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生きる

言葉にすれど、写真にすれど、身体に彫れど、足りない。ずっと足りない。寝たくない。

どうか、一旦止まってはくれないだろうか。
止まれ。お願いだから今すぐ止まれ。
変化を受け入れないから、耐え続ける日々になるのか?


揺れているから寂しい。
揺れ続けることが人生だ。
だから、ずっと寂しいのか。
忘れたくない出来事もあの瞬間は絶対変わらないに、記憶だけがいつまでも、揺られ、揺さぶられ、耐えず干渉を受け、捕捉され、再構築されていく。
何処にもなくなってしまうからこそ、中身がわからなくなったとしてもどうか形だけでも残っててくれ。でも本当は変わらないで、忘れないで、どうか。

そんな願いごとをした。

しかしそれも含めて、受け入れて踊り続けなければならない。生きる。生きる、は生きている限り起こることを請け負うことか。今感じていることが最もリアリティで、しかしそれに惑わされず、請け負う覚悟を決めることはかなり肝を据えないといけない気がする。
しかし、請け負わなければいつまでも踊らされ続けるだ
だ。

私は、どうしたいのか。
…私になりたい。確固たる私が欲しい。
止まって欲しいだけ。止まらないことを受け入れられないだけ。

でもそれすらも請け負えたのなら、きっと生きていける。


ここ数ヶ月、毎日祈っていた。
私に残された手段は祈ることしかないと思っていた。
実際祈られる立場になると、祈られただけで永遠に息が出来る様な気もするし、ふざけるなと思う時もあるし、呪縛になる事もある。
祈る時も同様、難しいね。それらは何が違うんだろうね。




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