シェイクスピアと音楽(5): 妖精の女王と妖精の王様
ウィリアム・シェイクスピアが生涯に書いた演劇作品の数は、晩年の他人との共作も含めて総数三十七作にもなるとされています。
中でも最も人気のある作品は、おそらく前回語ったシェイクスピア創作初期の悲劇「ロミオとジュリエット」と喜劇「夏の夜の夢」なのではないでしょうか。
内容の深さにおいて「ロミオとジュリエット」は四大悲劇に、「夏の夜の夢」は似たような魔法による幻想劇「テンペスト」に遠く及ばないのですが、どちらも美しい詩文で書かれた名作であることに変わりはありません。
超人気作ゆえに古今の作曲家に付けられた音楽の数も相当なもので、「ロミオとジュリエット」には前回語った作曲家の名作以外にも、ベルリオーズの声楽付き大交響曲や、ベルカント・オペラの天才ベルリーニによる「キャプリースとモンタギュー」などという名作も存在します。
妖精たちがいろんな社会階層の人間たちを夏至の夜に魔法によって身分制度を取っ払わさせて間違った相手に恋をさせる喜劇「夏の夜の夢」にも、「ロミオとジュリエット」に負けず劣らぬほどの素晴らしい音楽があるのです。
今回はその第一弾。
わたしは現実的な「ロミオとジュリエット」よりも、幻想的空想的な「夏の夜の夢」をより好みます。
メンデルスゾーンによる不朽の劇音楽
「夏の夜の夢」の物語を深読みしないで、そのままどんな物語であるかとまとめると、妖精の王様と女王様の夫婦喧嘩。
手下の妖精パックを使って妖精王オベロンは女王を見知らぬ相手に恋をさせ揶揄うのですが、悪戯者のパックの手違いから森の中にもいた別の恋人たちにも間違った相手に恋をさせ、ひと騒動を起こすというもの。
恋とはまさに病気のようなもの。
妖精の世界が人間の目に見えないところに存在していて、我々はそれに気がつかないというのが作品世界。
超自然の妖精たちのロマンティックな存在が「夏の夜の夢」の最大と言えるかもしれません。
まずは妖精の女王から始めましょう。
妖精の女王ティターニア
大好きなメンデルスゾーンの歌です。
第二幕における妖精の女王ティターニアのためのララバイ。バレエ付きでお聴きください。
フェリックス・メンデルスゾーンはスコットランドの古城を訪れるなど、若くしてイギリス国内を旅行し、ジョージ王にも謁見を許され、何度も英国を訪れた英国好きのドイツの作曲家。
世界的によく知られたユダヤ教神学者を祖父に、大富豪の銀行家を父に持ったフェリックスは幼少より当時において考えられる限りの最高の英才教育を与えられて、乗馬も完璧、水彩画もプロ並の腕前、文武両道の大天才でした。
17歳でシェイクスピア喜劇集を与えられて、感化された若いメンデルスゾーンは早速、自身生涯の作曲の最高傑作とも後年讃えられることになる「夏の夜の夢」序曲を完成させます。
早熟メンデルスゾーンの才能は、かのモーツァルトにも勝るとも劣らぬもの。
後にメンデルスゾーンは序曲のみならず、戯曲の別の場面のための音楽も作曲しました。知らぬ者のいない結婚行進曲はそんな作曲の一部。
劇付随音楽とはBGMなのですが、現代ではバレエにも採用されるなど、まさに不滅の劇音楽。
妖精の女王のための子守唄は様々な名ソプラノによって歌われる楽聖メンデルスゾーン屈指の名歌。
わたしはクレンペラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団とイギリスの名ソプラノ、ジャネット・ベーカーの演奏に学生時代から親しんでいます。
バレエのために作られたわけでもないのにメンデルスゾーンの音楽で数々のバレエ公演も行われています。
個人的にはシェイクスピアのオリジナルな俳優たちによる舞台よりもバレエ版の方が好きかもしれません。
後年、二十世紀英国の大作曲家ベンジャミン・ブリテンがこの劇のオペラ化を試みるのですが、メンデルスゾーンの音楽を超えるものにはならなかったようです。それほどにメンデルスゾーンの音楽は素晴らしい。
夏の夜の神秘を体現するような夜想曲。同じノクターンでもショパンのそれとは全く違う、健康的な夏の夜の歌。
妖精たちが舞い踊る有名なスケルツォ。
このメンデルスゾーンに匹敵する唯一の音楽は、個人的には二十世紀フランスのジャック・イベールが書いたエリザベス時代様式の音楽組曲と題された「夏の夜の夢」のための音楽だけ。
十七世紀音楽のスタイルで描かれた、メンデルスゾーンとは一味違う、もう一つの「夏の夜の夢」音楽の大傑作です。二十世紀なのにあえて復古的なスタイルで書かれているのが良いですね。
妖精の女王のためのララバイはこんなに違う。歌詞はフランス語です。
のちには「ピーターパンとウェンディ」のティンカーベルにまで綿々と続いてゆく、英国の森の中には精霊が宿っているというキリスト教渡来以前の古いケルトの妖精信仰は我が国の多神教的宗教観にも通じるものです。
汎心論的な世界観は、一神教の縛りを嫌う人たちに広く愛されて、「夏の夜の夢」はシェイクスピア (1564-1616) より半世紀のちの作曲家ヘンリー・パーセル (1659-1695) の歌芝居「妖精の女王」の原案にもなりました。
清教徒革命によってエリザベス朝時代の芸術的伝統が失われた後の王政復古時代に生きたパーセルの時代には、シェイクスピア作品もいろいろ改変されて上演されていたのでした。
パーセルの歌劇の台本は間違いなくシェイクスピアに基づいたものでしたが、あまりにひどい改変ゆえに別の物語のようです。妖精の女王ティターニアを主人公に据えた作品です。
音楽は天才パーセルらしさを堪能できる素晴らしいバロックオペラです。
さらに時代が降るとシェイクスピアは英語圏の外でも翻訳によって広く知られるようになり、さらなる自由な解釈によるシェイクスピア劇が生まれたのです。
妖精の王オベロン
そうした自由なシェイクスピア劇の名作が、今度はティターニアの夫君である妖精王オベロンを主役にした歌劇「オベロン」。
ベートーヴェンやシューベルトの同時代人カルロ・マリア・フォン・ヴェーバー (1786-1826)の最晩年の作品。
ヴェーバーはピアノ曲「舞踏への勧誘」や歌劇「魔弾の射手」において知られます。
ですが、ヴェーバーが小児麻痺ゆえに片足が不自由で。のちには赤ワインと間違えて硝酸を飲み、声を失います。あまり知られていないことかもしれません。
ヴェーバーの「オベロン」もまた「夏の夜の夢」のシェイクスピア台本をドイツ語にして自由に改変していますが、妖精パックなども重要な役割を担っていて、パーセル作品よりはずっとシェイクスピアの原作に忠実です。
しかしながら、登場人物の名前はオベロン、ティターニア、パック以外は別の名前になっていて、別の作品のようです。
最近では指揮者ジョン・エリオット・ガーディナーによる英語再現版も作られています。
頻繁に演奏されるのは素晴らしい序曲ばかりですが、再び上演されるようになってほしい作品です。わたしは「オベロン」序曲を有名な「魔弾の射手」序曲よりも好みます。
幻想的な調べはヴェーバーの得意分野。しっかりと「夏の夜の夢」の世界を堪能できます。
一度は舞台で見てみたいものです。
妖精パックこそ主役
「夏の夜の夢」はこのように愛され続けてきたシェイクスピア劇中の最大の人気作の一つ。ティターニアやオベロン視点で歌劇にして物語を書き換えることは、その大人気の表れに違いありません。
ですか、「夏の夜の夢」の人気はひとえに全てのシェイクスピア劇中最高のトリックスター、妖精パックの存在ゆえ。
次回は妖精パックにまつわる音楽に焦点を当てて、「夏の夜の夢」を読み解いてみます。
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