221207 - 能動的に生きていたい


先日高校の頃の後輩(まだ高校生!)とご飯に行った。

若いなぁ。高校生。受験の話とか学校生活の話とか聞いていると若いなぁと感慨に浸ってしまう。

あの頃は何をしても若かった。若さ故の輝きがあった。今とは全く違う感性を持っていて、その目を通してみる世界は全く違っていた。当時は灰色に見えていたかもしれない世界も今思えば綺麗で。心の脆さも、幼さも、憎しみも悲しみも、全部ひっくるめて美しかった。

きっと今書いているこの文章を数年後の私が読んだら若いなぁ、って言ってるんだろうな。


本を読むこと。これは受動的な営み。
noteを書くこと。これは能動的な営み。

人がする色々な「行動」は大きく2つに分かれていて、けど私はその違いにずっと気がついていなかった。
能動的な営みは苦しい。
自らが動かなければ始まらない。無から生み出さなければならない。正解があるわけでもない。
苦しい。けど私は能動的に生きていたい。
私は生きているんだ!と、世に放ち続けたい。自己満足だけどね。

(能動的な営みの元に受動的な営みがあると思っているし、私は受動的な営みも大好きです。これは蛇足。🐍)


最近困っていること。感情は揺れてないのに涙が先行してしまうこと。

数ヶ月前から自動車教習所に通い始めた。問題なのは技能教習。何事もなくスムーズに終わればいいのだけど、時々うまくいかないのが重なってしまうことがある。(多分あるある。)頭の中では下手で当たり前だとわかっているし気持ち自体は落ち着いているはずなんだけど、どうにも涙が勝手に出てきてしまう。泣かれても困るよな...とは思うからなんとか落ち着けようとするけど、泣いていること自体に理由がないから止め方もわからずいつまで経っても涙が溢れてしまう。そのうち教官にバレて「なんで泣いてるの?」って聞かれるけど理由はないし「条件反射です。」としか答えられない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

昔からこういうことが多かった。普段は全くと言っていいほど泣かないのにちょっと軽く注意されただけとかで涙の止め方がわからなくなる瞬間がある。もうそこに感情はないのになと思いながら数時間、思い出したかのように涙が溢れてしまう。

きっと社会に出ても同じことをしてしまう。泣いたらどうにかなると思ってるのか!って言われるタイプなんだろうな。嫌だな。

...って文章を書いていたら涙が落ち着いてきた。言葉にするのは案外大事なのかもしれない。外で書いてるからただ寒いだけかもしれないけど。

外気温9度。寒い。



去年の紅白で流れて衝撃を受けた1曲。

映画自体は観たことないし曲も聞いたことなかったのだけど、鳥肌が止まらなくて気分がものすごく高揚したのを覚えている。中村佳穂さんの歌声も冷静なのに感情的で力強くて、どうして今までこの人を知らなかったのかと思うほど素晴らしかった。憧れです。

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