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今週のリフレクション【仕事選びのアートとサイエンス(山口周氏)】

今週は、山口周さん著「仕事選びのアートとサイエンス」を振り返ります。ざっくり3点で要約すると・・

1.人口知能の台頭×寿命の伸長と事業の短命化×VUCA=合理的な仕事選びのアプローチは機能しない。仕事選びを予定調和させることはできない。自分をオープンに保ち、いろいろなことを試し、しっくりくるものに落ち着くしかない。計画に価値はなく、本来の自分であろうとする力(コナトゥス)を高めることが大切。終身雇用は時間軸にズレのある互恵関係だから、リストラや転職が不道徳になる。最初の会社で諦めず、自分が真にモチベーションを維持できる会社を探し続けたら、社会全体の生産性は高まる。自由を得るには、一時期は隷属的に仕事に支配されて自由に生きるための力を獲得する必要がある。

2.天職探しとは「世界は自分に何を求めているのか」に答えを出すことで、答えには偶然出会う。明確なゴールイメージを設定して、強迫的にそれに囚われながら突っ走ると危険。できること×やりたいことで仕事を選んではいけない。やったことがないのに何が「できること」か判断するのは不可能だし、「やりたいこと」は、好きなことと憧れていることを混同する。仕事の楽しさは、やってみないとわからないし、好きなことは努力できるから得意になる。犠牲にしたくない価値観を見据え、運動量=モビリティを高めることが大切。

3.いい偶然を呼び寄せるには、好奇心・鈍感力・柔軟性・楽観性・リスクテークが必要。人脈の広さ×信用の深さ=いい偶然を招く。親友でも知人でもなく同僚から広がる。今の仕事・今の人脈をまず大切にすれば、結局いい奴にご縁は集まる。いい偶然を捕えるには、プロセッシング(情報の整理・出力)とストック(付加価値になる知識・ノウハウ)が必要。それぞれ、ロジシンと読書で伸ばす。転職は、失うものにも注意。ネイチャー(課題先行or好奇心駆動)が違うと成果は出ない。

採用や異動(抜擢)の時に適性検査を受けることがあると思います。たくさんの質問があって、そう思う、あまりそう思わない、と回答していくアレです。自分で回答していても思うのは、これは「ホンモノの自分」か「余所行きの自分」のどっちかな?ということです。「自分はこんなキャラだな」と想像しながら回答するのですが、そのキャラが偽りのないホンモノの自分なのか、仲間から認識されている余所行きの自分なのかがわからない感じです。

誤解のないように補足しますが、適性検査は本人の志向性を知るためのものなので、どちらの自分であっても結果に意味はあると思っています。ただ、自分のキャリアを考える上ではこの2つはごっちゃにするのは危険だとも思っています。「ホンモノの自分」は自分が舵を握っていますが、「余所行きの自分」は舵を他者に預けてしまっているとも言えるからです。だから、余所行きの自分をベースにキャリアで大切な意思決定をすると、遅かれ早かれしんどくなってしまうと思います。

では、どうやってその違いを見極めたらいいのでしょうか?

そのキーワードが、書籍にも書かれている「運動量(モビリティ)」だと思います。余所行きの自分は、他者からの期待やフィードバックから生まれます。だから、1つの場所にいるだけでは何がホンモノで何が余所行きか区別がつきにくい構造になっています。逆に言うと、いくつかの場所にいると他者からの期待やフィードバックも変わるので、余所行きの自分のキャラもバラついてきます。ここのコミュニティではおとなしい人が多いからリーダーキャラだけど、あっちのコミュニティでは議論がとっちらかることが多いからサポートキャラ、といった感じです。

一方で、どのコミュニティでも変わらない共通の自分キャラも見えてくると思います。どのコミュニティにいても、自分は違う角度から意見を言うことにこだわってるな、みたいな感じです。きっと、これがホンモノの自分なのだと思います。これは、1つの場所で1人でじっくり考えているだけではわからないことです。自分が参加してみたいな、と思えるコミュニティに実際に参加してみて、何かやってみて、初めて考えることに意味が出てくるのだと思います。

そう思うと、今はプロボノや副業、ワーケーション、オンラインコミュニティのようにコミュニティをまたぐ環境には恵まれた時代だと思います。であれば、せっかくの環境を活かしてホンモノの自分という輪郭をクッキリさせてみるのも大切なんだな、と考えさせられました。

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