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ピアノのバッハ 22: コルトーのアリア
ディヌ・リパッティのバッハに傾倒していた生涯の最後を締めくくるお話を書く前にほんの少しばかり、フランスのパリでリパッティの先生だった、アルフレッド・コルトー (1877-1962) のバッハについて、少し短いお話を書いておきましょうか。
名演奏家で名教師だったコルトーには、世界的な演奏家となった個性豊かな弟子たちがたくさんいました。
なかでも、リパッティはコルトーが彼らの中でも最も才能ある生徒だと認めた演奏家でした。
リパッティの演奏スタイルは、ロマンティシズムの権化のようなコルトーのそれとは全く真逆なのがとても面白い。
コルトーは教え子に弱点を矯めて新しい技術を教え込むというよりも、彼らが本来持っていた個性を徹底的に伸ばす教育を行ったのですね。
コルトー先生はリパッティらしさをを最大限に高めることによって、リパッティを希代の名演奏家として育てあげたのでした。
ウィーンでのコンクールで年齢が低すぎるという理由から、リパッティが優勝できなかったことに反対して、不賛成表明のために審査員を降りるまでしてリパッティを擁護。その後、彼をパリに招いて、リパッティの未来を切り開いてくれたコルトーには最大級の賛辞を贈りたいものです。
アルフレッド・コルトーというピアニスト
レコード録音の最初期には、録音することは技術的にも大変な一大事だったので、レコード会社の録音に選ばれるということは大変な名誉であり、世界的な音楽家であるという証にもなることなのでした。
そんな音楽録音黎明期のSP録音に演奏を行った、数少ない名ピアニストの一人が当時のヨーロッパで最も高い名声を誇っていた、アルフレッド・コルトーでした。
十九世紀後期ロマン派音楽の特徴を全て備えていたような、詩的で情熱的なピアノ演奏は、あまりにも個性的。
テンポが融通無碍に変幻自在するコルトーのソロピアノは、一聴すれば、ほんの数小節でコルトーと分かるくらいに個性的です。
これのどこが大演奏家?
楽譜のテンポ改変、自分勝手すぎ
と思われるほどに、現代的な感覚では、恣意的であり過ぎることも。
ある方は、コルトーのピアノは酔拳の達人のようだとさえ形容さえました。言いえて妙といえるでしょう。
なのですが、チェロのカザルス、ヴァイオリンのティボーと組んだ、カザルス三重奏団では、ソロ演奏における揺れまくるテンポや、あまりにも即興的なフレージングなどは程よく身を潜めて、他の演奏者にしっかりと寄り添う見事なピアノ演奏を披露したものでした。
カザルス三重奏団のベートーヴェン(特に大公トリオ)、シューベルト第一番、シューマン第一番、ハイドン第25番「ジプシー」、メンデルスゾーン第一番の演奏は、それぞれの同曲異演とは比較にならぬほどに個性的な魅力に溢れた感動的なものです。
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わたしにはどれも宝物のような録音ばかり。
有名なハイドンのジプシー三重奏曲のアダージョはピアノ指導で始まり、コルトーのピアノを堪能出来ます。
コルトーは四拍子の拍の強弱強弱の規則よりも、フレーズごとにどこをどう強調するのかを考えて演奏しているのですね。リパッティが規則性の強い舞曲的な音楽を得意としたのとは異なる演奏の個性が光ります。
マスタークラスにおける「パルティータ第一番」
名教師としてエチュードなども書いていますが、聞きものはマスタークラス(名演奏家は現在でも音楽大学などを回って特別実演講座を開きます。それがマスタークラスと呼ばれています)。
残されたマスタークラスの録音からも、自ら演奏しながら、歌いながら、ここはこうだとこうでもいいだとか語る姿は、名教師として慕われたコルトーの素晴らしさを偲ばせるものです。
リパッティも得意とした、バッハのパルティータ第一番を自ら演奏しながら曲について語っている録音は、フランス語が分からなくとも、とても面白い楽しい先生だったのだということを感じさせてくれるものです。
リパッティの演奏とは全く違うけれども、とても魅力的なフレージング。
弾き間違えてていても一向に気にしないで、どんどん弾いてたくさん喋るコルトー。
とても美しい打鍵の素敵なバッハ、彼独特のカンタービレのフレージングは全くコルトーだけの世界。
これもまた、永久保存しておきたいような素晴らしい「ピアノのバッハ」。
正規録音を遺してくれなかったことが惜しまれます。
さて、コルトーといえば、まず、あまりにも揺れ動くショパンの演奏が有名です。
一小節ごとにフェルマータがついているのでは、とさえ思えるほどに自由自在に速くなったり遅くなったりする演奏が、もう名人芸としか言いようのない域に達しているという不思議な演奏。
強弱の表現に優れた楽器であるピアノの演奏というよりは、強弱表現ができないために音を長短の違いとして伸ばしたり縮めたりする、チェンバロ的な語りの演奏なのだと、今回久しぶりに聞いてみて思った次第なのです。
でもコルトーの録音ではなく、わたしが今回注目したのは、コルトーが残した不滅の名編曲です。
コルトーの録音のAIリマスターは遅れているようで、今後に期待されますが、録音状態の良いものはいまでも十分に鑑賞に耐え得るものです。
さて、取り上げたい不滅の名編曲とは、アリアと題された、ピアノのためにロマンティックに改変された、ピアノ (チェンバロ) 協奏曲のラルゴ楽章です。
ピアノ協奏曲第五番ヘ短調のアリア
バッハのピアノ (チェンバロ) 協奏曲の中で最も有名なのは、名作である第一番ニ短調なのですが、それ以外のピアノ協奏曲もまた大変に魅力的です。
第五番ヘ短調協奏曲 BWV1056 はピアノで弾くと、第二楽章ラルゴがすこぶる美しい。
コルトーはこの一楽章を取り出して、ピアノソロのために編曲して「アリオーソ」と名付けたのでした。でも「アリア」として広く知られています。
ヴァイオリニストのアウグスト・ヴィルヘルミ August Wilhelmj (1845-1908) が管弦楽組曲の「エア」を、ヴァイオリンの四本の弦の中で最も低い音のG線一本だけで演奏できるように編曲した、G線上のアリア(原曲のニ長調よりも九度低いハ長調に移調) のエピソードに、どこかよく似ているエピソードかもしれません。
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滋味に通じる、とても低くて渋い響きなのが
ヴィルヘルム編曲譜の特徴
G線だけで弾かない、高音域で奏でられる「G線上」ではない
「G線上のアリア」の録音や編曲がのちのたくさん作られるのでした
編曲されたことでどちらの曲も大変に広く知られるようになったのですが、コルトーのアリオーソ(アリア)の方をみなさんはご存知でしょうか。
きっとどこかで聞いたことがある曲だと思いますよ。
ヴァイオリンのG線上のアリアにも合い通じる親しみやすい名作。
バッハがチェンバロ協奏曲を書くために勉強したらしい、イタリアのアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741) の影響をも感じ取ることもできます。
当時の流行の最先端の音楽だった、世俗的に大変に成功していたヴィヴァルディの作曲スタイルをバッハが学んだことで、このような親しみやすい音楽が生まれたのだと思います。
楽譜は著作権が失効していますので、クラシック音楽の楽譜保管庫のIMSLPより無償でダウンロードできます。
中級以上のピアノ演奏の実力のある方には、ぜひ弾いていただきたいです。
左手の伴奏和音の形にコルトーの好んだロマンティシズムがよく表現されています(非バッハ的な編曲という意味です)。
上級者の方には、ピアノリサイタルのアンコールの一品として最高の一曲。
バッハオリジナルのチェンバロ版では装飾音だらけなので、このように旋律の美しさが際立ちません。
まさに「ピアノのバッハ」だからこそ、これほどに美しい。
コルトーが埋もれている数あるバッハの名曲の中から、この曲を取り出して、こうしてソロピアノにしてくれたのは素晴らしいことでした。
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アリアが本格歌唱なのに対して
アリオーソはもっとレチタティーヴォ的(喋るような歌唱)で
アリアの本格的な歌よりも
音楽的には自由な曲のこと
なので、アリアともアリオーソとも呼ばれています
どちらも正しいし、どちらも間違いとは言えません
アリオーソ(アリア)の原曲?
コルトーがピアノ協奏曲からピックアップしたアリア(アリオーソ)、実はバッハのカンタータ第156番のシンフォニアと全く同じ曲。
バッハのチェンバロ協奏曲はバッハがライプツィヒ時代に、それまでに書いたヴァイオリン協奏曲などの過去の作曲を鍵盤楽器用に書き直したものが大半なので、第五番も原曲は失われたヴァイオリン協奏曲ではないかといわれています。
カンタータが原曲だった可能性もあると考えられています。
とても素敵な哀愁のオーボエ。
バッハがオーボエのための書いた最も美しいメロディのひとつ。
コルトーはこのカンタータを知っていたのでしょうか。
それ以外の楽器でも
バッハ屈指の名旋律なので、バッハのオルガン音楽の数々をオーケストラに編曲したレオポルト・ストコフスキーによる編曲版もあります。
これはピアノ協奏曲からではなく、カンタータからの編曲。
またチェロで弾かれても…
どんな楽器で弾かれても素晴らしい名旋律ですが、チェリストのお気に入りとして、たくさんの録音を聴くことができます。
でも前世紀の初めに一番最初にこの曲を編曲に取り上げて世に広く知らしめたのはピアノのコルトーの功績です。
原曲のピアノ演奏とチェンバロ演奏
さて、アリア(アリオーソ)を気に入られたという方には、是非ともバッハのオリジナルの協奏曲にも親しんでほしいです。
オリジナルの題名は、ただ単に「ラルゴ=ゆっくり」です。
グレン・グールドのピアノ
わたしはグレン・グールドの個性的な名演奏に長年親しんできました。
グールドの演奏には、バッハ原曲のオリジナルであるばかりではなく、グールドのピアノの音色やタッチの違いなど、コルトー編曲版のロマンティシズムとはまた違った味わいがあります。
伴奏は弦楽器の弦を爪弾くピツィカート。ピアノを最高に引き立たせる最高の伴奏です。コルトーのソロだと、これがなくなるのが少し寂しいかも。
マリア・ジョリオ・ピリスのピアノ
さて、第五番協奏曲、個性的なタッチのグールド以外の選択肢では、ピリスもいいですね。
新しい録音なので、ピアノの音の鮮明さが際立ち、ピアノという楽器の美しさが最大限に引き出された演奏でしょうか。
チェンバロで演奏すると…
バッハ本来のオリジナル楽器での演奏はピアノで奏でられた場合とは全く違った曲のよう。
弦を爪弾く鍵盤楽器のハープシコードはゆっくりと弾かれるとき、ギターを鳴らしているような響きに聞こえませんか。
ピアノ独特の哀感が消えて、典雅なオルゴールのような響き。
でもメロディは装飾音だらけで、ピアノとはまるで別の曲に聞こえないでもない。
メロディを歌うだけならば、圧倒的にピアノの方が魅力的。
チェンバロ大好きのわたしはそう思います。
チェンバロ (ハープシコード) とピアノ、本当に性格の異なった楽器なのです。
ピアノというロマンティックな楽器だからこそ、コルトーの編曲のようなロマンティシズムがバッハの音楽の中に生まれるのですね。
ピアノという楽器はバッハ本来の音楽とはやはり異質なものなのだなということを気づかせてくれるのでした。
だからこそ、この曲が秘めていた別の一面に光を当ててくれたアルフレッド・コルトー先生の名編曲に大感謝です。
次回はディヌ・リパッティの生涯編の最終回。リパッティが編曲したバッハの「アリア」について。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。