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ある天使の肖像

 佳人薄明という言葉があるように、夭折する美少女はしばしば天使にさえも擬えられるのですが、芸術の世界において、わたしの心を捉えて止まない一人の少女が歴史上に存在します。
 20世紀初頭、建築家ヴァルター・グロピウスを父に、前夫が大作曲家グスタフ・マーラーだったという、恋多き美貌の女性アルマを母として生まれた、薄幸の美少女マノン・グロピウス (1916-1935) です。

https://alchetron.com/Manon-Gropius

 母アルマから受け継いだ愛らしい顔立ちのマノンは、当然ながら両親のつながる芸術家サークルで知られるようになり、たくさんの才能ある芸術家たちに可愛がられるようになるのですが (後のノーベル賞作家のエリアス・カネッティもマノンに魅了された一人)、1934年のイースター休暇に訪れたイタリアのヴェネツィアにおいて、マノンはポリオに感染。女優になることを夢見ていた彼女でしたが、半身不随となり、翌年のやはりイースターの四月に病死。
 そんなマノンを密かに愛していたらしい、大作曲家マーラーの後輩アルバン・ベルク(1885-1935)は、無調音楽と伝統的調性音楽がせめぎ合うような不思議な美しさを湛えたヴァイオリン協奏曲を数ヶ月で書き上げるのです。マノンの死の年の1935年八月の作品。
 ベルクは10代の頃に自宅で働いていた若いメイドを孕ませたことがあり、そのことを成人後も苦にしていたのですが、失われてしまった子供への想いをマノンに重ね合わせていたとも伝えられています。
 二十世紀最大のオペラ作曲家の一人であるベルクの唯一の協奏曲は、二十世紀最美のヴァイオリン協奏曲として知られるようになります。
 献辞、そして副題は「ある天使の想い出に」。
 数ヶ月後、作曲家もマノンの後を追うようにして、同年十二月に死去。享年18歳。

 死んだマノンに捧げられたベルク最後の完成作品は、厳しい無調の響きの中に、辛口のカンタービレのヴァイオリンソロがこの世のものとも言えぬほどに美しい音楽。鍛えられていない耳には難しい音楽かもしれませんが、一度で分からなくても何度も聞いていると、ヴァイオリンという歌う楽器の最美の表現で満たされた曲であることがわかるようになる世紀の名作です。

 別の芸術家がもう一人。
 二十世紀の天使の絵を描いた画家といえば、どなたをあなたは思い浮かべるでしょうか?
 ユダヤ人画家のシャガール(1887-1985)も素敵な天使の絵をたくさん書き残しましたが、マノンの人生に関わりを持つことはありませんでした。
 マノンを天使として描いたのは、音楽家になりたかったけれども、その代わりに画家になったというパウル・クレー(1879-1940)。クレーはヴァイオリンの名手でした。
 たくさんの天使を描いた画家です。次のような線だけで書かれた天使は特によく知られています。

Forgetful Angel 1939

 クレーは、マノンの父親である建築家ヴァルター・グロピウスが創設した、美術学校バウハウスの先生でした。バウハウス(開校期間1921-1931)はモダニズム建築の発展に非常に貢献したことで知られていますが、クレーは初代学長グロピウスの愛らしい娘である聡明なマノンをやはり可愛がったのです。
 ですが上記のようにマノンは死に、クレーもまた、彼女の早すぎる死を深く悲しみ、その後、クレーは作曲家ベルクとは全く違った形で、知られざる形でマノンを永遠化したのです。

 クレーの晩年の傑作に「グラス・ファサード」という抽象画があります。ファサードとは正面玄関のこと。でもこの作品は壁に書かれた作品ではなく、普通のキャンバスの上に描かれたクレーの幾何学的絵画の集大成的作品。

Glass Fasade by Klee 1940 from WikiArt

 このクレーの最晩年の作品には、実は秘密が隠されていました。

 キャンバスに書かれているのに関わらず、ファサードなのは、やはりバウハウス絡みなのでした。この絵画の裏側はオレンジ色で塗りつぶされていたのですが、この塗料は実はとても剥がれやすい材質のもので、塗料の選択は意図的なものであったと、バウハウス資料館並びにパウル・クレー財団に勤務し、後にチューリヒ大学において教鞭をとったヴォルフガング・ケルステンは語っています。

 剥げ落ちた塗料の下から現れた絵は次のようなものでした。発見されたのは1990年のことで、クレーの死後、半世紀の出来事でした。つまり、クレーは自分の死後に隠された絵が現れることを意図していたのです。

グラスファサードの裏面

 どういう絵であるかお分かりでしょうか?
 謎めいた絵。でもヒントはクレーの遺した他の作品にありました。

Unfall(accident) 1939 from AffordableArt101
右の下向きのスカートを履いているような人物は少女

 逆さまの少女は「事故」と題された作品。
 画面の下側の大きな絵は「いまだに女性である天使」と呼ばれる作品に酷似。

Angel Still Feminine 1939 from Pinterest

 そして右上の丸い物体は天に輝く星か月。
 つまりこれを読み解くと、グラスファサードというバウハウスの建築と馴染みの深い題名から、この絵は1933年にナチスに閉校に追い込まれたバウハウスの校舎のステンドグラス風の窓であり、落ちてゆく逆さまの少女は突然の死を迎えたマノン。だがマノンはやがて天使となって甦り、月へと昇ってゆく、または永遠の星となる。
 音楽への造詣の深いクレーはベルクのヴァイオリン協奏曲を聴いたのでしょう。そして彼もまた、マノンへの想いをこうして作品化したのでしょう。
 クレーはマノンの死後まもなく皮膚硬化症という難病に罹患して、創作の数は健康問題ゆえに減少してゆくのですが、そうした闘病生活の中で、クレーが最晩年になっていくつも描いた天使の数々は、もしかしたらどれも忘れ難いマノンへの想いが込められたものだったのかも。クレーはマノンの死の五年後、1940年に帰らぬ人となるのです。

 わたしはクレーの作品を見るとき、そしてアルバン・ベルクの大傑作を聴くときには、必ずマノンを思い出します。
 数多くの芸術家のミューズとなった才色兼備の母親のアルマは大変に美しい女性でしたが、彼女は85年もの長命を享受して老女として死にました。ですがマノンは彼女が最も美しかった18歳の姿のままで天に召されてしまいました。

 美しいものが失われると、それを忘れないように、忘れられないように、人は音楽や詩や絵画にしてしまう。 
 天使とさえ呼ばれた早世したマノンは偉大な芸術家の作品の中で永遠に生き続けている。そんな感慨を抱かずにはいられません。
 Immortal Beloved(不滅の恋人)という言葉があります。全ての男性芸術家には、不滅の恋人と呼ばれる女性が心の中にいるのかもしれませんね。

参考文献:
ベルクとマノン、そしてパウル・クレー《グラス・ファサード》の謎解き
http://blog.livedoor.jp/a_delp/archives/1039963512.html
NHK「迷宮美術館」第五集 (2008)

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