「練馬」 2/15
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現在練馬駅前のミスタードーナツでこれを書いている。
今日は練馬という街について紹介しようと思う。私が練馬に住み始めてから、既に二年は経とうとしている。そろそろこの街についての考察を総括すべきだろう。
東京都心から西に十キロ程離れた場所にあって、色んな場所への電車やバスのアクセスが良い。主に都心で働く人が棲む街で、ファミリー層も多い。いわゆる郊外都市である。
しかしこの街ははっきり言って面白みに欠ける。この街の魅力は何ですか?と聞かれたら、私はきっと口ごもる。元々人と話すのが苦手なので別の話題でもどうせ口ごもるだろう。
練馬という街には大抵何でもある。この街で生きていく上で不自由な事はあまりない。役所が駅から少し遠いくらいで他は大抵駅前で事足りるし、最近は放置自転車を駆逐する爺さん達が闊歩しているお陰で道も綺麗だ。
しかしこの街にはこれといった大きな売りが無い。練馬大根というものを私は二年暮らしていて見たことが無い。そもそも近代化開発はされきっていて農家が無い。駅前を通る千川通りは、江戸時代には江戸まで農家が野菜を運んで歩いた歴史ある道らしいが、その面影は特に無い。
歴史的に大事にされている場所も私は知らない。あったとしても、二年その場所に住んでも見聞きしない程度のものである。
ここにはいかにも詰まらなさそうな現実が大挙して存在している。何もかも機能的で夢が無い。町全体から漂う日々の強い香りが、社会というものを嫌でも認識させる。そしてこの街は大きかった。私は生活の激流にいつの間にか飲み込まれ溶け込んでいた。
引っ越してすぐの頃、私はこの街が好きではなかった。もっと面白い場所に引っ越せばよかったと後悔もした。
しかしそんな感情も時間と共にいつの間にか消える。私は激流の中で転がされ続け、知らない内につるつるで角が無い石ころになっていた。
今ではこの街にそこそこの愛着すら沸いている。それからは街に暮らす人々にも興味が沸いて来たのだった。
最近ではメモの中でもよく練馬に暮らす人々の観察日記を着けている。
そして最近の分析で分かった事がある。練馬を訪れる人の殆どは、恐らくこの街自体には目的を持たない。練馬で遊びたくて一人で遠出して、練馬駅まで来た。という人がもし居たらインタビューしたい。一体あなたの心で何が起こっているのですか?頭は大丈夫ですか?つまり、大概の人がそれ以外の目的を持っているように思う。自宅から近かったからとか、友達に会うためにとか、何であれ練馬でなければならない理由が他にあると思われる。つまり集まる人々のタイプは多岐に渡り、これが面白い。人間観察記録が捗る。しかし私自身この街から滅多に出ないからそう思うだけで、同じ事を例えば渋谷駅で始めたとしても結局同じように面白いだけかもしれない。それは確かめてないので解らないのだが。
何であれ私は最近変わった人を見つけると必ずメモを取るようにしている。
練馬の街は、今の私にとっては大変興味深い街である。
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今日は、私にとってのベストプレイスの紹介をする。
練馬駅南口を出て徒歩一分、千川通りの横断歩道を渡ってすぐの所にあるミスタードーナツ練馬駅前店。ここが私のベストプレイスだ。ベストプレイスとは安息の地の事だ。安らげる空間。安らぎを求めて私はしょっちゅうここに来ている。
珈琲はなんと二百七十円でしかもおかわり自由。喫煙席は多いので、喫煙家の自分には大変ありがたい。しかもあまり洒落た店ではないのが良い。
というのも、私とお洒落な喫茶店の愛称は抜群に悪い。何故か体が拒否反応を起こして背中からじんわり汗が滲んでしまう。落ち着いたインテリアとか、店内で流れているボサノヴァとか、お洒落すぎて逆に使いにくい灰皿とか、とにかく大きな理由は無いが苦手なのだ。
その点ミスタードーナツ練馬駅前店は私のオーダーを完全にクリアしている数少ない喫茶店だった。店内で流れている音楽は謎のミスタードーナツ公式有線放送で、店内のレイアウトは簡素、ソファはやぶれかけているし灰皿は圧倒的に機能的だ。素晴らしい。
以上ミスタードーナツ練馬駅前店に対する啓蒙を終わる。ミスタードーナツは最高である。
さて、今日はそろそろ自宅に帰ろうと思う。
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今日も今日とてミスタードーナツ練馬駅前店で珈琲を啜りはじめてから、もう二、三時間は経っただろうか。メモを書くのも飽きてきたので私は本を読み始めた。現在読みかけの本は太宰治の「晩年」だった。
ロマネスクという短編の「嘘の三郎」という章を読んだ。
三郎という主人公が身の回りの人に嘘を付きまくる話だった。三郎の嘘は幼い頃から天才的で、それに気付く者は彼の周りには居なかった。後ろ暗い過去を背負い続ける主人公の話である。
三郎の嘘は臨場感に溢れていてスリリングで読み応えがあった。中でも三郎が書生達の代わりに彼らの親に仕送りのお願いをしたためた手紙を代筆するくだりがとても気に入った。天才三郎が代筆した手紙は非常に効果的で、書生達は親からまんまと仕送りをせしめる。そして三郎が代筆した手紙の内容も細かく書かれていて、これに私は驚いた。
その内容は、私自身がいつも親に仕送りをお願いするときに心がけていることとほとんど全く同じであったのである。ババン!
ババンではない。ああ、何ということだ。情けない。
しかしこの共通点に何故だか心はほっとした。いやこれも情けない。どれもこれも情けない。
私はほっとしたのでコーヒーを啜った。更に深くほっとしてやろうという腹積もりだった。
私の隣の席に若くて綺麗な女性が座った。
細身で黒いストレートのロングヘアーに黒色の丈の長いワンピースを着た、落ち着いた感じの女性だ。
断っておくが私はじろじろと彼女を見たわけではない。見たわけではないが解る。これは何故かと言うと私は日々、目の端で物を見る訓練をしているからである。この技を体得するための訓練は過酷を極める。一番良い練習方法は人と目を合わさずに表情を読む訓練をすることだろう。訓練することでやがて視界の端が良く見えるようになってくる。
体得まではおよそ二十年は掛かると思われる。即ち今日から始めようと思ってもすぐ出来るものではない。つまり元来人の目を見て話せない人間にしか基本的に出来ない妙技である。
女性は一人らしく、回りを穏やかに見渡しながら珈琲と煙草を楽しんでいた。
私といえば、ただそれだけで中々心踊った。私のすぐ近くに美しい女性がいる。これは私の人生の中でもほどほどに幸福な出来事だ。
私は視界の端で彼女を凝視していた。
彼女の方も、こちらをちらちら見ていると私は気付く。やはり不審だったか!私はすぐに視界の端を使うのを止める。そして携帯電話を体の内側にこそこそと仕舞い込む。私の中の危険察知信号は既にイエローになっていた。
こんなことを携帯で書き綴っているのがバレたとしら名誉毀損になりかねない。それは困る。しかし禁忌に触れているようでこれはこれで楽しいのも事実だった。私は一体何をしているのだろう。
罪悪感と背徳感の狭間がスリリングで心地良い。
あれから四時間後程経っただろうか。
様々なことがあったので、書き留めておく。
結論から言うと、隣の席から携帯が丸見えだったらしく、彼女の事をかいているのがバレてしまった。
声をかけられたのだ。
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3へつづく
著/がるあん
イラスト/ヨツベ
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