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ソウルシリーズに投映された「君たちはどう生きるか」(+ワンポイント野球英語①=walk)

張さんこと張本勲さんがサンモ二(LAのサンタモニカではなく、TBS系サンデーモーニング)に出演すれば「喝!」を連発しそうなソウルシリーズになってしまった。広島のカープオタクとしては「誠也のカブスやマエケンのタイガースの開幕戦もズムスタでやってくれんのん?」とか「ドジャーの開幕戦ならマツダでやりゃぁワシらの黒田が始球式出来るじゃろ」とか「韓国のアイドルもぶちキレイじゃったけど、ワシSTU48が観たかったんよ」とか云うニヒルな類の喝ではない。

とは云え「あっぱれ!」もメジャー級だった。野球の花は遊撃手と謳われるだけあって、昨季のゴールデングラブ受賞者、アジア№1内野手、金河成(キム・ハソン)の鉄砲肩と、急遽、ギャビン・ラックスとの二遊間をシャッフルする形でショートにコンバートされたドジャースのスーパースター、ムーキー・ベッツの堂に入ったグラブ捌きは、互いに芸術の域だった。

本来、ベッツほどの超一流選手ならば、そのキャリアと共に、守備の負担を軽減するポジションがあてがわれるのが一般的な潮流である。しかし、今季の遊撃を任されるはずだったラックスは前年のスプリングキャンプで負った靭帯断裂の為、昨シーズンを棒に振り、今キャンプでも不調に陥っていた。開幕前の何かとナイーブな時季に、チームメイトを思いやり淡々とロバーツ監督の構想を受け容れ、ソウルに入ってからも楽しそうにコーチと様々な打球のハンドリングを試していたベッツの微笑は、実に爽やかに映った。遊撃コンバートの重圧など微塵も感じさせずに異国のファンをバットで魅了しまくったMVP男ベッツと、誰しも認めるメジャー屈指の遊撃手に成長して威風堂々と祖国に凱旋し、光陰矢の如しスローイングを披露したキム・ハソンに、あっぱれ。

NPBでは、ドラゴンズが誇った井端弘和(現侍JAPAN監督)と荒木雅博の二遊間コンビは落合博満監督の緻密なディフェンシブベースボールのハートであった。憎ったらしいほどミクロかつ正確なオレ竜ベンチのタクトに振り切られる度に、ワシらカープ党は地団駄踏まされた歳月だった。あのアライバコンビの二遊間シャッフルは、両者共に脂の乗り切った時季のコンバートであり、辛めアブラ多め、のみならず、全マシマシでラーメン二郎並のインパクトを球界に与えた。荒木は「何言ってんだこの人(落合博満)殺してやろうか、と思いましたよ」と、その衝撃を述懐するが、当時、落合がその意図を語った【野球の奥深さと難しさの再認識】を実感させられ、その実体験を野球人生の財産として、昨今、次代の若手に連綿と継承している両者にも、あっぱれ。

大谷翔平とダルビッシュ有のこの2戦は及第点として、開幕戦の6回表一死から左封じに登板した松井裕樹が、いきなりピッチクロック違反で顔面蒼白、ジタバタしたままに右の巧打者キケ・ヘルナンデスを迎えた場面は見せ場だった。直前のアウトマン、直後のラックスと云う左打者へ露呈した窮屈な投球とは別人のように、力みの抜けた腕の振りでキケを翻弄し、三球三振に斬って落とした。ベンチとしても、これならばマツイに丸々一回任せられるぞ、と計算が立ったはずで、日本人唯一のあっぱれ。

カープオタクとしては、ドジャースのライアン・ブレイシアが助っ人と呼べるほどの働きを広島在籍中に果たしてくれたか、は疑問符だが、開幕戦の六回裏にドジャースの新たなエース、タイラー・グラスノーの二番手としてマウンドに上がり見事な繋ぎを見せた。三番クローネンワースを空振り三振、四番マチャド、五番キムを内野ゴロ凡退に仕留めるパーフェクトな投球で、逆転の機運を高めた。ストレートの球速は時に95マイルを上廻り、カープでは暫時、ファームに甘んじた過去を振り返ると、軽くクビを傾げたくなる快投であった。笑

二戦目に最終回のマウンドを託されたパドレスの新守護神、ロベルト・スアレスは阪神時代の剛速球に磨きが掛かったようだ。特にマックス・マンシーを空振り三振に仕留めチームに勝ちをもたらした最後の一球は唸りを上げて浮き上がった。同じくタイガースのクローザーを長年務めた藤川球児の代名詞も、あの一球の如くホップするストレートで「このボールが投げられる内にメジャーに行きたい」と懇願していた全盛期を思い出した。
ブレイシアにせよスアレスにせよ、制球や配球を日本盤にアジャストさせるべく悪戦苦闘したNPBでの日々を経て、異国の異なるマウンド上で艱難辛苦した末に掴んだ進化によって勝ち取ったMLBでのポジションと言えそうであり、あっぱれ。

ここでワンポイント野球英語【walk=四球】である。MLBではピッチクロックのルールの下、ランナー無しの場面ではキャッチャーからの返球後15秒、ランナー有りの場面では18秒以内に次の一球を投じなければ違反と見なされ、ワンボールが追加される。
結果的にwalkに繋がった場面が目立った。
バッターにも同様に制限時間の8秒前までに打席で構えに入らなければ、違反でワンストライクが宣告される。唯一、パドレスのX・ボガーツのみが引っ掛かり、三振を宣告され、激昂して球審に詰め寄る場面も見られた。夢中にのめり込んで贔屓チームを応援しているファンにとっては、プレーと分断された形のペナルティでゲームがの流れが左右されるのは、サッカーのペナルティとは次元が異なり、喝。

その球審が開幕戦で犯したミスも重罪だった。プレイボールからダルビッシュのボールが暴れていた折、ベッツが隙を突いて悠々セーフのニ盗を決めた場面だ。が、キャッチャーがセカンドに送球しようとした右手が球審のマスクに接触したと云う。ルール上、ベッツは一塁に戻され、お陰でダルビッシュも落ち着きを取り戻した。あんたサンディエゴの回し者か、と野次りたくなり、喝。

必死のプレーの中での喝は、開幕戦の勝負所で、名手、ジェイク・クローネンワースのファーストミットの紐が切れて、貴重な追加点をドジャースに献上した八回表の場面である。開幕戦で、紐が劣化していて切れた、とか緩んでいた、とかプロとしてあり得ない初歩的なミステイクである。整備不足のままに離陸した飛行機ならば墜落の危機を伴うわけで、パドレスもまた、お陰で重要な開幕戦を落としたわけである。普段は攻守にソツが無いユーティリティプレーヤーが見せた、まさかの隙に、喝。

他方、メジャーでの実績ゼロの日本人に対して、目を疑うマネーボールを投げうって獲得したドジャースも、東洋の地で痛烈なしっぺ返しを喰らった。広大な合衆国のマイナーリーグを転戦しながら地道に這い上がり、メジャーのマウンドでエースの座を勝ち取った並居る剛腕達のプライドを蔑ろにしてまで、新参者の山本由伸とピッチャー史上最高額での契約を締結した経緯は、やはり非礼であった、と言えそうであり、喝。

一方、フィールド外で唖然としたのは、美しい革のシートが何席も空いている間抜けな開幕戦のバックネット裏である。あっと言う間に完売したはずのチケット争奪戦の裏で、関係者や選ばれしセレブのみが座れる貴賓席なのであろう。が、野球人気の開拓を東アジアの地に切望して、僅か16000のキャパしか収容出来ぬ高尺スカイドームで、MLB機構は開幕戦の興行に打って出たのである。あの席は、大相撲に例えるならば、砂かぶり席であろう。無闇やたらに席を立って歩き回る自遊は、殊にあの二試合に限っては、モラルに反する、と言っても過言ではない。そのwalkにもペナルティを与えて欲しいくらいだ。

開幕戦のあの空席をテレビ画面に傍観させられたチケット争奪戦に敗れしベースボールバッグス(=野球の蟲)を嘲笑っているようにさえ映った。美しい革のシートが最終回まで自慢げに横たわっていた。果たしてMLBコミッショナー、ロブ・マンフレッド氏のリアクションが気になったが、2戦目になんとなくは改善されていたので、おそらく喝を与えたのだろう。が、事前の市場調査不足どころか、目の前さえ見えていなくて、喝。

2022年暮れに日本に帰国するまでに、当のアメリカのみならず、東南アジアや中東欧諸国と云った野球の社会的価値観がほぼ皆無の国にも暮らして来た。祖国の野球熱を久々に身近に感じていると、高校野球からプロ野球、はたまたMLBまで、その愛され様と、それに付随する社会的価値観の高まりにあらためて驚かされる。一方で、異常な熱狂をもって伝えられる報道の渦中で、そのスーパースターの周辺を含む全てを、あたかも神の様に崇めるマスコミやファンの姿勢には、時に狂信的な宗教みたいな危うさを孕んでいるとも感じてきた。

そんな折、やはり、異常な大金が、概して裏方稼業である通訳の人生を歪めていた闇が明るみに出た。生涯獲得額が四百万ドルに満たないトップアスリートが古今東西割拠する中で、そのサポート役が浪費した巨額な賭け金と、彼に宿っていた心の闇が内外を震撼させている。あの安打製造機ピート・ローズでさえ、金の魔力にメンタルを狂わされ、結局、その闇の彼方に自らの偉大なる勲章も名誉も葬り去ってしまったではないか。

闇と云えば、ようやく宮崎駿監督の【君たちはどう生きるか】を観賞した。帰り道、いろいろ考えさせられたものだ。日大の大先輩への敬愛を差し引いても素晴らしい感慨が、溢れるほど残った名作だった。英語版のタイトルは【the BOY and the HERON(少年とサギ)】となっている。劇中、世の中のバランスを象徴する積み石が、悪意や欲望と云った歪められた感情にバランスを欠き、それが崩壊する直前に主人公達はあの世を脱し、この世に生還する様な描写が在る。冒険を通して、当初は少年に悪意丸出しだったアオサギだったが、やがて一途な少年マヒトとの間に友情が芽生えていく。アオサギさんは結局、詐欺師にならなくてよかったね、笑。

つまり、権力や金や欲望に取り憑かれたまま関係を構築しても、最終的にその邪念や欺瞞故に、何もかも崩壊するのが世の道理だが、翻って、崩壊を救う何かとは、彼らに徐々に育まれた様な思いやりに他ならない、と、たぶん宮﨑駿監督は仰っているんですな。あらためて、同僚とチーム事情を思いやったムーキー・ベッツとアカデミー賞長編アニメーション賞に輝いた「君たちはどう生きるか」に、あっぱれ。



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