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「練馬」 5/15

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 自室で目覚めた私はようやく頭がすっきりしたようだった。
 一度寝たことで冷静に物事を考えられるようになった。
 睡眠というのは脳が休止するのと同時に、記憶を整理整頓をする時間でもあるらしい。
 携帯電話を開くとメモ帳アプリが開きっぱなしだった。「十日十時ミスタードーナツ、十四日十時ミスタードーナツ」と書いてあるメモだった。

 昨日私の身に起こったことは事実だったのだろうか。そういえば、彼女の名前すら聞いていなかった。私も自分の名前を話していない。不思議な出会いだった。寂しさに耐えかねた自分が作り出した幻覚だったのかもしれない。例えそうだったとしても約束した二回のデートはちゃんと行こうと心に決めた。

 私は約束は守る男だ。これはほとんど嘘に近い。何故すべてではなくほとんどなのかということについて説明する。私は今日までの人生の中で自分が口にした言葉など一々全部覚えていない。覚えていないという事はすべての有言を実行してきた可能性が残されている。
 これは紛れも無く事実であって虚言ではない。虚言だと思うのであればあなたはきっと私の事を既に知っている人間だろう。そういう人は私の言葉を一々覚えていて、今の私の発言に対して、「異議あり!」と声を上げるだろう。きっと裁判で勝てるだけの証拠を山ほど持っているに違いない。
 しかし幸い私にはそこまで自分を良く知っている友人が居ないので、これは成り立たない。私の家族に関しては、ここから一旦除外させてもらう。
 だが今回に限っては私は約束を守る男になると思われる。何故なら昨日の出会いについて、約束の日である十日までの四日間で忘れられるほど私の人生はエキセントリックではない。

 彼女との出会いは私にとって大事件だった。
 彼女がもし幻覚なのだとしたら、それはそれでまた出てきて欲しい。自分の脳味噌の妄想限界を超えていってほしい。つまり私は何でもいいからまた彼女に会いたかった。自室で煙草を吹かせながら寝ぼけたままそんな事を考えていた。そしてそんなことを考えている男はパンツ一丁であった。
 私は毎日の習慣で着替えて駅前に向かう事にした。コーヒーが飲みたかった。
 
 
 問題が起こる。十日の約束の日までまだ四日もある。四日もあれば私はミスタードーナツに行きたくなる。あそこは私のベストプレイスなのだ。しかしミスタードーナツに行くのが今の私には何故だか恥ずかしく思えた。
 約束の日を待てずに彼女とばったり遭遇するのを期待しているようで憚られた。という感情すら、恥ずかしくなってきて頭を抱えた。

 様々な解決策を考えあぐねた結果、私は二軒隣のドトールコーヒーに居た。このドトールコーヒーもたしかに良く来るので、私のベストプレイスの一つには違いないのだけれど。
 しかしこの選択に関して、私の中の自意識過剰の怪獣が騒ぎ立てていた。

「その選択こそが一番の自意識過剰なのだ!グオオ!」
 よって何を選択しても結局恥ずかしかった。
 というような思考えが既に恥ずかしかった。もういい加減にしてくれと自分でも感じたので、これ以上は割愛させて貰う。

 喫煙席のカウンター席に座りホットコーヒーと向き合ってからも、私はまだ呆然としていた。コーヒーを楽しみながらメモを書いたり読みかけの小説を読むのが私の唯一の楽しみであった筈なのに、今日は意欲が全く沸いてこなかった。
 私は少し怖くなった。彼女に会ってからのたった一日の間に、私という人間がそっくり他の何者かに入れ替わられてしまったのではないかと思った。

 人間とは自分で思っている以上に瞬間的な生き物なのではないだろうか。
 果たして昨日の私と今日の私は同一人物と言って良いのだろうか。いや、良いに決まっている。
 しかし以前にも似たような事を考えたことがあるような気がして、何となくこの問題からは目を背けてはいけないと思わせた。

 私は長い時間を一人で過ごしすぎた。今の私にとって一人で居る事は、私である証そのものである。昨日の私は酔っていたとはいえまるで私ではないようであだった。自分の中にそんな一面がある事を知らなかった。違う。知らなかったのではない。私は昨日あの場所で正に劇的に変わったのではないだろうか。

 そしてこれから彼女と交流を重ねることで、私は更に大きく変わっていく様な気がしている。そうなった時、変わる以前の私はどうなるのだろう。消えてしまうのだろうか。怖いと感じたのは、そういった理由からではないだろうか。

 昨日は「自分を変えるチャンス」などと言い訳をしたが、私は本当のところ変わりたく無いのかもしれない。
 だから自分が変わってしまうような事柄を避けてきたのかもしれない。それは友人付き合いだったり、恋愛だったり。そう、恋愛に関して私は避けていたのだ。
 いや、そうなのだ。私は幸せを掴めないのではなくて掴まないだけなのだ。これは合点がいった。うん。

 謎の合点がいったので一人頷いてコーヒーを啜る。何を考えていようがコーヒーは美味い。コーヒーの美味しさとは変わらない事で成り立つ。変わらないから安心出来る。

 時刻は午前十一時を回ったところだった。
 さて、この時間におけるドトールコーヒー練馬駅前店の喫煙ブースは、基本的に定年を過ぎた近所のジジイ達に支配される。
 元々十席しかないドトールコーヒーの喫煙席にほとんど毎日五人は同じジジイが来る。これは最早風物詩であり恒例行事だ。風物詩であり恒例行事だと思っている人間が私の他に何人かは居る筈だと勝手に思っている。
 一人一人顔を覚えて居る訳ではない。ジジイ達は全員顔見知りのようでいつも世間話をしている。私はこれをドトールコーヒーのジジイ会議と呼んでいる。何もせずにここに居る時、私はジジイ会議を聞く。
 ここに書くほどの内容の物ははっきりいって一つも無い。しかし何度も聞いているとこれはこれで癖になる。中には口がもごもごしすぎて全く聞き取れない話すらある。しかし他のジジイ達はうんうん頷いている。私は一人首を傾げる。それが何だか面白いのだ。

 そして昼過ぎ頃に、「やいやい、もうこんな時間だよ」と帰っていく。毎回言うものだから、恐らく全員の体内時計が大幅にずれているのだと思う。
 ちなみに今日のジジイ会議の議題は、ジジイになっても結局若い女の子が好きなジジイが多い、というものだった。午前中から中々の下品さがあって大変良かった。俺は違うけどさ、というのを皆言葉の頭かケツに付けていて、一体何に対しての言い訳なのか解らない。最初のジジイがその枕詞を使い始めたので、後に残されたジジイも使わざるを得なくなっていた。
 そんな話の中で、
「恋愛に興味の無い若い男が多いらしいけど、あれはただの強がりだな」
 という言葉が出て私はぎくりとした。いや待て待て、私は興味が無い訳ではない。興味はある。興味はあるけどそれ以前に人付き合いが苦手なのだ。よってそれは私にとって手が届かないだけだ。
 しかし先に幸せを掴めないのではなく掴まないだけ、という結論で脳内会議が決議された事を思い出してブルーになった。全くもってこのジジイ達の言う通りであった。
 完全に論破されてしまったことで今日も体にうんこ的なものが沈殿していくのを感じた。そしてうんこ的なものが沈殿してくれたお陰で、昨日の自分と今日の自分が大して変わってないことに気付く。安心。ジジイ達ありがとう。

 しかしそんなジジイ達は、今日は議題が悪かったのか正午を過ぎた辺りで帰ってしまった。これは例日よりもかなり早い解散であった。
 ジジイ達が帰ってしまうと分煙されている喫煙ブースは静まり返る。練馬の若者は基本的に静かだ。

 私は改めて彼女について考えることにした。
 彼女の出身は秋田県、十八歳で上京したらしい。仕事の事は詳しく話さなかったが普通のサラリーマンだと言っていた。現在二十四歳で、来月入籍する。なんと彼女は私より三歳も年下であった。
 何という事だろう。三年も長く生きてる私の方が、よっぽど幼く小さく感じたので驚きである。私が小さすぎるのか彼女が大きすぎるのかは今のところ解らない。
 友達は多く良く都心に遊びに行くらしい。クラブという場所に良く遊びに行くと言っていた。クラブという場所は私も知っている。映画で何度かそのような場所を見たことがあった。
 大音量で音楽が鳴っていて、客はリズムに乗って踊り狂う。大きな偏見があるかもしれないが、何しろ私は行った事が無いので仕方が無い。旅行が趣味らしく色んな場所の話も聞いた。学生時代は自転車で日本中を旅していたらしい。それで居てよくその白い肌を保てたものだ。日傘でも差して優雅に回ったのだろうか。

 昨日聞いた彼女の情報は大体こんなものだ。逆に言うとそれ以外の情報に関しては全く解らない。第一名前を聞いていない。私が彼女を幻覚だと思うのも無理は無い。
 そして私は彼女の名前を勝手に想像し始めた。
 三分ほど考える。
 脳内会議では様々な候補がホワイトボードに書かれた。最終的に賛成多数で「由梨絵さん」という事になった。
 これは我ながら気持ちが悪い想像だと思う。
 同時におお、由梨絵さんか。由梨絵さん。由梨絵さん。と暗唱を始める私も居た。
 自分が更に怖くなった。
 しかしこれが不思議と面白く、私は勝手に彼女のイメージを固めていく脳内作業に没頭する。
 それはつい昨日の事である。私は他人を脳内で蹂躙することに関して強く反省したはずであった。しかし、振り返ってみれば私は二十七年の人生の中で反省を上手に生かした試しなど、恐らく数えるほどしか無い。
 言い訳に更に言い訳を重ねることで埋もれに埋もれ沈殿し、大事であった筈の底の部分に何があるかも解らないくらい言い訳をする事でこれを私自身の言い訳とした。
 つまり愚かなのである。
 それは私自身認めている。たった一回の反省ごときではまだ私は変わらん。諦めてもらおう。私は昨日の私を言い訳で捻じ伏せた。あるいは開き直りとも言えるだろうが、開き直るのは愚か者の特権なのでそれは問題無い。

 ここからは由梨絵さんについてのプロフィールを纏めていく。メモを取りたかった。しかし今日は携帯電話を持ってきて居ない。
 昨日家に着いたときには身体的にも精神的にも様々な異常をきたしていたので、私は携帯電話の充電を忘れたまま寝てしまったのだった。
 朝起きた時、まだ携帯電話の充電が一パーセント残っていた事に逆に驚いた。現代の電池技術は凄まじく進歩しているのだなと感じる。我らが携帯電話一号(二号以降は無い)は現在ホームポイントでエネルギー充填作業をしていて忙しかった。

 私は自分のカバンからボールペンを取り出す。良い塩梅の紙が無かったので、ドトールコーヒーのレシートの裏を使うことにした。
 まずこう書き込む。「由梨絵さん、二十四歳、秋田県、婚約者あり」サスペンスドラマなどで刑事がよく自身の手帳にメモを取ったりしているが、これは正にそんなイメージが沸くメモだ。
 事件の香りがし始めた。その場合犯人は恐らく私であろう。

 そして次にこう書き込む。「練馬在住、マンションの五階に住んでいる、家賃は十四万円、オートロック、先月まで婚約者と同居、ペットは熱帯魚のベタを一匹だけ金魚蜂で飼っている。得意料理は創作パスタ料理(材料が毎度違うので日によっては美味しくない事もある)」つらつらと頭に浮かんだものをすべて書き込んでいく。

 楽しい。これ以上の娯楽はこの世にあるだろうか。
 しかしいくつかは当たっているかもしれない。まず練馬に住んでいるのはほぼ間違いないだろう。昨日私達が別れた時、既に練馬駅の終電は終わる頃だった。そして由梨絵さん(以下彼女の事は由梨絵さんと呼ぶ。気味が悪くて読んでいられないと感じたのであれば、便所にいって一度吐いて来るときっと楽になる筈なのでおすすめする。私も昨日そうして楽になれた)が帰り道に選択した道は練馬駅に向かう道ではなかった。
 しかしそれ以外のものに関しては推理ではなく完全に唯の妄想であった。あてずっぽうでもたくさん書いておけばどれかは当たる。

 そして次に由梨絵さんが教えてくれなかった事柄について考える。言わなかったのは私を警戒しての事かもしれない。
 なんだかんだ言いつつ由梨絵さんは人付き合いに慣れている。そういう人は人間関係のトラブルが何処に潜んでいるのかも良く知っていそうだ。
 面白がって私と遊んでくれたが、それ以上踏み込んで来られると困る所にはしっかり線を引いている。
 電話番号もそういった理由で教えてくれなかったのかもしれない。
 聡明な人だ。
 私はというと自分の事を洗いざらい全部話してしまっていた。もう少しでクレジットカードの暗証番号まで言ってしまいそうである。由梨絵さんを見習ってその辺りの気構えを持たなくては。

 そんな事を考えつつボールペンを持つ私の手は由梨絵さんの似顔絵を勝手に描き始めていた。それは余りにも下手糞過ぎであった。描き始めて三秒で失敗したと自覚した。

 私の心は今、髪の毛の先から足の親指のツメの先まで由梨絵さん(仮名)で一杯であった。

 精神的な敗北を感じた。ノックダウン。

 喫茶店を後にした時、時刻は十五時を回っていた。世間は平日真っ只中、八月六日の火曜日。外を歩く人はファミリーや小学生のグループが多い。
 皆夏休みを満喫している。私も夏休みではないが勝手に便乗して満喫している。今日はまだ何も食べていなかったのでお腹が空いていた。
 私は手頃な食事処を探して彷徨いはじめる。練馬駅前、千川通り沿いにはたくさんの食事処がある。特に私のような貧乏者にありがたい牛丼チェーンや、ハンバーガーチェーン、ファミリーレストラン等リーズナブルなお店が立ち並んでいる。
 良くこの辺りでお昼処を探すのだが、あまりに候補に挙がるお店が多すぎるせいでいつも迷う。迷った挙句迷いすぎて結局帰ることすらある。今日も私は迷っていた。
 駅前の通りをふらふらと二往復程したところで、私は西武池袋線池袋方面の電車に乗り込む。

 私は西武池袋線の電車内で考える。

 何故乗り込んだ?お昼ご飯は?

 同じ様な事を考えたあなたは恐らく正常な思考の持ち主だ。かくいう私も同じ事を電車の椅子の上で考えていたので、ある側面では正常な思考だと思われる。
 今日は天気が良かった。なので電車に乗りたくなった。
 という事で結論が出た。脳内会議がしっかり執り行われたかどうか些か疑問は残るが、決議されてしまえばどうにもならない。もう一度同じ議題を考え直したいと言い出す脳内議員も居ないので、ここは決議ということだろう。
 電車の窓から外を見るとまだ空は夕暮れには遠く、青く澄んでいる。ずっと遠くに大きな入道雲が見えた。電車の窓から差し込む太陽の光は真っ直ぐに電車の床まで届いて、床には等間隔に並ぶ平行四辺形の光の模様が出来ていた。

 たしかに気分は晴れやかだった。
 車内は平日のお昼過ぎという事もあってか空いていた。同じ長椅子に座っている仲間はおらず、私は一人で独占状態だった。
 向かいの長椅子では二十歳くらいの若い男性二人組が、現在放映中の映画の感想で盛り上がっていた。練馬には大きな映画館がある。きっとそこに行った帰りなのだろう。
 その映画館は私のお気に入りの場所の一つでもあった。

 エネルギーが余り過ぎて無性にむかむかした時、私はよく自転車でどこまでも走る。しかしどこまでも走るとはいえ、帰りたいと思った瞬間に帰れないと困る。
 エネルギーが余っているのは事実だが、所詮は引き篭もりの体力なのでその辺を見誤らないようにしなければならない。
 
 私は一度、本当に何処までも行ってやる!今日は絶対!本気だ!という強い気持ちで自転車を漕ぎ出した事がある。
 狂っていたのだろう。しかし無念、六キロ程無作為に進んで東中野の駅に辿り着いた時には、既に熱中症で倒れそうになっていた。
 水分を求めてミスタードーナツ東中野駅前店に駆け込んだ。
 私は結局どこにいってもミスタードーナツに入りたがる性質を持っているらしいという事が解っただけで、他には何も生み出さなかった。

 その時ばかりは余りの苦しさにうんこすら出なかった。しかし私にとっての地獄はここからだった。当たり前の事だが、帰りも自転車を漕がなければならなかったのである。自宅から六キロも離れてしまった為に非常に辛く苦しかった。私は反省する。したがって以降そういった気持ちになった時は、必ずすぐに帰れるように練馬近辺をぐるぐる回るようにしている。何とも打算的で情けない限りである。

 練馬近辺をぐるぐる回っていると、何故か毎度先の話に出た映画館に吸い寄せられる。これは何故なのか自分でも良く解らない。別段見たい映画がある訳でもない時でも、着いてしまったら入ってしまう。
 入ってしまって映画館の中の喫煙所で一服する。そして帰る。全く持って意味不明である。いや、私は映画館全体から漂うあの空気が多分好きなのだ。

 二人が話題にしていた映画は私も最近見た話題作だった。聞いていないふりをして感想を聞きながら、脳内で相槌を打ったり同意したり反論したりして遊んでいた。右に座っている人の意見の方が論理的でありつつ説明に篭もる情熱も感じて、聞いていて楽しかった。
 私が感じた意見と大体同じだったのもあってとても好感を持った。
 私は彼を「長谷川祐樹」と名付ける。意味は無い。
 この出会いを携帯電話にメモしたかったが家に置いてきたのを思い出した。残念。もし私が今日家に帰るまでに覚えていたらメモしておこう。長谷川君、君はきっと良い奴だ。

 電車は一旦トンネルに入った。景色ががらっと変わってしまって窓の外は真っ黒になった。真っ黒な窓ガラスには蛍光灯で明るく照らされた電車内がくっきりと浮かび上がっていて、私は向かいの窓に映る自分の姿をはっきりと見る。するといよいよ冷静になってきた。何故電車に乗ったのかという議題についてもう一度脳内会議を執り行う運びとなった。

 そもそも私にとって、練馬を出ることすら数ヶ月ぶりの事だった。同じくして電車に乗るのも数ヶ月ぶりである。普段はただの引き篭もりなのだ。
 現在日本には引き篭もりの方が五十万人以上居るらしい。これは今考えるべき議題とは全く関係が無い。
 目的も無く練馬駅を出ようと思ったのは一体何故なのだろう。

 私には昨日私の身に起こった大事件以外に、原因となりそうなものが他に思い浮かばなかった。

 やはり由梨絵さんが原因なのか。しかしこれはいよいよ持って流石に浮かれすぎである。友達になってくれそうな女性が一人見つかっただけでこの舞い上がりようは一体何なんだ。恥ずかしくないのか。と、昨日までの自分が脳内で叫ぶ。

 それに対して私は反論する。

 その引き篭もった考えそのものが恥ずかしいのだよ。お前は昨日までの私だから解らないと思うけれど、舞い上がりたい時人間は自分で自分をコントロール出来なくなるものだよ。きっと明日になればお前にもきっと解る。

「半年間だぞ。私は自分自身が何を考えて生きているのかずっと探して続けてきたじゃないか。そして私は日々それを記録に付けて確認してきたじゃないか。それなのにお前はそんな私に対してよくもぬけぬけとそんな事が言えるな。やっと近頃、自分がどんな生き物なのか解って来た所じゃなかったのか。昨日と今日でそれほどまでに人間が変わってしまったのか」

 人間、そう簡単に変われはしないよ。君は色々な事に理由を付けたがるけどね。どんなに記録を付けた所で、私はまだ私を理解出来ていなかっただけだと思うよ。私は元々、お調子者で舞い上がり症だったのだ。
 ただ、それを知る機会が無かっただけだ。機会が無ければそれは自分の中で眠ったままだ。昨日ようやく叩き起こされたというだけで私は変わってなど居なかったのだよ。

「出たな。君は言い訳だけは上手いからな。私すら丸め込む程言い訳が上手い。それを知っているからそんな言葉では騙されない。君は何かを得る代わりに何かを失うと、今のうちに忠告しておく」

 確かにさっきまで私はその事について考えていた。自分が変わってしまうのが怖いと思った。しかし変わったところで一体誰が何に困るのだろう。変わった事で一人の引き篭もりが社会復帰するだけかもしれない。だとしたら万々歳じゃないのか。

「君はもう一度自分のメモを見直したほうがいい。そのままでは君は死ぬ。そして私も死ぬだろう」

 車内アナウンスが終点池袋と言っている。唐突に脳内会議は打ち切られた。
 映画話で盛り上っていた二人の姿は、既にそこに無かった。
 終点と言われてはどうにもならない。

 私も電車を降りる運びとなった。

6へつづく

著/がるあん
イラスト/ヨツベ

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