ピアノのバッハ 13: ピアノで奏でるコラール(1)
ピアノはレガートすると独特な澄んだ音の美しい音楽を生み出してくれる楽器なのですが、バッハの鍵盤音楽作品をピアノで弾くならばノン・レガートというのがピアノの世界の常識です。
どうしてなのでしょうか?
ピアノはレガート
音と音をつないで奏でるレガートはピアノ演奏の生命線です。
打楽器であるピアノに美しいオペラアリアのような歌を歌わせるためには、鍵を叩いてポツポツと切れた音を鳴らすのではなく、可能なかぎり、指を鍵をから離さないようにして、全ての全てつないでしまわないといけません。
ピアノの先生は、ピアノは触れてから音を出す(鍵盤を押す)といわれます。
また触れた鍵から指を引きはがすようにして奏でなさいといわれます。指先に吸盤がついているようなつもりで指先を鍵盤から離すように弾くと、ピアノは初めて歌い始めるのです。
レガートの創始者ベートーヴェン
十八世紀終わりから十九世紀初頭、当時ようやく楽器として完成されたモダンピアノを用いて、レガート奏法という鍵盤から指を離さないで演奏する方法を考案したのは若き日のルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827) でした。
他にも音符と音符の間にギャップを作らないために、指を鍵盤から離さないというピアノ奏法を試みた演奏家は他にもいたかもしれませんが、レガート奏法で世界で最初に一世を風靡したのはベートーヴェンでした。
ヴォルフガング・モーツァルト (1756-1791) と鍵盤対決したことでも有名な、超絶技巧の鍵盤演奏の名手として知られたムツィオ・クレメンティ(1752‐1832)がレガート奏法で聴衆を魅了したなんて聞いたこともありません。
故郷ボンを離れて帝都ウィーンで暮らすようになったベートーヴェンは、作曲技法をアルフレヒトベルガーやハイドンから習いながら、まずはピアニストとしてデビュー。
演奏会において会場中を轟かすような最強音にレガートで歌う最弱音。
ウィーンの聴衆は若きベートーヴェンの編み出した新しい演奏方法に驚愕したといわれています。
演奏中のベートーヴェンを観察したある聴衆は、ベートヴェンは弾いていないときも両手を鍵盤から離さず鍵盤の上に乗せたままだったと証言しています。
鍵盤に手を置いたまま体重移動だけで最強音を鳴らして、鍵盤上に手を擦らして移動させてカンタービレな歌を鍵盤で奏でたのでした。
こういう演奏方法を心掛けていたので、モーツァルトに生涯に一度だけで逢った時のモーツァルトの演奏の感想をのちに聴かれて、
と不満を漏らしたのだとか。
俺様ベートーヴェンらしい言葉ですね(笑)。
モーツァルトはピアノフォルテと呼ばれていた発展途上だった楽器でレガート奏法をしようなんて思いもしなかったのでしょう。
でもモーツァルトに生涯ただ一度だけ出会ったという十六歳のベートヴェン(現在の高校一年生くらい)の先見の明は素晴らしく、この後、新しい時代の楽器ピアノの潜在的な性能を最大限に高めるレガート奏法を更なる研鑽を積み重ねることで完全に自家薬籠中のものとして、ウィーンの聴衆を虜にしたのでした。
どうしてモーツァルトはレガート奏法しなかったのか?
それは楽器の鍵盤の造りが全く違ったからです。
チェンバロのタッチ(音を出すときに必要な物理的な力と感覚)はピアノよりもずっと軽くて、ピアノの種類にもよりますが、ピアノの音を鳴らすのに必要な3/4の力で音を出すことができるそうです。
楽器屋さんに行って電子キーボードをいろいろ試し弾きしてみるとすぐに体感できますが、一般的にキーボードのタッチは軽い。
すぐに音が鳴る。
上等なキーボードはピアノに似たタッチを再現しようとわざわざ鍵盤を重くして、強い力で押さないと叩かないと音が鳴らないという、ピアノに似せた仕様にさえなっているのです。
ピアノは鍵の底まで鳴らして芯のある音にするか、そこまで打ち抜かないで鍵の途中で微妙に止めて音色や音量を変化させたりもします。
名ピアニストのホロヴィッツ (1903-1989) は、鍵の底のほんの目前の3/4の深さで打鍵を止めるのがピアノに美しく歌わせるコツとまで語っていました。
チェンバロは強弱が調整できないので、強く押そうが弱く押そうが出てくる音は同じなのですが、キーボードとの共通点はタッチが軽いこと。
すぐに音が出て音量調節も利かないので、指を引っぺがすように鍵から指を話すなんでノンセンスです。
ああした奏法は鍵が重いからこそ可能なのです。
軽い鍵盤による爪弾く音。
だからチェンバロを弾くと自然とノン・レガート。ギターの弾く音でレガートできないようなものです。
バッハの鍵盤楽器用の楽譜にはほとんどスラーも書かれていません。
モーツァルトのピアノフォルテもチェンバロのように軽いタッチの楽器でした。ピアノという楽器が発展してゆくたびに、ピアノの鍵は重く深くなっていったので、モーツァルトのピアノ曲もまた、鍵盤音楽の過渡期の音楽なのです。
鍵盤音楽に関する限り、バッハの作曲の発想にはレガートなんてものはなかったのでした。ノンレガート(セミ・スタカート)が標準奏法なのは当たり前のこと。
でもモダンピアノの最大の魅力はレガート奏法。
ピアノを奏でるならば、カンタービレ!
ピアノの美しい音を好きになればなるほどそう思ってしまうのはピアニストの本能です。
だから後世のショパンやラフマニノフやスクリャービンなどが大好きな人は、ピアノのバッハにどこか物足りなさを感じてしまう。
過去のたくさんのピアニストたちはバッハの音楽をピアノ用に編曲してきたのはそうした不満を解消するためだったといえるでしょう。
バッハをピアノで演奏するために編曲した人は二十世紀初頭のイタリアの作曲家フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924) がとても有名。むしろ編曲者としてしか、現在では知られていないほど。
ドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)や夭折した伝説のルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti 1917-1950) もバッハ編曲の名品を遺してくれましたが、わたしが最も好きなのは、バッハが数多く残した声楽音楽を最も美しいピアノの言葉として書き換えた英国出身の二人の女流ピアニストでした。
カンタータの世界
バッハのまだ知らない美しい音楽を聴いてみたければ、バッハのカンタータを聴くのが一番です。
ヨハン・セバスチャン・バッハは生涯のほとんどを教会音楽の演奏と作曲のために費やした人でした。
世俗的な音楽を書くための宮廷音楽家であった時期は彼の長い人生の中でもほんの短い間の出来事でした。
バッハが「聖書の作曲家」といわれるゆえんです。
カンタータ(Cantata/Kantata/Cantate)はラテン語で歌うを意味する「カンターレ(Cantale)から生まれた言葉で辞書的な意味は「歌われるもの」。
つまりあらゆる声楽曲はカンタータであるともいえるのですが、音楽ジャンルとしては、十八世紀のドイツでは合奏・合唱・独唱を含んだ大規模な声楽曲がカンタータ。
教会における日曜日の礼拝のための音楽の場合は教会カンタータと呼ばれて、バッハは一年に訪れる50ほどの異なる日曜日のためのカンタータを二年分半ほども作ったのでした。
教会歴に従って日曜日ごとに内容の異なるカンタータが歌われる必要があったからです。
でも「うたわれるもの」がカンタータの原義なので、キリスト教によらない結婚式の音楽や領主様を讃える音楽もカンタータ。
器楽演奏家がよく勘違いしているのですが、バッハの作曲の大部分は声楽曲なのです。七割以上が声楽曲。オペラ・オラトリオ作曲家だったヘンデルにいたっては九割以上が声楽曲。
ピアニストが弾いているバッハのピアノ曲やピアノ学習者が練習する「インベンションとシンフォニア」や「フランス組曲」や「平均律曲集」などはバッハの音楽作品の中のほんの一握りでしかないのです。
しかもこれらは息子たちや弟子たちが音楽家になるための職業訓練のための音楽(舞曲の型を覚えさせるために組曲は書かれました)であって、教会や音楽愛好家に楽しんでもらうために書かれた音楽とは違ったエンタメ要素にいささか欠けている音楽なのでした。
ピアノ学習者が面白くないと感じてしまうのも無理もないことなのです。
二百曲以上にも及ぶカンタータは、職業訓練用の鍵盤音楽などよりも、バッハの音楽的人生において、より大切なものでした。
だからこそ、カンタータの中にはバッハの最も美しい歌の数々が含まれているのです。
どんなに美しい舞曲も器楽曲も、人間の声が歌う歌には敵うはずもありません。ヴァイオリンは人間の意声を最も美しく模倣する楽器と呼ばれているほど。
人間の声が最初、器楽はそのあとなのです。
バッハの本当に素晴らしい音楽は人の声によってうたわれる「歌」の中にあるのです。
クラシック音楽を好きでない人やわからないという人でも、バッハの歌には心奪われます。
バッハの人生も「祈った、歌った、愛した」という人生だったのですから。
そして「祈った、歌った、愛した」という言葉は男性が語るよりも、女性の口からつぶやかれる方がふさわしい言葉(だとわたしは思います)。
カンタータ第22番より
バッハのカンタータの歌を愛した二人の女性ピアニストの一人目は、1920年代から当代最高のピアニストとしての評価を得て、数多くの名演奏家や作曲家の支持を得て、激動の時代を生き抜いたハリエット・コーエン (Harriet Cohen 1895-1967)。
第二次大戦勃発前後の時代に数多くのユダヤ人を支援したことでも知られています。
それが縁でユダヤ人物理学者アルバート・アインシュタインと一緒に慈善コンサートを開いて、彼のヴァイオリンと共演したなどという愉快なエピソードもあります。
彼女のために作曲を捧げたり、作曲家自身が自作演奏を褒め称えた数多くの人たちの中にはレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ、エドワード・エルガー、バルトーク・ベラなどがいます。
モーツァルト研究の権威である音楽学者アルフレッド・アインシュタイン(アルバートの従兄弟)やパブロ・カザルス、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなども高く評価して共演を求めたほどなのに、日本のクラシック音楽界では全くと言っていいほど知られていないのです。
日本のクラシック音楽愛好家による評価がどれほどに偏っているかの証左でしょう。
彼女の全盛時代はステレオ以前の1920年代から1930年代。
これから最新のAI技術によって彼女の忘れ去られた録音が陽の目を見るようになることを願っています。
コーエンはウィリアム・バードなど古い英国音楽の発掘にも努めましたが、私は彼女の名を彼女が生涯にわたって愛したバッハの声楽曲のピアノへの編曲作品から知りました。
彼女の演奏するバッハはモダンピアノにおける最高レヴェルの演奏。
モダンチェンバロを開発して新しいバッハ像を作り出そうとしていた時代に、彼女はピアノという楽器を信じて、レガートしてカンタービレする、美しいピアノのバッハを奏で続けたのでした。
コーヘンのバッハは、多声音楽のフーガでは全ての声部が明瞭に弾き分けられて、スラーで音のフレーズはつながれる、どのメロディも歌心に富んだ「歌うバッハ」なのです。
幸いにも日本語ウィペディアにも短い記述だけがあります。
波乱万丈な人生を送った彼女でしたが、わたしは彼女の遺したバッハ音楽のピアノ編曲のために誰よりも好きなピアニストの一人です。
最愛のイエスよ、われらここに集いて(Liebster Jesu, wir sind hier, BWV 731)
まずはカンタータの前にオルガン曲のピアノへの編曲。
スペインのピアノの女王、アリシア・デ・ラローチャによる演奏。
デ・ラローチャらしい情感あふれる演奏が素晴らしいのはもちろんですが、バッハの歌をこんなにも見事な「歌うピアノ曲」にしてくれたことに大感謝です。
原曲はオルガンのためのコラール・プレリュード。
この味わい深い曲をピアノにすると足鍵盤の音などをうまく処理してピアノらしい音楽になるように書き換える必要があります。
コーエンの編曲は、終始スラーが息の長いフレーズに欠けられていて、レガート奏法でペダルを半分ほど踏んで、 歌う打楽器ピアノの魅力を最大限に引き出した名編曲です。
こちらは録音にかなり不満があるのですが、編曲者ご自身の演奏。
1928年4月の録音。
著作権切れの往年の録音発掘に定評あるアメリカのナクソス社の音源ですが、AIリマスターでもっと音は良くなるはずです。
イエスは十二使徒をひき寄せたまえり Jesus nahm zu sich die Zwolfe BWV 22: コラール「汝の慈愛によりてわれらを死なしめたまえ」Chorale: Ertodt' uns durch dein' Gute
次はカンタータ第22番からのコラール。
コーエンのバッハ編曲版の最高傑作です。
教会カンタータの目的は教会に集った信徒たちに聖書の物語や言葉をわかりやすく伝えることでした。
このカンタータはエルサレム入場前のイエスが十二使徒とのちに呼ばれる弟子たちにエルサレムに行くことで自分に与えられた使命(十字架の上で死ぬこと)を果たすと語るのですが、弟子たちは理解しません。
カンタータの主題はイエスの死後に師を見捨ててしまった弟子たちの悔恨であり、これから自分たちはあなたの示した道に従って同じように死にましょう。死を通じて私たちを清めてくださいという歌なのです。
管弦楽団が哀愁に満ちた調べをインストルメンタルで奏でて、聖書物語の雰囲気を作り出してから、弟子たちの祈りの言葉をソロ歌手が歌います。
そして最後に十二使徒たちの想いを我が事として、合唱の中で皆で一緒に歌うのです。
ト短調の哀しい色彩に支配されていたカンタータの最後の合唱は明るい変ロ長調。
細かい三十二分音符の管弦楽のメロディの上に合唱がかさなるのですが、歌そのものは教会を訪れた音楽的に無学な人たちでも歌えるように単純なものであるべきというのがコラールの約束事。
歌は誰だって歌えるメロディ。受難曲の中のアリアのような難しい歌はカンタータの中のコラールには出てこないのです。
でもプロの演奏家が演奏するべき伴奏部分はバッハらしい音の織物になっています。
コーエンが編曲したのは最後の合唱の歌。
これをピアノで演奏するのは大変に骨が折れます。
コーヘンの編曲版では、管弦楽の奏でる細かい音符を右手でひたすら弾いて、左手の八分音符の分散和音の上にメロディが入り込むという三声の音楽の構成。
三つの異なるメロディが見事に重なると、それはもうバッハだけにしか作ることのできない素晴らしい音楽世界をピアノが現出させるのです。
しかしながら、コラールを右手と左手の真ん中を行き交うコラールのメロディを別の楽器が挿入されたかのように見事にうたい上げるのは超上級者レヴェルにしか無理な技術です。
少なくともわたしには左手の中のコラール部分をカンタービレで弾き分けて際立たせるのは難しい。複数のフーガ主題を美しく歌い分ける技量が求められます。
本当に難しいピアノ演奏技術は、鍵盤の端から端まで駆け巡る、アクロバティックなサーカス芸的演奏ではなく、複数の音を同時に鳴らして歌うように弾き分ける技術です。
複数のメロディを弾いてもすべての音を均等の力で弾くのではなく、あるメロディを強く、また別のメロディを弱く弾いたりすることには大変な指の知っからのコントロールが要求されるのです。
この曲のカンタータのメロディ演奏は極めて難しい。
でもそれができるのがクラシック音楽演奏に生涯を捧げたプロのピアニストたち。
ここでもデ・ラローチャの演奏が深く心に響きます。
美しい伴奏メロディに乗るコラールの調べ。教会の響き。
神様を信じていない人にも敬虔な想いを思い起こさせる名編曲による名曲の名演奏。
祈りたくなるような美しい歌。
ひそかやにひめやかに。
ペダルも使って、コラールの部分は思い切りカンタービレで!
編曲者自演はデ・ラローチャの演奏よりもずっとテンポが速いのですが、こちらの方がバッハの原曲に近い演奏。
デ・ラローチャは超ロマンティックな十九世紀風な演奏ですね。
実際はデ・ラローチャ (1923-2009) が二十世紀生まれで、コーエン (1895年生まれ) が十九世紀生まれなのですが。
ちなみに英語では「Sanctify us by Thy goodness」として知られています。
Sanctifyは「罪を清めたまえ」という意味。
ですがオリジナルのドイツ語は
「死なせたまえ」という言葉を明るい変ロ長調の明るい歌で歌わせるのが、信仰者バッハらしさ。
英語版では「清めたまえ」と非キリスト教徒にも理解しやすい訳にされているのでしょう。
いずれにせよ、わたしが最も愛するピアノのバッハ音楽のひとつです。
バッハのカンタータをピアノで歌える喜びは何物にも代えがたい。
レガートして歌を奏でることのできるピアノは本当に素晴らしいですね。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。