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報われない。

悲しい。


などと、感じる時は

気づいて欲しい
わかって欲しい
大事にして欲しい

こういうのがタネとなっていて

雪だるまとか
お団子とか

みたいに

包んでくるんで

丁寧に表面をなめしたりして。。。




本当に丁寧にしたいのは
表面の見栄えじゃなくって、

タネになったやつなのに。。。




日の目をみない
誰にも気づかれない
人知れず

人のために
尽くして

費やした
思いとか時間とか

自分の命の断片。
魂の分身。






生贄みたいなやつ。



大事なものほど
贄にすると良い

なんてのは


神様との契約か?
悪魔との契約か?



そんな対価を求めるもんは

本当はいやしない。



はて、誰に教えられたの?


対価
与える
自己犠牲


という美徳。



個人的な思いとして、行き着いたのは

命は生贄。

だから、真っ当に
自分を精一杯発揮して
表現して生きることが

芸となり

贄となる。


その振動が
その脈打つ音が

世界を振動させる

世界に命を吹き込むのだ。



だから、きっと西暦より前の時代から
自分を捧げるような考えはあったのかもしれないな〜

命には命を

対価はこれか?

などと、勝手に思いました。



時間と人のエゴとで

ブッダとか老子とかキリストとか

マスターの教え


というやつは


垢がついている。


垢つきの教え(解釈)を鵜呑みにして、
鵜呑みにさせられてきた時代。


それがやっと変わる時を迎え

純粋な教えに戻る時間へと
動いているようにも感じるこのごろ。


世の中のすぴりっちゃる界隈が

目覚め〜っていうのは、これなんかな〜

などと勝手に感じています。
(noteはエッセイ用だから思うことを書いています)



世界は陰陽であるように

常に、極に行き着くと反対側に流れる。

陽極まって、陰となる。




自分が極まって、自然や世界、宇宙となる。



中途半端に、向こう側はいけない。
極まるまでは、反対側へは到達できない。



報われない。。。と嘆くことは
外側から見つけてもらいたいと願うこと。


閉じ込められた姫さんが
面識のない王子を待つようなもの。


自分を極めるには

タネにしたやつをみつけて
磨いて、磨いて

ピカピカになった
鏡のようなそれに


もう一度

問うこと。



汝は何者ぞ
私は何者ぞ



そこに映るのは


果たして。。。。




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