マンマ・ローマとペールのドレス/ 『Mamma Roma』
皆さまとてもご無沙汰しております。
いかがお過ごしでしょうか。
わたくしはと申し上げますと、少し前に10ヶ月間のデンマーク留学から一時帰国しまして、束の間の日本を楽しんでいます。
ところで今回は、冬ごろに英語バージョンだけを公開し、日本語バージョンをパスカル・オジェが革ジャンを着ながらする空手ぐらい謎に温めてしまった、ピエル・パオロ・パゾリーニの1962年の作品『Mamma Roma』の批評文をを掲載いたします。
実は、初めて完全な批評体系をとって書いたため、普段とは一転、大真面目な文章になっています。
真面目なマチルダもお楽しみいただけることを祈って…。
主人公マンマ・ローマが3匹の子豚を連れてくるアクションから始まる本作、第一シークエンスの舞台は結婚式である。ネオレアリズモの映画作家とも言えるピエル・パオロ・パゾリーニが本作にて描いた世界とは、戦後イタリアの貧困から這い上がろうとする下級市民の姿であった。世界中で永く貪欲や性欲の象徴とされた豚は、同時にローマでの最も一般的な肉食物であるが、この豚たちを目の前に人々が宴を繰り広げる様子とは戦後イタリアの縮図とも言えるのではないか。労働者なくして社会はならないものの、社会は欲を抱えて上を見上げる者を余興かのように目に映すだけなのだ。
また、横切るように設置された長卓で祝祭を行う人々を捉えたロング・ショットは、『最後の晩餐』を模していることが見て取れる。家畜小屋で生まれたイエスの神話を思い出してみると、また「豚」というモチーフに繋がるのは何とも興味深い。
時は過ぎて十数年後、離れて暮らしていたエットレと共に暮らすことになったマンマ・ローマは、息子に上流階級の社会に生きて欲しいという想いから売春をして稼いだ金でローマに部屋を買う。しかしながら、既に売春家業から足を洗った彼女はその事実を息子にひた隠しにしたいものの、悔しくも昔の男・カルミネにその事実を脅しに金をせびられるのだった。
新居にて、二人仲睦まじくタンゴを踊りながらマンマ・ローマは昨夜見た夢の話をする。ギリシャの山の上に立っていて、そこは一面泥だらけであったのに突然それがローズマリーに変貌し、すると今度は遠くからエットレの父親の声が聞こえたという。しかし、その声のする方へ向かってみると、反対側の丘にいたのは彼の父親ではなくエットレ自身だったという話だ。これがこの作品の全てだと言えるだろう。映画『Mamma Roma』とは、息子に親としての愛情よりも寧ろ、自身の憧憬的な恋心を向ける母親の話なのである。
冒頭の結婚式のシークエンスを振り返ってみても、貪欲と性欲の象徴とされる豚とそれを連れてくるマンマ・ローマは同じモチーフに取れる。無論、アンナ・マニャーニ演じるマンマ・ローマが豚に似ているという意味で無く、祝祭仕様にリボンの巻かれた豚と、豚肌と同様のトーンでくびれ部分にリボンの付いたドレスに身を包んだマンマ・ローマは、その象徴的意味を共有していると考察できるからだ。
しかし、彼女の恋心は報われない。エットレはマンマ・ローマと楽しくタンゴを踊ったかと思えば、そのレコードを女に金のネックレスをあげるために売り飛ばし、マンマ・ローマが買い与えたバイクの後ろに彼女を乗せて仲睦まじく町を走ったかと思えば、売春の事実を知った際にそのバイクでマンマ・ローマの視界から走り去る。
十数年の失われた時間は、母の愛情のベクトルを捻じ曲げ、子に家庭の存在
を拒ませたのである。しかし、身体を売ってまでしないと金を稼げなかったシングルマザーが、金さえあれば息子を取り戻せると躍起になる姿をどうして我々が咎めることが出来ようか。
作中、二度挿入される白眉なシークエンスがある。街頭が灯る夜、井戸端会議が開かれる小さな広場をスタート地点に、マンマ・ローマは夜道をひたすら真っ直ぐに歩き続ける。しかし、その 間、次から次へと様々な年代の男たちが彼女に話しかけては離れていく。このときの照明は、限りなく黒に近く、その様子を窺い知ることが出来ない背景からバックライトを排したことで、マンマ・ローマとその隣を歩く男たちがうっすらと暗闇から浮かび上がって見える。
演出された3灯照明と、タイのコムローイ祭りのように幻想的に浮かぶ数々の街頭。こうした非現実的な画作りは、マンマ・ローマが歩んできた過去の一種の回想シーンであることを観る者に訴えかけるのだ。
一方、作品後半に再び同じセットアップとアクションのシークエンスが挿入されるが、このときスタート地点にいる井戸端会議仲間がマンマ・ローマにこう叫びかける。
「天国でも探して みてんのかい?…その霧はあんたの骨を錆びさせるよ。…あんたがした悪事は、無垢な心が歩かなくちゃなんないアウトバーンなんだよ」
そう言われてコニャックを煽ったマンマ・ローマはこう言い捨てるのだった。
「クソ、酷い腹痛だ。まるで自分の心臓を食っちまったみたいだ」
と。これらの言葉が語っているように、二度目に挿入されるこのシークエンスでは、我々が一連を追ってきたこの母子の歩むこととなる悲しい結末、未来の表象なのである。
高熱に浮かされたエットレは不良仲間と盗みを働き、牢屋に入れられた後に熱せん妄によって暴れ出し、独房へと連れていかれる。そこで一枚板に縛り付けられたエットレは、苦しみの中で息絶えるのであった。
その姿は、磔にされたキリストを想起させ、また、息子の訃報を聞いたマン
マ・ローマが身を投げ出そうとした窓の外に捉えられるのは、サン・ジョヴァンニ・ボスコ教会なのである。
「最後の晩餐」に始まり「イエスの磔刑」で終わる本作は、皮肉にも冒頭で既にこの物語の結末が語られていたことになる。つまりマンマ・ローマはユダであり、エットレはイエスだったのである。幼少時代に与えられなかった愛情を、いつの間にかエゴに置き換えて与えようとした母の行いは悪事と化し、神の子を死へと追いやることとなった。我々は、最後の晩餐から翌日十字架に処されるまでのかくも短い物語を目撃したのである。
また、戦後イタリアと豚というモチーフ。これらは、貧困の中で大志を持ってのし上がろうとする人と、それを冷たく跳ね返す社会相貌という二項を巧みに表現している。後期にかけて我が道を独創/独走していったパゾリーニ
が、社会に寄り添って映像を紡ぎ、無情なこの世界に問いを提示したという点からしても、本作は評価に値すると言えよう。
いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、私も母と新居でタンゴを踊りたいぐらい嬉しいです。
ありがとうございました。
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