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阿南図書館 市南部に移転すべきだ

いびつな施設配置バランス


 阿南図書館を、引き続き富岡地区に維持することに反対する。市町村合併の結果、羽ノ浦地区、那賀川地区と合わせて3つの図書館が市北部に集中することになり、大部分の地域の図書館サービスに不公平感が生じる。
 
 現行の方針には、新野地区や桑野地区、福井地区、加茂谷地区など、市内全体を見据えた調和が考慮されているとは思えない。
 
 とくに那賀川図書館や羽ノ浦図書館の施設は充実しており、市内のほかの地域からよりも比較的それらに近く容易なアクセスが可能である富岡地区に、それらに同等またはそれ以上に充実した施設を整備することは不適切だ。
 
 3つの図書館のうち、もっとも早く更新時期を迎えた阿南図書館は、バランスを考えると南部の新野地区や桑野地区などに移転するのが合理的ではないか。
 
 従来の阿南図書館相当の規模の再現ですら、市内バランスを考えると過剰規模であると考える。富岡の図書館は白紙化するか、または富岡地区をカバーする市施設である富岡公民館にその機能を付加させるぐらいで十分であろう。
 
 富岡地区は那賀川図書館や羽ノ浦図書館に近いため、それらでカバーするか、または移動図書館車によるカバーで十分ではないか。市南部や内陸部は移動図書館車などでカバーしようとしているのであれば、それら地域への向き合い方として“いい加減”すぎる。いくらなんでも極端にいびつな施設整備の状態であって、不公平である。

南部の図書サービス欠落よりも、見栄の駅前整備が大事なのか

 まるで既得権のように、富岡に所在することは何も疑わなくてもよく、当然であるかのような意識で、富岡地区に図書館を維持しようとしており、問題だ。そこを疑わず、なし崩し的に阿南駅前再開発計画への組み入れはおかしい。

 これまでの図書館整備に関する市の発信を見る限り、この点について十分検討がなされたようには見えない。なぜ富岡なのか。市は、そこは当然のことであるから検討しなくても良いかのような意識を持っている印象を受ける。

富岡の文化力 本当に市内の他地域よりも優れているか

 図書館設置によって補強・充実させなければならないほどの、リスペクトに値する質・量の文化力が、市内のほかの地域よりも富岡地区に優れて存在するとは感じられない。
 
 例として新野町を引き合いに、“富岡”を贔屓する市を論破する。
 
 市は牛岐城址をことさら市内屈指の名所・史跡・代表観光地であるかのように美化し発信するが、市内全体を冷静に見るとそれは誇張が過ぎる。牛岐城は多く見積もっても六百余年の歴史であるが、平等寺は千二百年である。牛岐城の城下町よりも、平等寺の門前町のほうが歴史の厚みは深く、それに裏付けされた新野地区の文化の豊かさは、富岡のそれとは比較にならない。
 
 また牛岐城址を事実上、LED(光)産業を代表するシンボルとし、「恋人の聖地」などとして煌びやかに発信しているが、そもそも光産業と牛岐城址を結び付ける根拠が不明だ

光産業と阿南の城址を結びつけるなら、牛岐でなく、岡山城であるべき

 仮に阿南市内のどこかの城址を光産業と結びつけたいのであれば、新野町のLED会社発祥地のすぐとなりに隣接する岡山城址(室姫神社)のほうが、阿南市内でもっとも適切ではないのか。同時に、LED会社は平等寺の門前町企業であるともいえる。
 
 さらに、光産業と密接に関連するのが電気という概念であるが、「日本の電気学の祖」と称される橋本宗吉は、新野町出身とされており、その根拠となる史料が発見されたのは平等寺であり、ここでも平等寺が絡んでくる。

”光のまち=新野” が真実である

 現代の阿南市の最大のけん引役となった光産業を産み、電気学の先駆者を産んだ、すなわち現代の阿南市の礎は、まぎれもなく平等寺である。光産業の象徴・シンボルは岡山城址ないしは平等寺であって、阿南市内でもっとも顕彰し、市内を代表するタウンとすべきは平等寺門前町・新野地区であろう。
 
 なぜ富岡地区や牛岐城址がしゃしゃり出てくるのかが分からない。富岡が大きい顔をすることが許されていたのは、市発足からLED時代が始まるまでだろう。

 富岡地区の文化といえるだろう製紙産業の製紙文化や、海運業の「ふなどころ」文化は、現代においては、市内の他の地域の文化力よりも優れているとは思えない
 
 富岡地区が、広い阿南市内の光るものを都合良くチョイスし、横取りして我が物顔で、富岡地区の成長に活用することは、まかりならん。富岡が成長するがために協力してやる筋合いがない。

牛岐を ”阿南のシンボル” とする人たちは、これ以上のものを観光客にお見せできるのだろうか

 いま行政が、商業面で活性化させ、住宅建設を誘導し、図書館など市を代表する公共施設を設置し、その文化力を補強、サポート、充実させ底上げし、文化発展、都市発展の形で還元を図るべきは、もはや富岡や沿岸部ではなく、新野商店街、新野地区であるべきだ
 
 阿南市は既定の都市計画区域を捨て、市を根底から見直し、富岡(中心観)を捨てるべきだ。むしろ新野地区に新たな阿南市の最大都市を育てていく再開発計画を立ち上げるべきだろう。
 
 なぜ富岡であるべきなのか?それは本当にほかの地域よりも優れているのか?その辺の検証の結果がどこにあるのか?市のどの発表を見ても理解できない。

 何のための図書館なのかが分からない。富岡のワガママのためとしか思えない。

富岡の交通地位の低下

 
 阿南市の大部分の地域にとっては、我が市の中心ないし、図書館が富岡でなければならない必要性は感じていない。むしろ迷惑だ。大変に行きづらい土地だからだ。普段通る必要もない。市の中心が富岡であることや、図書館を富岡に維持することに、本当に満足しているのはおそらく富岡地区と見能林地区だけだろう。

富岡が中心であるべきと言う人は、全体が見えているか

 橘地区や福井地区は、高速道路が開通すれば富岡地区を通る必要はまずなくなる。内陸部の各地区は、高速道路開通後はもちろんのこと、現在でさえ富岡地区や見能林地区を経由しない県道24号羽ノ浦福井線を中心とした移動体系の価値観を持っている。阿南市以外の那賀町や海部郡もそれに準ずる価値観を持つ。
 
 2022年5月16日の徳島新聞投書欄に『駅中心の再開発は見直しを』と題する意見が投稿され、鉄道の利用低下を理由に「駅が中心の発想は成り立たない」と市民が指摘する。
 
 そもそも南方の人々が鉄道を使わないのは、鉄道を使うよりも、富岡地区を経由しない県道24号線を車で移動する方が、利便性が高いとみなしているからだ。高速道路整備によって、その傾向はさらに加速する。

駅前の良し悪し以前に、富岡にこだわる必要はまだあるか?  が問題の本質であろう

 普通列車で徳島駅から阿南駅に到達する時間よりも、高速道路で徳島市から日和佐市街に到達する方が速くなる。
 なぜ時代に取り残される、行きにくいエリアである富岡に、図書館を固定維持する必要があるとみなしているのかが不明だ。

 近年市などは、路線バスに手を入れたり、鉄道とバスの連携など、南方や内陸部の人々を、とにかく阿南駅に経由させようという意図、富岡をハブ化させたいという思惑が見え隠れする。だが、それとて当事者の本質的な望みを理解していないと言わざるを得ない。
 
 阿南市の大部分の地域である南方や内陸の市民は、おそらく最大の本音では、富岡に行きたいからアクセスを充実して欲しい、などとは微塵も思っていない。
 彼らはそれよりも“富岡に関わらなくてよいまちづくり”を行政に求めているのだ。阿南の発展は望ましいことだが、それが富岡である必要性はきわめて薄い
 
 広域的な連携計画で巻き込まれる市外の那賀郡、海部郡もおそらくは同様で、徳島市への最短ルートである高速道路の沿線・県道24号線の沿線のマチを成長発展させるなら理解できるものの、阿南沿岸部は、もはや求めていない、というところだろう。
 
 最近では、市による小中学校再編問題においても、説明会や徳島新聞投書欄で、加茂谷地区などから反発の声が上がっている。富岡や沿岸部に集約しようという思惑が色濃い市の路線が本当に支持されているならば、こうした反発は起こらないはずだ。
 
 市内において大きい街であるからやむをえずそこを強化するしかない、などと妥協のような阿南市づくりはやめてほしい。都市計画区域が決められている?→なら、それを白紙化して内陸に阿南市の新都心をゼロから再設計するよう動くべきだ。市として出来ることから動かないのは行政の怠慢であるとしか思えない。
 
 阿南市の大部分の地域にとっては、富岡が中心拠点である必要性が分からず、建設すれば何十年と固定される図書館が、またもや富岡になければならない必要性がまったく分からない

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