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【出産費用の保険適応】適応の意味と今後の予想

日経新聞に出産費用の保険適応を検討しているとの記事がありました。

医療従事者側からの意見として、主に妊婦の経済的負担の増大リスクや廃院によるアクセス権の悪化を根拠に反対という論調が多かったのですが、少しずれているのではと思いました。

この記事では、この案が超えるべきハードルと検討する意味を、実際に出産が保険適応された場合を想定して考えていきたいと思います。


保険適応にするために超えるべきハードル


まず前提として現在出産(正常分娩)は保険適応ではありません。
これは保険適応は「傷病に限られる」という原則のためです。

そもそも保険とは、発生しうる予測不能なリスクに対して加入者で分散させる、大数の法則に基づいた考えに立脚しています。日本の医療保険では、このリスクを傷病と定義しており、正常分娩であるならば予測不能なリスクとは見なしていません。

一方で出産であったとしても、帝王切開や吸引分娩などが必要になった場合は、予測不能なリスク=疾病として保険の適応になります。

つまり正常分娩を保険適応にするというのは、正常分娩は予測不能な個人的災害であるというのと同義であり、この整合性はとる必要があります(これは制度面での定義の話で、医学的に妊娠は病気と捉えるべきとかの話ではありません)。

しかし出産に対しては保険適応でない代わりに一定の補助を受け取ることができ、それが出産育児一時金となります。この一時金により出産は保険適応でなくとも妊婦は高額な費用負担をせずにすむ制度設計になっています。

ではこの出産育児一時金はなにを財源としているのかというと、この財源を論ずる際にそもそもの財源の種類の理解が必要になります。


共助と公助

社会保障制度の仕組みには社会保険方式と社会扶助方式の2種類あります。
この2つはよく混同されることが多いですが、立脚した概念が違うため分けて考える必要があります。

社会保険方式においては共助(大数の法則によるリスク分散)の概念のもと、保険料負担の見返りに給付を受けることができる仕組みです(拠出要件あり)。一方で税方式においては公助の概念のもと、主に租税を財源にして給付を行う仕組みであり、負担の多寡や有無によらず(拠出要件なし)、必要とされる状況に応じ、施策として現金または現物の提供が行われる仕組みです。

” 医療は税金で成り立っている ” と誤解されることがありますが厳密には正しくなく、正確には社会保険で成り立っています(ただ現在社会保険料の財源の約4割は公費負担であり、結果的に間違っているとまではいえませんが)。

では出産育児一時金はどちらの要件で成り立っているのかというと、実は医療保険の保険料が主な財源となっており(市町村国保、国保組合は一部公費負担)、社会保険方式の共助に立脚した制度となります。実際に出産育児一時金には拠出要件があり、健康保険に加入していることが条件になっています。

つまり、出産育児一時金は医療保険の保険料が原資であり、保険診療の財源と大枠としては同じになります。

結論として、この案は保険適応の定義に関しては整合性をとる必要はあるものの、保険診療と財源が同じであるために、正常分娩の解釈さえ変えてしまえば、高いハードルではないと考えられます


保険適応になったらどうなるか

では出産を保険適応したらどうなるでしょうか。

現行の医療制度は歪なシステムである

日本の保険医療制度というのは全国津々浦々一定水準の医療を安価に提供することに重きを置いたシステムとなっています。各国の医療システムを患者目線からコスト・アクセス・クオリティに分けるとすると、アメリカはコストを、イギリスはアクセスを犠牲にして、残り2つを維持しています。
日本はこのどれも犠牲にせずに医療費をつぎ込んでシステムを維持してきたのですが、逆に犠牲にできなかったために医療の進歩によるシステム維持料の高騰化に対応できず、結果ソフトランディングに失敗し、ハードランディングが目前に迫っているのっぴきならない状況に陥っています。

日本の医療システムの特異な点は、大都会だろうと限界集落だろうと、提供されるサービスの質が高かろうと低かろうと、原則的に価格は同じという点にあります。しかもこの値段を決定は中医協(中央社会保険医療協議会)で決められ、本当にその価格が適正かどうかは市場にゆだねられていません。

例えば料理屋でいれば、全国どこでも土地価格や人件費に寄らずラーメンは800円、麻婆豆腐は500円、ハンバーガーは300円と恣意的に価格が決められ、しかも調理師が新人のバイトだろうと三ツ星シェフだろうと値段の差はつけられないというものになります。

これが医療費という財源を使用するために従わなければいけないシステムであり、市場原理と照らし合わせても相当歪なことが分かると思います。しかし産科システムを保険診療の側からみると、提供されるサービスは見た目は同じものにみえ、かつ出産育児一時金という医療費からの財源が充てられているにも関わらず、市場原理にのった価格設定となっているほうが歪に見えるわけです。


保険適応の影響

国は出産を保険適応にするメリットがあるから検討しているわけですが、ではこの歪なシステムに出産費用を組み込むメリットはなにかというと、それは国が価格を統制できるようになることだと思います。

現在までに出産育児一時金は増額を繰り返し現在の金額となっているわけですが、同様に出産費用も上昇しており、結果的に妊婦の負担はあまり変わっていない現実があります(便乗値上げと批判されるポイントです)。
しかしこの値上げの主要因はインフレと周産期リスクの上昇に伴う人件費、設備費などの高騰化であり、今後のこの傾向はかわらないと予想されています。

しかしこの傾向を打破する方法があり、それは市場原理ではなく、医療保険制度に放り込んでしまうという方法です。これによってほかの医療システムと同様に価格は医療機関が決めることができなくなり、この上昇傾向を食い止めることができます。

ただ当たり前ですが、医療保険制度に組み込めばサービス提供のためのコストが上昇しないわけもなく、価格転嫁できなくなった産科医療は打撃を受けることになります。

特に都会は他の地域と比べても人件費や設備費が高い地域であり、費用を価格転嫁できず他地域と一律の価格でサービスを提供しなければいけなくなれば並大抵の影響ではありません。おそらく小中規模病院を中心に立ち行かなくなるでしょう。

では都会でなければどうなのか。
人口減少地域を田舎と定義するならば、田舎に存在する病院は需要が消失するため須らく廃院になる運命にあり、特に若年層が主たる産科と小児科から需要が消失していくでしょう。

田舎の産科が廃止に追い込まれている最大の理由は、端的に言えば需要がないからです。もちろん医師不足などもありますが、根本的にはそもそもの出産がないためです。

出産が保険適応になると、この田舎の病院は東京と同水準の出産費用を請求できるようになるため、その差額分だけ利益を得ることが可能になります。この利益分によって田舎の産院は延命を図ることができるようになります。しかし需要が増えるわけではないため、一時凌でしかなく、長期的には廃院の運命は免れないでしょう。

妊婦への影響

妊婦はどうかというと、少なくとも短期的にはメリットを享受できる可能性が高いです。国の最大の目的は長期的な価格統制権にあるわけですから、制度移行時に妊婦にとってデメリットとなるような設計にするとは考えづらいです。田舎の産院の延命が図れることからも、アクセス権も担保されるわけですから、デメリットは最小限と思われます。
ただ長期的には、過去のほかの制度と同様に少しづつメリットは削られていくでしょう。また現在であれば対価に応じたサービスを選ぶ選択権がありますが(予算に応じた産院の選択権)、保険適応されれば価格は一律となり、サービスと値段差による選択権はなくなります。

少子化への影響

出産に関わる問題であるため、この議論と少子化問題がセットで議論されることがありますが、私はあまり影響がないと思います。これは医療機関にとっては明確なデメリットのある政策ではありますが、妊婦にとってはあまりデメリットがないこと(サービスの低下はあるでしょうが)、そもそも産院が維持されても少子化の解決にはならない可能性が高いからです。

少子化は複雑系の複合要因であり、産院が増えれば少子化が改善するというような単純な問題ではありません。内閣府の研究サーベイではそもそも検討すらされていません。因子として影響を与える可能性はありますが、保険適応反対の主要な根拠に少子化への影響を据えるのは無理があるのではないかと思います。


まとめ

出産(正常分娩)が保険適応となった場合の予想としては、

  • 国としては、出産費用の価格を統制できること、そこから財源を抑制できるという大きなメリットがある(価格を統制できれば交渉カードとしても使えるようになる)。

  • 妊婦にとっては、都市部では出産費用の抑制、田舎では閉院の回避により少なくとも短期的にはデメリットとなる可能性は低い。

  • 医療機関にとっては、特に都市部の小中規模病院を中心に大打撃を受ける。一方で田舎の医療機関は一時凌ぎだが延命することができる。

  • 少子化という観点では、正直影響は微々たるものではないかと思われる。なぜなら少子化の根本的な問題はそこではないから。

産科は体制を維持するコストとリスクが高いことからも、医療機関にとって保険適応は打撃になることは間違いありません。しかしこれは国にとって明確なメリットがあるため、解釈の問題さえクリアすれば進められるでしょう。

結局この問題の本質は現行のシステムを維持できなくなった延命措置策なのです。
高騰する出産費用の価格転嫁が医療関係者以外から賛同を得られていない現状において、この方向性を覆すだけの支持を得られるとは思えず、2026年度でないにしても長期的にはこの案が実現される可能性は高いと予想しています。


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