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第77話・1998年 『日本リーグ男子にアフター熊本の熱気』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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前年、ヨーロッパからもたらされた第一報(第76話参照)が現実のものとなった。
 
1995年の第14回世界男子選手権(アイスランド)でフランス初優勝の原動力となったステファン・ストックラン、フレデリック・ヴォルが来日。国内トップチームの1つ、本田技研(三重)に加わった。世界大会での金メダリストが国内のチームに加わるのは、男子では初のこと。

輝かしい経歴はあっても力の衰えたベテランではない。ともに前シーズン(1997-98)、世界最高峰のブンデスリーガ(ドイツリーグ)で活躍、本田技研の熱い誘いを受け、次のステージに日本を選んだ。
 
会社の創業50周年にあたる今シーズン(1998-99)、優勝の切り札としての活躍を期待するとともに、日本球界全体の発展、活性化も期して2人の力を必要とした本田技研の強い意欲が感じられる補強策だった。
 
10月4日、第23回日本リーグ前期第1週、東京体育館(東京)での三陽商会(東京)戦がストックラン、ヴォルのデビュー戦に。観衆がわずか500人という数字だったのは惜しまれるが、ストックラン、ヴォルが世界の技を披露するとともに、三陽商会もひるむことなく応戦。見ごたえ充分の戦いとなった。

結果は気迫あふれるDFで本田技研の勢いを止めた三陽商会が勝利し、世界の両輪を擁する本田技研はまさかの黒星発進に。
 
ストックランは本田技研に数々の栄冠をもたらすとともに、インパクト充分のプレーを見せつけて、2002-03シーズンまでチームを支え、ヴォルはホンダ熊本に移籍後、2003-04シーズンまでプレー、その間、アテネ・オリンピック出場をめざす日本男子チームのコーチも務め、日本球界に貢献した。
 
外国人選手の高さ、パワー、テクニックやここ一番での集中力が見どころとなったのはもちろんのこと、それに対抗する日本人選手だけのチームの戦いぶりも相乗効果で大きく変ったが、代表チームは11月世界選手権東アジア地区予選でつまずいてしまい、12月のバンコク(タイ)アジア大会は男女とも3位。女子はこの大会で翌年の世界選手権出場権を確保し、田中美音子(大和銀行)が得点王。
 
12月、全日本総合選手権の第50回記念大会が神戸で開かれた。球史は11人制でスタートし、女子は第9回(1957年)、男子は第15回(1963年)から7人制、第23回(1971年)から男女とも「室内」となった。

7人制切り替え後、実業団が台頭。「室内」後の28年間は男女で実業団以外の勝者は第38回(1986年)女子の東京女子体育大学だけ(第65話参照)。
 
男子は湧永製薬(広島、1981年までは湧永薬品)と大同特殊鋼(愛知)が第24回(1972年)から連続9年間決勝で対決、国内スポーツ界年末を彩る黄金カードの1つと呼ばれた。
 
女子は全盛を誇った歴代女王・愛知紡績(愛知)、大洋デパート(熊本)、大崎電気(埼玉)、田村紡績(三重)、日本ビクター(茨城)、東京重機工業(東京)、ブラザー工業(愛知)、ジャスコ(三重)、日立栃木(栃木)は栄光のあと次々と「休部」、表舞台から去ってしまった。

第78回は10月9日公開です。


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