4年間
僕は過去ばかりを見ているような気がしている。
過去の栄光とすらいえないような朧気な記憶にすがってずっと生きている。
そもそもあの人との思い出といえるようなものすら持ち合わせていないのにその人のことが頭から離れない。少なくとも最後に顔を合わせてから4年は経っている。新しい環境で新しい仲間ができて楽しくやっているのだろう。
嫉妬でもなくうらやむでもなく、そもそもあの人が現在もうまくやれているなんて確証はないのに、それでもなにか羨ましいようなそんな気がしている。
いや、僕が羨ましいなどど思っているのはその人本人ではなくして、その周りにいることができている人たちなのではないだろうか。
僕がいることのできなくなった、元凶は自分自身だが、そんな環境にいることのできる「誰か」を僕は羨み続けると思う。
悲しいことだと思う。
僕もそれなりに楽しくやっているはずなのだ。
でもパズルのピースが欠けている。
ピースが欠けたままでも生きていくことはできるしある程度は思った通りにうまいこと進んでいるけど、それ以外にほしいものがあったはずなのだ。
答えを口に出せばなぜかすべてが終わるような気がしている。
実際、その答えは自分でもわかっているけど、それを認める気にはならない。
残念な思考をしていると思う。
仕方ない。
こうやって回りくどくクソめんどい考えをしているから僕はいつまでもこんなことになっているんだろうなと思う。
周りに置いて行かれる。
インスタをみればだれもかれもが(虚構だとしても画面の中では)輝いている。なぜかみんな仲のいい異性がいて恋人がいる。
その仕組みがよくわからない。謎が謎のまま大人になっていく。
いや、大人になることができない。子供のまま腐っていくだけだ。
青春の「せ」の字も知らぬまま女子学生の極端に少ない理系の大学に進学してしまった僕は、きっと女性という存在に触れることなく貴重な4年間を使いつぶすと思う。
周りのみんなが楽しそうに生きている。
人は言う「あんなに楽しそうな彼らにも苦悩や後悔はあるんだよ」と。
励ましのつもりか鼓舞のつもりか知らないがその言葉がさらに僕を追い詰める。
苦悩や後悔があったって笑っていられるくらい幸せだってことじゃないか。
コンプレックスの塊みたいな頭をしている。笑える。笑ってないけど。
青い春などどこにもなかった。理想は理想。でもこれは紛れもなく現実。
仕方ない。そう納得するしかない。
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