見出し画像

宗教と人の話

ふと、昔読んだ本を思い出したのでツラツラと。

チベット 極限高地の仏教(カイラス山巡礼;バター灯明の浄土 ほか)

メッカ 十二億ムスリムの中軸(ライラトル・カドルの礼拝;メッカ大巡礼ハッジ ほか)
エチオピア アフリカに生きる旧約聖書の世界(エチオピアの風土;秘められたアーク ほか)
ヴァチカン 西欧文明の源流(ミレニアム巡礼;信仰と世界情勢―宗教の和解)

地球上には多様な“祈りのかたち”がある。人々はなぜ祈り、かくも篤い信仰に生きることができるのだろうか。過酷な風土に生きる「チベット仏教」、イスラームの二大聖地「メッカ・メディナ」、古代ユダヤ教直系のキリスト教が息づく「エチオピア」、カトリックの総本山「ヴァチカン」。“風土と宗教と人間”を軸に、壮大なスケールの作品を発表し続ける写真家・野町和嘉の代表作を一冊に。祈りの熱狂と厳しさ、そして優しさを鋭く捉える一一五点の力強い写真と、現場の臨場感を伝える書き下ろしエッセイを収録。人と宗教の“今”を考える写文集。


ここから先は私の感じたことの話なので、上記の内容に興味がある方は是非見ていただきたいのですが…。

役所に行った時に、空気が重かった。
役所以外でも場を作っている人の空気や、外的環境など日々囲まれて生きている。
それらの気配というか空気感をを創るものはなんなのだろうな、とぼんやり役所で考えている。
喫茶店、繁華街、ビジネスホテル、神社、海や山々、洞窟…あげればキリがないが。
その場の空気感というのは、生命の気配やその場を取り巻くエネルギーが創り上げられているものなのだろうか。

祈りの回廊(野町和嘉/著) は、写真家だ。
なので、この著書は写真と文章で構成されていて、より鮮明になだれ込んでくる感覚がある。

チベット仏教の仏像のお話では、"人が祈り続けることで宿るエネルギー"について描かれていた。
日本の国宝に指定され、厳重に保管されているような仏像にはかなわない何かがそこにはある。
生命が吹き込まれる、というのとも違うような、ある意味でずっしりとした重い念が凝縮されているような、そういうものがあるように感じた。
(手帳類図書館に行った際に、彫刻師の人のなぐり書きメモをみた際も「 宿るとはなにか」ということがメモされていた。)

場の空気感というのも、そういうことなのだろうな

私は日本でしか生きてこなかったから、ほかの文化や風土、人間らが創り上げられる空気を知らない。
旅行でいくことはあれど、生活とは違うものだ。

海外に行き、人と関わった時"人の本質は変わらないな"と感じた事と、"育った文化や環境で人は変わってしまうのだな"、という2つのことを強く体感した。 

色んな場所に住んでみたほうがいいのかもしれない。せっかく生きているのだし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?