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バッハのマタイ受難曲の人気の秘密

四月は欧米諸国においては復活祭の季節です。

多くのクラシック音楽ファンが古今の全てのクラシック音楽中の最高傑作であると熱く語る、作曲家バッハ畢生の大傑作「マタイ受難曲」はもちろん、復活祭の前の聖金曜日のための音楽。

ここではクラシック音楽を普段ほとんど聞かないと言われるような方に、なぜ「マタイ受難曲」がそれほどまでに愛されるのか、「人気の秘密」という観点から語ってみたいと思います。

7つにまとめてみました。少し長いのですが、
最後までお読みいただけると嬉しいです。

<人気の秘密1:わかりやすいから>

バッハのどこが分かり易い?
と思われた方はおそらく、ピアノ学習経験がおありなのでは(笑)。バッハの音楽にトラウマをお持ちの方、これですよね。

インベンション第一番ハ長調

インヴェンションです(ご安心下さい。楽譜はこれ以上載せません)。ピアノを習うと必ず弾かされるのですが、なぜか非常に弾きにくい。原因は、右手がメロディーで左手が伴奏、という作りになっていないから。左手にも右手同様に長いメロディーが出てきて右手と左手を同じくらい器用に使わないといけない。

もっと難しいのになると、もう一つメロディーが出てきてどちらかの手で絶えず二つのメロディーを弾かないといけない。前奏曲とフーガ(いわゆる平均律曲集)だとメロディーが4つに、そして同時に5つになるものさえある。だが、あえて言いましょう。こういう音楽はバッハの例外的な音楽。

調べてみられるとすぐにわかりますが、バッハが作曲した音楽の大半は声楽曲、つまり歌です。彼は生涯のほとんどを教会音楽家として過ごした人で、彼の仕事は教会の行事のための音楽を用意することでした。つまり教会で信者が歌うための音楽をたくさん書いたのです。

インベンションやフーガが難しいのは、鍵盤楽器でいくつものメロディーを自分一人で担当しないといけないから。

バッハの作品の多くは合奏であったり合唱であって、一人で全部のメロディーを奏でなければならない作品は、音楽家一族である彼の家族のための職業訓練用作品(つまり練習曲、インベンションなど)であるか、当時最高のオルガン奏者であったバッハ本人が演奏するための作品など、つまり音楽のプロのためのものばかり。

マタイ受難曲は教会の合唱団と管弦楽団が奏でる音楽。たくさんのメロディーが同時に鳴っても、音色の違う楽器や声で歌われると、鍵盤楽器で演奏するのとは違い、全てのメロディーがわかりやすく聞こえる。もちろん演奏も一人で弾くよりずっと易しい。

マタイ受難曲は歌です。しかもその歌は、音楽的教育を受けたことのない教会の信者たちにも理解されるようにわかりやすく書かれている。訓練された耳も必要ありません。マタイは魅力的なメロディーを持つ歌いっぱいの音楽なのです。

だからバッハ(つまりインベンションみたいな音楽)は嫌いだけど、歌心溢れる「マタイ受難曲」は好き、なんて言う方も時々いらっしゃいます。

<人気の秘密2:「マタイ受難曲」は世紀の大悲劇>

みなさんは悲劇的なドラマ、大好きですよね。
映画やテレビや小説や漫画などでたくさんの悲劇を鑑賞されているものと思われます。悲恋、不治の病、別離、愛するもののためにその身を捧げて命を落とす、など様々なドラマが考えられますが、マタイ受難曲は、あなたが出会えるであろう、全ての悲劇的ドラマの中の最高の作品の一つであると断言できます。

受難曲というのは、字もろくに読めないような信者たちに、救世主の受難を音楽によって追体験させるために作られた音楽。

キリスト教文化圏では、救世主イエスの死と復活、そして誕生の日が、最も大切な祝日とされています(今ではほとんどの人にとってはただの休日なのですが)。

聖金曜日(Good Friday)は救世主が十字架上で非業の死を遂げた日で、教会においては救世主の受難を偲び、その日から三日目にあたる日曜日(Easter Sunday)に救世主の死からの復活を盛大に祝うのです。

「マタイ受難曲」とは、嘆きの日である聖金曜日のための音楽であり、救世主の復活と昇天までは含まれてはいません。十字架上で無残に処刑され、埋葬されるところで終わるという、まさに世紀の大悲劇。「マタイ」を聴くならば涙を拭くためのハンカチかティッシューをご用意ください。

<人気の秘密3:普遍的な人間ドラマ:台本>

「マタイ受難曲」はオラトリオという音楽ジャンルに属し、オペラではありません。むしろ音楽劇と言ったほうが分かりやすい。

劇音楽の最高峰は歌劇(オペラ)ですが、当時のオペラは優雅な王侯貴族のための娯楽であり、十八世紀前半のヨーロッパには、聴き手に精聴を要求するような真面目な音楽は歌劇場や王宮には存在しませんでした。真面目に聞くべき音楽とは、まさに教会音楽であり、オペラを書かなかった(誰からもオペラを書いてくれと依頼してもらえなかった)バッハだからこそ、このような血沸き肉躍るドラマを作曲できたのです。

そしてもう一つ。それは「マタイ受難曲」は「マタイ福音書に基づいた受難曲」であって、「ルカ伝」や「マルコ伝」や「ヨハネ伝」ではないということ。

新約聖書に収められている四巻の福音書の冒頭がマタイ福音書。語り手である福音史家が強調するのは、福音書がダヴィデ王の系図から始まることが示すように、イエスがイスラエル最高の王ダヴィデの正当な血統の家に生まれたユダヤ民族の救世主であること。マタイ伝は、イエスが「偉大な王」の正統的後継者であることを強調します。

ミケランジェロ作ダヴィデ王

しかしながら偉大なる王イエスは、彼を慕う民(弟子)を友とさえ呼びました(これは厳密にはヨハネ伝にしかない挿話ですが、バッハがこの想いをマタイ受難曲にも込めなかったはずはありません)。

偉大な王であるはずの彼が、身を低くして友のために、彼らの身代わりとなって死んでゆくのです。この美しい自己犠牲劇は、聖書理解や信仰なくとも理解しえる普遍的な人間ドラマ。自己犠牲ほどに美しく哀しいドラマはありません。悲劇のための最高の台本をバッハは手にしていたのです。

ならば「偉大な王」を語るのふさわしい劇的音楽とはどのようなものなのか?

<人気の秘密4:時代を超えた究極の音楽ドラマ>

「マタイ」の特徴の一つとして、福音史家と呼ばれる語り手(ナレーター)の存在が挙げられます。

彼がいるからこそ「マタイ受難曲」のドラマは極限にまでドラマチックになる。例えば:

救世主がある家を訪れると女(マグダラのマリア:売春婦)は救世主の頭に油を注いだ、と劇進行を務める彼は、激しい抑揚をつけながら語ります(レチタティーヴォと呼ばれます。一応歌っているのですが、あまり旋律的ではありません。でもこれはあとで深い意味を持ちます)。

ステージ隅にいる彼にスポットライトが当たっていると考えてください(実演では違います。イメージです)。

語り終わるとライトは舞台中心に移り、憤る弟子たちを照らし出します。激昂する弟子たちに救世主は語ります。この時、後光を思わせる神々しい弦楽合奏が鳴り響き、救世主は女の行為を褒め称えるのです。そして今度は罪ある女が照らし出されて、非業の死を迎える運命にある救世主のための祈りのアリアを歌うのです。

このアリア、痛切で本当に美しい。

アリアが終わると、福音史家はまた別の情景を語り始める。そのような具合で舞台転換を繰り返していきます。だから分かりやすくて印象深い。彼は全てを語らず、ドラマな部分は弟子や救世主や群衆らの分かりやすい歌が伝えてくれるのです。

嘲り罵る民衆、涙する無力な女たち、パワハラする指導者たち、臆病にも逃げ惑う弟子に責任転嫁するしか能のない無能な政治家、そして惨殺されたイエスの死にざまを見届けて真摯に心打たれる処刑執行人。

これらが語りと歌を通してリアルに描かれてゆくのです。まるで現代の映画のよう。そう「マタイ受難曲」は18世紀と言う時代を遥かに超えていたのです。

<人気の秘密5:感情移入することを要求する音楽>

「マタイ受難曲」の熱いドラマ、書き出してゆけばきりがないのですが、わたしが特に好きな部分だけ、一箇所ご紹介します。マタイといえば必ず引用される有名な場面です。

貴方を絶対に見捨てませんと語った弟子ペテロは「おまえはイエスの弟子だろう」と詰問され、連座を恐れるがあまりに最愛の師を三度も知らぬと言ってしまうのです。

そして鶏が鳴くまでにおまえは三度わたしを否定するだろうと語った師の言葉を思い出し、心の底から嘆き悲しむのですが、劇進行役の福音史家(テノール)は、ここまで、ほとんど歌うことなく「語って」ばかりだったのに、この場で初めて「外へ出て激しく泣いたWeinete bitterlich、英語ならWept bitterly」と詠嘆を込めて「歌う」のです。

Weineteという一語が長く引き延ばされます。音は哀しげに少し上がり旋律的短音階(要するに悲しさを誘う音階で、落ちる音型は悲しみのジェスチャー)で流れるように落ち、唐突に上がりふらふらと漂うようにしてまた落ちてゆくが途中で止まってしまう。

でも管弦楽が福音史家の代わりに終止のカデンツを奏でる。 締めくくるのが管弦楽なのが非常に深い。悲しみのあまりに語り尽くせなかったって感じが伝わります。ほんの十数秒の中に描かれる深い音のドラマ(楽譜ではたったの4小節)。そして滂沱の涙を流すペテロの心を映す、悲痛なヴァイオリンの調べに導かれるアルトの慟哭のアリア。

ここではタルコフスキーの名画からどうぞ。ペテロの心象風景がシンクロします。

この音楽に共感するのにキリスト教の信仰や知識は必要ありません。

自分を大切に思ってくれていた素晴らしい人を、保身のために否認し、裏切ってしまった心の弱い男の悔恨に共感できる心をお持ちの方ならば、誰にでも理解できる音楽ドラマです。ペテロと共に泣きましょう。

このように、偉大な王の悲劇物語は、我々同様の等身大な登場人物の視点からヴィヴィッドに描かれるのです。マタイは群像劇でもあるのです。

<人気の秘密6:カタルシス>

「マタイ受難曲」は一八世紀の音楽であるはずなのに、限りなく主観的でロマンティック。だからこそ時代を超えて、二百年も後の世の我々の心に深く訴えかけるのです。

信仰のあるなしにもかかわらず、「マタイ受難曲」は全ての人の心を深く打ちます。キリスト教音楽であるにもかかわらず、キリスト教徒にとって最も大事な復活が描かれていないがゆえに(聖金曜日の音楽だから)非信仰者にも普遍的な美として理解されるのです。

バッハは、あなたが偉大な王の死に共感する体験へと誘う音楽をこのように書き上げたのです。子守歌を思わせる終曲「われら涙流しつつ、ひざまずき」は、あなたに共に嘆き悲しむことを求めます。悲しまずにはいられません。

浦沢直樹「プルートゥ」より

悲劇には、いつの時代にも、どのような文化の中でも、理解しえる普遍的な美があります。そのような美を古代ギリシア人はカタルシス(精神の浄化)と呼んだものでした。

奇跡による救世主の復活劇を理解するには信仰が必要です。でも悲劇的な王の死を悲しみ、王を見殺しにした民衆の良心の呵責に共感し、それを我がことのように追体験する行為に、信仰の有無など関係ありません。

これがわたしが思うところの「マタイ受難曲」の人気の秘密です。

<人気の秘密7:謎解きの楽しみ>

最後はマニア向け。

バッハ音楽の調性にはそれぞれ深い意味があり、また長い上昇音型と長い下降音型を組み合わせて十字架を暗示するなどの深い象徴が楽譜のあらゆるところに埋め込まれていて、ゆえにマニアの方に大人気である秘密でもあります。救世主を鞭打つ音形が隠されていたり、三位一体に通じる数字の三(三度音程など)に深い意味があったり。探してゆけばいつまで経ってもキリがない。

上にご紹介した、有名なペテロの否認の場面は、姉妹作「ヨハネ受難曲」にも含まれています。

二部構成の「ヨハネ」では、第一部終結部、つまり前半部のクライマックスに置かれているのですが、その表現はかなり違います。

こちらの「激しく泣いた」という詠嘆は長く、さらにメロディック。聞き比べられることで「マタイ受難曲」理解は深まります。こういう高度な比較を楽しめるのもまた人気の秘密。

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長大な音楽史上最高のドラマ「マタイ受難曲」、YouTubeで字幕付きがすぐに見れますので、時間のあるときに字幕見ながらじっくり聴いて下さい。わたしが大好きなものを、より多くの人にも好きになってほしいと願って書きました。

「マタイ受難曲」の動画ですが、コテコテ大阪弁訳をお勧めします。「マタイ」の人気の秘密は人間ドラマ。そんな熱いドラマには、標準語や格調高い文語よりも、こうした庶民的な方言の方が相応しい、とわたしは思わずにはいられません。楽しんでください。最高のカタルシスです。

もし「マタイ受難曲」に深く共感しすぎて、あなたが深い悲しみに打ちひしがれてしまうようならば、こちらをどうぞ。

Easter Sundayのための、福音書の続きの音楽。バッハはこの喜びの歌を分かち合いたいがために「マタイ受難曲」という大悲劇を作曲したのです。

読了ありがとうございました。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。