運命に抗うという運命 /『ウェンディー&ルーシー』
皆さまこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
お気づきの方も多いかと思いますが、私は先月からマルタ共和国に留学しています。地中海に浮かぶ小さな小さなこの国は、石造の建物とエメラルドグリーンの海が広がるとても美しい国です。
かつてはイギリス領であったため公用語はマルタ語と英語であり、その他欧米諸国と比較して物価が比較的安く、治安や気候も良いということで、マルタ留学を決めた訳ですが、一つだけ盲点がありました。
それは全く映画環境が整っていないことです。
東京23区の半分ほどの国土のマルタですが、国全体にある映画館とは指で数えられるほどです。しかもその全てはシネコン。名画座、ミニシアターに生かされている私はどう生きれば良いのでしょうか…。
昨年は年間300本以上、つまり概ね1日に1本ほど映画を鑑賞していた私が、この3週間で鑑賞した映画は短編1本のみと、全くもって映画を愛でる時間を失ってしまいました。
しかしながら、この留学生活の効用を最大化させるべく、私の骨髄とも証すべき映画からしばらくは離れ(あぁなんて試練だ)、今は英語の勉強に励んでいます。
久しぶりにnoteを更新したいと思い、過去に見た映画の中で何について綴ろうと考えたとき、ケリー・ライカートの2008年の作品『ウェンディ&ルーシー』が思い出されました。
この作品は、アラスカを目指す1人の女性と1匹の犬が、冷たい社会と孤独に呑まれ苦しむ物語です。
独り、異国へ行くことを選択した私は、夢と期待に胸を高鳴らせていたのも束の間、言葉の壁や文化の壁に直面し、また自身の今後に不安を覚え、とても沈んでいました。
2023年1月を最後に、私は今後一切、長期的に日本に住むことは無いでしょう。そう決めていた中で、夢見た海外生活に顔面パイ生地を食らい、上りの階段も下りの階段も失って行き場を無くしたような気持ちになりました。
本作『ウェンディ&ルーシー』は、米国社会の底辺を孤独にさすらう女性の姿が描かれています。
「置かれた場所で咲きなさい。」
そんな言葉がありますよね。
人間は生を選ぶことができません。ある人にとっては、生まれたその環境がその人の生きる場所なのかもしれません。そのような運命なのかもしれません。
しかしながら、ある人にとっては、運命によって定められた地から、人に抗って、場所に抗って、運命に抗って飛び出していくのが運命なのかもしれません。
置かれた場所で咲くことが、その人にとって幸せならばとても素敵なことだと思います。しかし私は、私が置かれた場所に幸福を覚えなかった。ならば、その運命に抗い、幸福を追い求めるのが私の運命なのだと思っています。
だからウェンディも、愛犬ルーシーと共にアラスカを目指したのでしょう。それが彼女らの運命に抗うという運命だったのでしょう。
また、この映画は、最後に大切なことを教えてくれています。
どれだけ愛していても、世界中で何より大切に思っていても、自分がそれと共にある資格がなければ離れなくてはならない。
愛するものを愛したければ、相応の自分でなくてはならないのです。
今の私がいる困難の時間とは、とても大切なものなのだと思います。きっと今、運命に抗うという運命の中にいるのだと思います。
ウェンディはアラスカを目指し、私もどこか知らない場所を目指した。ウェンディにはルーシーがおり、私には映画がある。
例え、道半ばで見失うことがあっても、必ずまた会うことが出来ます。
そして私は、行きたい場所で生きるために、愛するものを愛するために、それらを決して手放さないように、今日を懸命に生きるのみだと知っています。
久しぶりのnote、いかがだったでしょうか。
映画を観ることは疎か、映画について想いを馳せることさえも禁じていたので、今日はとても幸せな気持ちです。
それではまた勉強に戻りたいと思います。
最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ブルーのパーカーとチェックのシャツを買ってしまいたいほど嬉しいです。
ありがとうございました。