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ヤンキースの5番を空振り三振に仕留めた、マリリン・モンローの記録と記憶(4)僕たちみんなのマリリン・モンロー

『ピンチの後に、チャンスあり』も、また然りであった。
1954年2月13日、夜空に輝くハネムーンの甘い月光に包まれていたはずの旅路である。マリリンはしかし、悔し涙をポロポロ溢しながら、目の前で猛烈に憤るジョーに負けじと歯向かった。甲高い声で浴びせんとする野郎の痛烈な口撃のスウィングは、常軌を逸し、結局、空しく空回りするばかりだった。結果、新郎を空振り”STRUCK OUT(三振)”に仕留めた新婦は、事実上、新婚夫婦のマウンドからも降板してしまった、と云う攻防であろう。

 そんな修羅場を涙涙でくぐり抜けたマリリンに、直ぐに好機が到来した。舞台は、伊丹空港からひとっ飛びして、朝鮮戦争休戦下の凍てつくソウルであった。が、不機嫌な亭主関白の支配下から解き放たれたマリリンの心は、冷めきったキャンベルスープをコトコト煮詰め直すかのように、徐々にポカポカと温まり、厳冬の異国の戦地から、湧き起こる同胞の喝采を機上に聴くと、自分が生来、何者であるか?を実感して、カリフォルニアの眩しい太陽と路地裏のスラムに育まれし懐かしい血気が、内側から沸々と漲って来た。

 マリリンは、兵士の待つキャンプへ向かう超低空飛行のヘリコプターの床に横たわり、横開きのドアを開けて、極寒の寒空に半身を投げ出すと、彼女を待ち焦がれた兵士達に百万ドルのスマイルを振り撒きながら、何度でも投げキッスを捧げた。米兵二人が彼女の脚の上に座って落下を防ぎながらの曲芸飛行は、まさしく決死の慰問フライトであった、と云う。

Marilynキタ〜@@/!! SO COOL!!

 氷点下ながら青天の京城に降り立つと、マリリンは、第一海軍師団が急造した掘ったてステージへと向かった。舞台裏で、肉厚なフライトジャケットを脱いで、ラヴェンダーカラーのヒラヒラなスパンコールに着替えると、一世一代、幻冬の晴れ舞台に上がった。13,000人の兵士は、束の間、銃弾の戦慄から解き放たれ、天使の降臨に狂喜乱舞した。彼女が唄ったのは”Diamonds are a Girl’s Best Friend”そして、ディマジオへの皮肉にも響く”Good Bye Baby””Do it Again”の三曲である。如月の淡い太陽光線のスポットライトを浴びながら、マリリンの温かな歌声は、シベリア風の厳しい逆風に抗って、名も無き兵士達の心に積もった氷雪を、溶かすように優しく癒し、同時に、茹でたてホクホクのホットドッグに、たっぷりとマスタードを絞るように、刺激的にソウルフルにビートした。

一世一代の急造青空舞台開演中♪

 マリリンは、史上最高のステージ上に立つ自身を実感し、この時に纏ったスパンコールを亡くなるまで、大切に保管していたと云う。それは、アメリカの映画界が自分を生んだのではなく、目の前で熱狂の雄叫びを上げる名も無き男達が、孤児院から這い上がった名も無き自分のピンナップを買ってくれたからこそ、今ここに立ってゐる、事実をまざまざと思い知ったからである。

氷点下?そんなの関係ネェよ♪

 極東で極寒の蒼空の下、マリリンがこのステージから振り撒いた天然素材溢れる笑顔は、ハリウッドの映画村で、パーフェクトな光度に晒されて見せたどんなセクシーなスマイルよりも、ジョー・ディマジオやアーサー・ミラーの手を握って微笑んでいるラブラブなツーショットよりも、比べものにならないほど美しい。それは、マリリン・モンローと云う天使が、ハリウッドの物でも、ハズバンドの者でも無く、僕たちみんなのマリリン・モンローであったことの証明写真であり、彼女自身も、その事に、あの瞬間、あの舞台上で、気がついたのであろう。

 皮肉にも、それは、バレンタイン前夜の広島で、ジョーと大喧嘩した後の祭りだったとは云え、マリリン・モンローが駆け抜けた36年の短い生涯をプレイバックする時、あの日あの時あのスパンコールの内側で浴びた、名も無き漢達の魂の叫びこそが、生涯最高の記憶であったはずだ、と僕は感じている。【完】

あとがき、
2007年のひと夏、僕は奇遇にも、マリリン・モンローがまだ、ノーマ・ジーンだった頃、一瞬のJK時代に通っていたヴァンナイズ高校の教室で開講されていた米語の公営スクールに、夜な夜な、キックボードを蹴って通った。授業料は登録料の1ドルのみだった。学校の周辺には、今でもスラムが点在している。あのハイスクールを落第し、速攻で中退したノーマは、僅か1ドルの半額の日当ながら、笑みを絶やさず、悦んでレストランの皿洗いに励んだと云う。その事実を、昨今、偶然にも知る機会に恵まれ、僕は、父の憧れだったマリリン・モンローを、俄然愛おしく感じたわけである。
佐山和夫さんの『ディマジオとモンロー』は、コンテンツのバランスを考慮すると『モンローとディマジオ』じゃろ⁉︎とツッコミたくなるイレコミ様で、サブタイトルの《運命を決めた日本での二十四日間》よりも、むしろ、マリリン単独のソウルでの描写が圧巻であった。脇役で登場した小森のオバちゃまやジェット浪越の述懐も面白かった。佐山さんの推論には、再三再四、笑ってツッコミたくなる異論もあった。それは、この野球浪漫歳時記のハートに、あるいは、マリリンの変わりやすい女心が鼓動しているから、なのかもしれない。そのミステリアスなボヤけた部分を、佐山さんとは異なるアングルから身勝手に空想しながら、僕も、グランマくらいの齢のマリリン・モンローに、やんわりと恋に落ちた。
2人の結婚生活は、野球の試合で九回を闘い終えたかのように、九か月で幕を降ろし、しかも序盤戦の新婚旅行での安芸路が、皮肉にも決定的な別れ路への岐路になってしまった。しかし、その運命を介して、後々、彼らはお互いが犯した自らのミステイクを悟り、お互いの宿命に感謝しながら、結局、ベストフレンズに戻って往った先に、人生の幕を降ろすことができた。
ジョー・ディマジオは、自身の最期に「死んだらまた、マリリンに会える...」と未練を漏らした、と云うが、最愛のマリリンの亡骸は、そのジョーが大切に引き受け、葬送にはピンクの薔薇を供えて、涙に暮れた、と云う。
マリリンは晩年、何事も自身を極度に責め、極度に自身を苦しめたが、だからこそ、彼女は地上の天狗にならずに、地上の天使になれたのであろう。

ジョー・ディマジオの背負ったヤンキースの5番は永久欠番である。まさに、いぶし銀の輝き。



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