしてはいけません。
データを詰め込みすぎると動きが遅くなったり、フリーズしたりするのは機械も脳も一緒です。がむしゃらな勉強は逆効果。効率的に、そして着実に記憶やリテラシー能力を高めていく方向での学びが必要なのです。
なにより、がむしゃら勉強は "姫路検定1級を楽しく勉強しよう" のひめいちコンセプトに反しますしね。

とはいえ、自作問題といわれても今から間に合うはずがない、という方には次の方法を提案します。

(3)過去問からの深掘り、発想展開
例えば、第17回過去問で紹介した ”秀吉の姫路城” について、問題を深掘りしたり、発想を広げたりすると、次のような疑問や知りたいことが浮かんできます。
・秀吉城と輝政城、外観以外の違いはないのか
(秀吉の姫路城、大手の方角は・・・)
・秀吉が城主だったのはいつからいつまでだったか
・秀吉の正室ねね(高台院)は、姫路に住んでいたのか
(山崎合戦の前、「もし負ければ、母、ねね共自刃し姫路城に火をかけよ」と秀吉が命じたという逸話が残っています)
・何か他に秀吉の姫路でのおもしろエピソードはないか

1回の試験に100の問題があるとすると、すぐにその何倍もの疑問や知りたいことが出てきます。
これをネットや参考書籍で調べ、知識の中に取り込みます。同時にPCやノートにメモし、次回試験のためのオリジナル問題のネタにしておきます。

運が良ければ?、2ヶ月後の本番の試験に出るかも知れないし、来年以降の挑戦のための教材ともなるのです。

(4)体力づくりと健康維持
健康に気をつけるはわかるけど、なんで体力まで?と思われたかも分かりませんが、これが結構重要なのです。
ひめいち試験の100分は、脳がマラソンしているようと以前書きました。正確には脳と手首でのマラソンです。

姫路検定1級試験での答案、合格するために書かなければならない全文字数は1500~2000文字です。
(嘘だと思うなら数えてみてください。誰も数えないと思うけど)
普通の生活で仕事も含めて原稿用紙4~5枚分の文字を1時間半で手書きしたことがあります?。
しかもお手本や下書きを写すのではなく、考えながらです。
ライターの方でもなければないでしょうね。(本職でも最近は手書きはない?)
しかもしかも、答案用紙に書いては消し(あかん、書き直しや)、が結構あるのです。

これは、しんどいですぞ。
姫路城マラソンの完走ほどではないですが、体力が要るのです。
量をこなすトレーニングの必要性はここにも現れています。

加えて、試験本番の時期はインフルエンザの流行期です。
もちろん(ここ数年は)コロナも。
そのためにも、適度な運動、睡眠、リフレッシュをこころがけましょう。
(なにかの標語のようになりましたけど)


■演習問題 [羽柴秀吉~池田輝政]

今号は、現在につながる姫路城のいしずえを築いたともいえる、羽柴から池田時代がテーマです。

1.次は、秀吉の姫路城の様子を記したある書物からの抜粋です。
・【 】をたたみて【 】をつつみ、【 】をうがちて【 】をたたえ、【 】どもあまた造り、天守とかやとて【 】を組上げて高くそびやかし・・・
 ①【 】の中にそれぞれ漢字1文字を入れて、文を完成させてください。
 ②この文書は、豊臣~徳川家に仕えたある武将が著したものですが、それ  は誰で、何というタイトルの書物でしょう。
 ③また、この著者の父は黒田官兵衛と縁の深い人物でもあります。
  その父とは誰でしょう。

2.羽柴秀吉~秀長~木下家定と豊臣が三代続いた姫路城主ですが、この3人が城主であった期間を和暦年、西暦年でそれぞれ答えてください。

3.破磐神社の奉点灯祭は、秀吉軍の焼き討ちに遭ったある寺の僧侶の供養が始まりとされています。この寺の名を答えてください。

4.美嚢郡(現三木市)生まれで、秀吉や家康にも講義したと伝わる戦国~江戸期の著名な儒学者は誰でしょう。

5.市内井ノ口の法輪寺に羽柴秀吉のおもしろエピソードが伝わっています。どんな話か、150字程度で説明してください。

6.次の文の①には合戦(地名)の名、②~④には城名を答えてください。
・【 ① 】の戦いの後、羽柴秀吉は姫路から大阪城へ移り、池田家には、当主の恒興に【 ② 】城、長男元助に【 ③ 】城、輝政(照政)には【 ④ 】城が与えられた。

7.次の【 】の中を人名で答えてください。
池田輝政の正室督姫は家康の次女だが、長女の【 ① 】は長篠の戦いで手柄を立てた奥平氏の【 ② 】に嫁いでいる。
その子息が姫路藩主にもなった【 ③ 】で、奥平松平家の祖とされる。

8.池田輝政生誕の地はどこでしょう。地名を答えてください。

9.江戸期1677年に刊行された日本の怪談集、”諸国百物語”に載ったひめじ話のタイトルをふたつ答えてください。

10.池田輝政が播磨の地を治めることになったのは、関ヶ原の合戦のはたらきを家康に認められたからといわれています。
具体的にどんなはたらきだったのかを説明してください。

11.『池田家履歴略記』には、姫路城下の説明として、「姫山の下に宿村・中村・国府寺村という村があり、この3村を合わせて姫路と称していた」と記されています。
 この中の宿村の地内にあった、現存する町名を3つ挙げてください。

答は次の画像の下
姫路城天守台礎石の再現展示(登城口東にあります)
昭和の大修理までの400年間、6千トンともいわれる大天守を支えていました。
天守が傾きもしますよね(というより、よく倒れなかった!)


【演習問題の答】
1.①【石】をたたみて【山】をつつみ、【地】をうがちて【水】をたたえ、【櫓】どもあまた造り、天守とかやとて【家】を組上げて高くそびやかし・・・
 ②竹中重門、「豊鏡」
 ③竹中半兵衛(重治)
2.羽柴秀吉:1580年(天正8年)~1583年(天正11年)
    秀長: ~1585年(天正13年)
  木下家定: ~1600年(慶長5年)
※秀吉の城主時期については1577年(上月城攻略の年)からという説もあります。
3.鶏足寺
4.藤原惺窩(せいか)
5.英賀城攻めの前、雑兵数人と軽装でやってきた秀吉は、お茶が飲みたくてその寺を訪ねた。しかし、白湯しか出してもらえなかった。
秀吉「わしは、そこのお茶が飲みたいんじゃが」
住職「これは、秀吉公に出すお茶だからあんたには飲ませられん」
秀吉「ん~、(わしが秀吉なんじゃが)この寺を "湯沢山茶くれん寺" と名付けよう」

6.・【①賤ヶ岳】の戦いの後、羽柴秀吉は姫路から大阪城へ移り、池田家には、当主の恒興に【②大垣城】、長男元助に【③岐阜城】、
輝政には【④池尻城】が与えられた。
※輝政はその後、大垣/岐阜/三河吉田(豊橋)/姫路の各城主として出世街道を駆け上っていきます。
7.①亀姫 ②奥平信昌 ③松平忠明
8.尾張国清洲(時代的には"清須" という表記が正かもです)
9.・播州姫路の城ばけものの事
 ・播磨国池田三左衛門殿わずらひの事
10.徳川軍の殿(しんがり)を務め、南宮山に陣取る毛利秀元、吉川広家の西軍を封じ込めた。また、前哨戦になる岐阜城攻めに、福島正則とともに勝利した。
※この時の岐阜城主は織田秀信(かつて三法師と呼ばれた織田信長の摘孫)でした。世が世ならば・・・。
11.本町、綿町、元塩町、竪町(立町)、西二階町、などから3つ


□次号(Vol.9)予告


・こんなところに、ひめいち参考資料
・MYひめいち物語 【その九 最終ではない最終回 の巻】
・演習問題 [江戸時代の城主たち]

秋祭りの頃に発行予定です。
今号もありがとうございました。


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