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駆け出しコーチングの 存在理由

駆け出しの コーチングは
存在する 意味があるのだろうか

それについて 僕個人の意見を 
今日は 書いてみたい

確かに 実践時間が違うから
提供するセッションの 質は違うだろう

けれど そこだけで価値を考えると
実施する側が 息苦しくなる

プロフェッショナルに 対して
劣っているものを 提供するという
ことになってしまう からだ

そうではなく ここでは
払う側の観点を 考えたい

そのためには 
僕の 支払う側の経験が
参考になるんじゃないかと 思う

数ヶ月前 コーチをつけようと
候補の方を 探していた時のこと

僕には 受けたいコーチがいて
その方に 条件面を伺っていた

提示された条件は 高額で
残念ながら 僕には合わず
別の方を 探すこととなった

けれど その時もらった言葉が
強烈に 記憶に残っている

人生を 変えるならば
そのくらいの額を 突っ込んだ方がいいよ

コーチングの 対価は
金銭面だけでは ない

抱えているものに 対し
真正面から 向き合うという
コミットメント の意味を持つ

逆に 考えて欲しい
少額で 変わってしまう人生って
なんだか 寂しく感じないだろうか

そうなのだ

自分にとって 大きなものを扱う のであれば
それに比例して 対価も必要になる と言うことになる

ここで さらに考えたいのは

じゃあ 人は 
いきなり 大きな課題を 扱えるのだろうか
と言う 視点だ

はじめて コーチングを受けたのは
もう 何十年も前のことだけれど
今よりも はるかに 内省が浅かった

自分の思想や 考え方
その理解が 表層的だったと思う

そうなると 扱える課題も同様に
表面的なものに なってくる

セッションを 繰り返し
内側へ潜ることに 慣れていくと

ようやく 本当に向き合うべき課題に出会う
そんな 感覚がある

であるならば

内省の旅を 出てすぐは
プロフェッショナルの 価格帯は 
期待と価格が マッチしていないのではないか

そこにこそ 駆け出しのコーチが
コーチングを 提供する意味が
あるのでは ないだろうか

僕たちは きっと
ガイドなのだ

クライアントさんが 
ほんとうの課題に 巡り会うための


いただけたら、とてもうれしいです!サポートは、台紙となるマーメイド紙、絵に使う画材、額装、などの道具代に還元させていただきたいとおもいます。