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「日本のスポーツを安全にしたい」

大伴茉奈
独立行政法人日本スポーツ振興センターハイパフォーマンススポーツセンター 国立スポーツ科学センター研究員

脳振盪の研究を通して学んだ安全にスポーツを楽しむための知識の大切さ

現在、国立スポーツ科学センターの研究員として、トップアスリートのサポートをする大伴茉奈先生は、脳振盪をテーマに『安全なスポーツ』のための環境づくりを進める研究者でもある。「スポーツと死は無関係ではない」。学生時代、そのことに衝撃を受けた大伴先生は、安全にスポーツを楽しむためには何をすれば良いのかを今も追究し続けて、『知ること』の大切さを感じたと言う。脳振盪の研究を通して、安全にスポーツを楽しむための環境はどうやってつくるのか……。じっくりとお話をうかがった。

――日本ラグビー協会と共同で菅平にある105面のグラウンドにAEDを設置されたことが大きく話題となりました。このSAFEプロジェクトの一員として活動に携わられた大伴先生ですが、先生ご自身はバスケットボールをされていたと伺いました。

大伴茉奈(以下大伴):はい、私は小学4年生からバスケットボールを始めました。今、身長が170cm程ですが、身体が大きくなり出したのが、ちょうどバスケットボールを始めたくらいのときでした。どんどん身体が大きくなっていったことで、成長痛に悩まされるようになっていったのです。特に膝の痛みが酷くて、中学2年生くらいまで続いていました。

この成長痛に悩んでいるときに、小学生時代に所属していたミニバスのコーチが、「そういうことを勉強するならこういうものがあるよ」と、スポーツ医学のことを教えてくれました。さらにその時期に、タイミング良く早稲田大学にスポーツ科学部が新設したこともあって、将来の目指す先をそのコーチから導いていただきました。そこから、なんとなくスポーツ医学について勉強したいと思い始めて、今に至る、という感じですね。

――結構早い時期からスポーツ医学を志しておられたのですね。

大伴:そうですね。もちろん早稲田大学に進学したあともバスケットボール選手として活動していましたし、小さい頃は日本代表にもなりたいと思っていた時期もありました。もっと頑張りたいという思いもありましたが、高校や大学に入って上には上がいるな、というか……だんだん自分の壁も見えてきてしまいました。バスケットボールは好きでしたが、今後はスポーツに対しては選手としてではなく、違う関わり方をしていこうと思いました。

それで大学ではバスケットボールを続けながら、スポーツ選手のケガや故障に対してサポートするアスレティックトレーニングのゼミに所属し、将来はそういう道に進もうと思って学びました。

そうやって勉強していくなかで、自分はスポーツの現場にいるよりも、研究するほうが向いているのではないかと感じ始めて、大学院に進むことに決めました。

早稲田大学でスポーツ医学の道に
(右から2人目が大伴先生)

――そうしてスポーツ医学の道に進まれた大伴先生は今、脳振盪についての論文を多くご執筆されています。脳振盪の分野を研究しようと思ったきっかけについて教えてください。

大伴:アスレティックトレーニングの勉強をしていくなか、早稲田大学でアスレティックトレーナー教育を担っていらっしゃった中村千秋先生が、当時NFL(National Football League)で脳振盪による訴訟が起きているという話をしてくださいました。そういう事案があるということは聞いていましたが、スポーツで人が死んでしまうということが実際にあるんだ、という衝撃がありました。ここがスタートというか、スポーツをするなかで人が死んでしまう、ということは避けなければならない、予防していかないといけない、と思ったのです。

それから、あらためて脳振盪を調べ始めました。すると、日本語で脳振盪を調べてもあまり論文が出てきませんでした。しかし英語で『Concussion』を調べ始めたら、国際会議も行われるくらい論文がたくさん出てきたのです。日本にはほとんど論文がないのに、海外ではこんなに研究されているんだ、ということに愕然としました。

私のモットーじゃないですけど、大切にしているのが『スポーツは安全じゃないと楽しくない』ということ。そういう気持ちが強くありましたので、これは日本でももっと研究していかないといけないテーマだと思い、脳振盪をテーマに研究することにしました。

博士課程に進んだとき、脳振盪を研究するにあたって競技はひとつに絞ったほうが良いとアドバイスをいただいていたので、日本で脳振盪に関する制度などが一番しっかり考えられているラグビーに絞って研究していこうと決め、ラグビー協会の方にも相談させていただいて研究を進めることになりました。

恩師の中村千秋先生と

その経緯で10年前にラグビーのメッカである菅平にある診療所で脳振盪の調査を始めたことが、私とラグビーと菅平を結びつけたきっかけとなりました。105面もグラウンドがある菅平ですが、実は診療所が1カ所しかありません。菅平で練習しているときに脳振盪やケガなどが起こったら、みんなこの1カ所の診療所に来院するわけです。しかし重度のケガが起きたとき、診療所から遠いグラウンドであれば診療所に来るまでに時間がかかりますし、対応が遅れてしまって大事に至ってしまう可能性もあります。そういう危機感を感じているなかで、2021年に心肺停止の事故が起こりました。たまたまAEDが近くにあったことで、その選手は幸いなことに一命は取り留めましたが、仮にAEDがある場所まで遠かったり、AEDがなかったりしたら、救えなかった命かもしれない。そこで、多くの方々の協力のもと「SAFEプロジェクト」を立ち上げさせていただき、2022年7月~9月の間は105面すべてのグラウンドにAEDを設置することができました。

菅平の宿泊施設にも設置されているAED
菅平の105面すべてのグラウンドにAEDを設置

――実際に起きた事故がきっかけだったのですね。このAED設置は、ひとつのスタートだと思います。この先の展開はどうお考えでしょうか?

大伴:はい。まずはAEDが設置されているということが一番ですが、それを実際に使える人が増えることが次のステップだと思います。今回、このプロジェクトではAEDを設置してくださる宿の方々に講習会を受けてもらい、実践してもらいました。その次の段階としては、合宿所を使うチームや選手にも講習を受けてもらい、AEDの使い方を知り、現場でも対応できるような知識を広めていくことが大切だと思っています。

また、それに伴って「AEDの使い方の講習を受けたことがあるかどうか」のアンケート調査も行いました。すると学校の先生に関してはほぼ全員が受けていたのですが、コーチの方に関しては受けていないという人が結構いることがわかりました。今後、ラグビーもクラブチーム化していくことも増えていくと思いますので、指導者だけではなく、選手やマネージャーをはじめ、ラグビーに関わるすべての方々がAEDをいつでも扱える知識を身につけていただくことが、今後の課題ですね。

プロジェクトメンバーの細川由梨先生(左)と一緒に活動している「SAFEプロジェクト」

――物があるだけではなく、その使い方を知ること、学ぶことも大切ですね。先生のお話をうかがっていると、知識を得ることの大切さを強く感じます。

大伴:そうですね。脳振盪に対してもそうです。脳振盪に対する研究は世界ではずっと進んでいて、選手に与える影響だったり、その後の対応だったりが継続して研究されています。そういう話を聞いたり、学会に出席したりするなかで感じるのは、やはり正しく知ることの大切さです。

脳振盪は頭の中で出血していない状態のことを言います。脳振盪の症状としてプレー中のリアクションが遅くなったり、バランスが崩れやすくなったりすることが良くあげられます。この状態でプレーを続けてしまうと、本人の感覚としてはタックルなどもいつも通りやっているつもりでも、ちょっといつもと外れてしまっていることがある。そのズレがあることによって、頭への衝撃も受けやすくなってしまうこともあるのです。

いつも通りの安全なプレーができない状態で再度同じような衝撃を頭が受けたら、今度は出血を伴う事故に発展する可能性も出てきてしまう。また、脳振盪だと決めつけて行動することも危険な場合もあります。というのも、出血していない脳振盪ではなく、すでに頭の中では出血が起こってしまっていて、脳振盪よりも重篤なリスクがある状態かもしれません。

したがって脳振盪の症状がみられた時点で、“まずは競技を止める”という選択をしてもらえれば、そのあとに可能性として起こりうる重大な事故には発展することは防げるかもしれません。

そうしたなかで、脳振盪なのか、それよりも重たい症状なのかを判断し、対応していく。脳振盪の場合はこういう症状が出る、さらに重篤で出血した状態だとこういう症状が出る、ということを知っていれば、適切な対応ができます。だからこそ、私はまずは徹底して“知る”ことが大事だと感じているのです。

脳振盪の研究を続け、正しい知識を広めていく

――脳振盪を知れば対応策を知ることができるし、安全にプレーすることにもつながっていくのですね。そういう知識をもつことにも、スポーツ医学検定は活用できると思うのですが、大伴先生はどうお考えですか?

大伴:スポーツ医学検定の内容を拝見したとき、きっと自分が成長痛に悩んでいた中学のときにあったら、自分も活用していて、きっと成長痛に対する対応も変わっていたと思います。ケガや故障の原因がわかると対応策も考えられるので、そういう知識を得るには最適だと感じています。身体のことやケガや故障を知るということは、自分だけではなく、チームが強くなるためにも必要なことなのです。そう捉えてもらえれば良いなと思います。

――最後に、大伴先生がこれからスポーツ界に望むこと、また取り組んでいきたいことを教えていただけますか?

大伴:まずは脳振盪に限らず、スポーツをするなかで死亡につながるようなこともある、ということを知っていてほしいと思います。スポーツ医学検定も、そういう知識を学ぶのにとても良い検定です。そういうことを知っていれば、どう対処すれば良いかも知ることができます。そういう知識をもっと多くの人がもって、スポーツを安全に楽しめるようになってほしいと思います。

また、脳振盪については、何が危ないのかを知らない人もまだ多いので、先ほど申し上げたように、脳振盪がなぜ起こって、どういう危険性があるのか、どういう影響を及ぼしてしまうのかということを知ってもらうことが大切だと思っています。そこから、どうすれば予防できるのか、という次のステップに進んでいく必要があると思います。

さらにもう少しみんながわかりやすく活用できるような、脳振盪のガイドラインを作っていきたいと思っています。たとえばですが、脳振盪を起こしたあとに頭を使うと痛みが出る場合もあります。そうした場合、学生だったら学校を休めるとか、そういう対応も必要です。海外では脳振盪を起こしたあとに症状があったら休んでも良い、という制度があるところもあります。

スポーツの世界だけではなく、一般の社会においても、スポーツによる脳振盪で苦しんだり悩んだりしないような環境整備を続けていきたいと思っています。

現場のドクターやトレーナーなどに協力していただきながら環境整備を続けていきたい

――安全にスポーツをするためには、何を学び、行動していけば良いのか。よく考えていきたいと思います。今日はありがとうございました!

<編集後記>
「日本のスポーツを安全にしたい、という思いでずっとやっています」という大伴先生の言葉が心に残りました。重く考え過ぎる必要はありませんが、きちんと物事を理解することは、スポーツに限らず、何かを安全に楽しむために必要最低限のことだと強く感じます。誰かが知っていれば良いのではなく、自分が知ることの大切さを大伴先生は教えてくださいました。スポーツ医学検定は、きっとその一助になるのだろうな、とあらためて感じます。私もスポーツに携わるひとりの人間として、スポーツ医学検定に取り組み直したいと思います。

(取材・文:田坂友暁、構成:田口久美子)

◇プロフィール◇

大伴茉奈(おおとも・まな)
独立行政法人日本スポーツ振興センターハイパフォーマンススポーツセンター/国立スポーツ科学センター研究員。早稲田大学スポーツ科学部卒、同大学大学院スポーツ科学研究科博士課程修了。小学生時代にバスケットボールを始め、大学でも選手として活躍。在学中にNFLで問題になっている脳振盪の話から興味をもち、脳振盪を専門に研究を進める。現在も研究者として活躍するかたわら、「命を守る」という共通のテーマから子ども安全管理士の資格も取得。安全に楽しくスポーツに取り組める環境づくりに取り組んでいる。



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