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第54話・1975年 『全日本女子、イスラエルと密室試合』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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難題が日本協会を包む。

12月の第6回世界女子選手権(ソ連)のアジア予選で、イスラエルがらみの混乱が起きる。1月にエントリーしたのは5ヵ国。

国際ハンドボール連盟(IHF)は1次予選を2組に分け、A組は韓国で韓国、日本、台湾、B組はインドでイスラエル-インドと決めた。日本協会はA組での通過を確信し、B組は諸情報からインド有利とみて、決勝(2試合)の日本開催を招致した。ところが2月になってインドが国内の体育館では規定のコートを採れないと棄権(不戦敗)してしまう。

IHFはA組にイスラエルを加える案を示したが韓国が拒み、A組勝者-イスラエルの決勝をA組勝者のホームでとした。イスラエルに異議はなく決まったのだが、日本協会は困惑する。

日本協会・田村正衛会長は前年、男子のイスラエル遠征(第53話参照)の経験から、女子の乗り込みに強く反対していた。日本(東京)でイスラエルの安全をどう保証するか、策を探ることになる。

日本はA組で完勝、イスラエル戦が確定し、日本協会評議員会・理事会はすべてを会長に一任、事後報告での遂行を了承した。

理事長の荒川清美をリーダーに極めて少人数の作業チームを組み、極秘裏に計画を練った。多方面にわたる関係当局との折衝には田村会長と副会長でIHF理事の渡邊和美も加わった。

「試合は2月28日、3月2日、会場は東京、レフェリーはIHFが派遣、観客はいっさい入れない、イスラエルの行動は宿舎、練習会場などすべて未発表」と大要が決まる。

難題は報道関係者の扱い。当初、試合日は人数を制限しての公開を「体協記者クラブ」の幹事社と打ち合わせる予定だったが、併行して無謀を承知で「報道関係者に事前の報道規制」を懇願することになった。この間の動きはまったく外部に漏れていない。それが一気に表面化したのは、2月22日テルアビブ発のロイター通信電だ。現地でイスラエル協会が「来週東京へ向かう」と発表したのである。

騒ぎは日増しに大きくなる。日本協会は1年以内に予定されるモントリオール・オリンピックアジア予選でも、イスラエルがアジアに在籍する限り混乱は免れないとして、渡邊を通じこの試合をモントリオールの女子予選(アジア代表決定戦)も兼ねる提案をIHFに強く申し入れた。

イスラエルとの第1戦が終わった夜、IHFはこのカードがモントリオール・オリンピックアジア代表決定戦を兼ねることへの承諾を伝えてきた。

試合は19-4、22-8で日本のストレート勝ち。会場(=会場名を日本協会は現在も公表していない)周辺は警察による厳戒な警備で物々しい雰囲気となったが、第2戦後、両チームがコート上で笑顔を浮かべながら互いの健闘をたたえ、和やかに記念の合同写真の撮影に収まり、関係者をホッとさせる一幕もあった。

「観客の前でプレーしたかった」。日本選手たちは今でも残念な思い出として語る。12月の本大会(ソ連)は10位(参加12ヵ国)。

国内では7月の日本協会理事会で全日本実業団連盟(実連)が「現行の全日本実業団リーグを来年度から日本リーグに発展させたい」と提案、実業団選手権を日本リーグに改組・改称することへの反論が出た。長い議論は整理されぬまま閉会となり、実連の代表者らは基本的に了解されたとして準備を進める。10月の常務理事会は紛糾、日本協会主導で日本リーグ発足(来年秋)への作業を引き継ぐことになった。

第55回は9月16日公開です。


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