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寂しさの向こうには誰もいない

寂しさのお話。

私は、誰しも心の繋がりを求めていると思っている。
その距離感は人それぞれだけど多くの人が抱えてる欲求なのだと思う。
ただ、歳を重ねる毎に、人と関わることが増える度に、本当に混じり合えることなんてないんだと絶望してしまう。

受け止めて欲しいこと、分かち合いたいこと、分かって欲しいこと。これらは期待してることと一緒だと思っていて。
誰に?と問われた時、私は親密な特定の人の名前を挙げると思う。でも、その人達が私の期待に答えられないことは痛いほど知っている。他人と深く関われば関わる程、埋められない溝は見えてくるのだから。クレバスみたい。近くにいるのに絶対に埋まらない溝があってお互いの心にはいけない。でもそれでも手を伸ばしてくれる人がいるのも事実で。その手が私を生かしている。

それでも、…誰かに。
もっと深くまで、わかりあいたい。
分かって欲しい、分かりたい。
無理だと実感しているのに、諦めきれない。

でも私から言える事なんて一つもないんだ。分かり合いたいという期待と裏腹に、他人とは本当には分かり合えないことを信じている私がいるから。
どれだけ同じ感情を持ってても、それは分かり合えてることではないし。

胸に抱えてる気持ちを言葉に出す事は私にとってはとても大きいことで、きっと言葉にするだけで泣いてしまうだろう。吐露するだけでも苦しい感情を奥にしまいこんで、皆んな生きてるなんて本当に凄いよ。私も含めて。だからこそ、胸にしまい続けられるように少しくらい夢を見たっていいじゃないか。
いつか…だれか…って。

でもあくまで夢物語だと思ってないと、また簡単に絶望しちゃうから大変ね。目の前に現れた相手が、私の期待に答えてくれる”いつかの誰か”だなんて思っちゃうと、求めすぎて結局大切になんか出来ないだろうし。

人と付き合っていく中で適切な距離感が曖昧になって過度な期待をしてしまったり、期待通りにいかない怒りを感じてしまったりするから、「この人は一緒に居やすいだけの他人だ」って思うこと、とっても大事。

そういう気持ちを相手に期待しないようになれれば、上手くいくのかもしれないね。
寂しさの向こうには誰もいない、か。

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